ボストン爆破事件の犯人像は大体、次のように描かれている。

 「ツァルナエフ一家はチェチェン出身で2002年に米国に来た。しかし、兄は米国社会に溶け込めなかった。その中、次第次第にイスラム過激派の思想に染まっていった」

この人物像で十分である。米国人は「そうか。イスラム過激派か」と思う。従ってイスラム社会に対して米国が厳しい対応をとるのは自然だと、思う。

しかし、彼が米国諜報関係をの接点んがあったら。見方は一変する。

ボストン爆破事件の犯人については報道されてない部分が多すぎる。

  どこで爆弾の知識を得たのか。どこで爆薬の材料を集めたのか。

  米国の新聞はアルカイダとの結びつきを示唆しているが、どうも方向は違ったようだ。

  ボストン爆破事件の犯人は米ロの諜報戦の中に巻き込まれている。

 4月25日日経は次のとおり、報じた。「ボストン爆破容疑者(兄)についてロシアの情報機関から警戒