今自民党が如何に腐敗しているか次々に表に出てきている。
① パーティの闇金問題が安倍派を中心に広範に広がっていて百人以上が関与しているが、額が3000万円以下は不問である。
② 政党が「政策活動費」などとして政治家に支出し、その使い道を明らかにしなくてもいい政治資金が、2021年までの20年間で主要政党で約456億円に上ることがわかった。議員では、二階氏が最も多額となる計約50億6千万円を受け取っていた。うち約47億7千万円は幹事長時代。次いで谷垣禎一元総裁が23億1千万円、安倍晋三元首相が20億5千万円と多く、いずれも幹事長在任時期に集中していた。
③ 松野博一前官房長官が昨年12月、自民党安倍派の裏金問題で同月14日に官房長官を辞職するまでの2週間で、内閣官房報償費(機密費)を4660万円使用。
④ 盛山文部科学相が2021年の衆院選で、世界平和統一家庭連合(旧
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確かに腐敗は腐臭を出してますが、今の日本ではそれを嗅ぐ臭覚が麻痺してます。
日銀の限りなき円増刷。
自民の限りなき財政支出拡大。
それに群がる巨大なB層。
この腐敗の構図はそう簡単には壊れません。宗主国の米国も同じ構図ですから、異型の構図を日本は取れないのです。唯、米国は9.11そしてパンデミックと世界を震撼させたショックドクトリンに基づくインチキをコミットしたが、そういうインチキをしないだけ、日本は救われていると言えましょう。
この日本の忌まわしき図式に終わりを告げるのは円のハイパーインフレーションしかないのではないでしょうか。
ウクライナと同じように移民問題でも、リベラル民主党と保守共和党が路線問題で対立している。テキサス州の動向から目を離せない。日本に対する影響も無視できない。
自民党は、岩盤保守から立憲リベラルまでが幅広い支持者で支えられている。今までは派閥の交代が政権交代につながっていたが、派閥を崩壊させている。自民党の体質改善と見るか自民党が賞味期限が切れ解体の方向を目指すとみるかで今後の政局が変わってくる。
さまざまな見方が成立するが、次の選挙で自民党が大敗すれば、自民党が解体することによって野党も再編成の中に組み込まれていくように見ている。米国の民主と共和の政策に大きな違いが出ており、連動する体制が自ずから築かれていくのでしょう。日本の曖昧政治が明確な方向付けをとれば、極めて分かりやすい政治になるのでしょう。
> 責任を取る自浄作用が自民党の中にも、政治全体にも見えない。
政治全体の著しい免疫力低下。つまりは、日本自体が後天性免疫不全症候群に陥っている。この局面で「AIDS国家ニッポンで生き抜くサバイバル戦略」を著されれば、ベストセラー間違いなし!
孫崎先生のXに取り上げいただき嬉しいです。
RT 12 Feb, 2024
ロシアのナショナリストであり、強固な反ソ連主義者:ソ連追放から50年、ソルジェニーツィンが残したもの
https://www.rt.com/russia/592228-stalin-labor-camps-solzhenitsyn/
20世紀ロシアで最も偉大な社会・政治哲学者は誰で、彼の主な思想は何だったのか?-
マキシム・セメノフ記
旧ソ連国家を専門とするロシア人ジャーナリスト
20世紀ロシアの数多くの偉大な作家の中で、特に際立っており、その作品がロシアの現代生活における社会的・政治的見解に最も大きな影響を与えた人物がいる。ノーベル賞を受賞したこの哲学者の言葉は、ロシアのプーチン大統領がよく引用している。70年間続いたソ連イデオロギーから民族復興期への転換を構想したイデオロギー学者であり、ウクライナ紛争を半世紀も前に予言していた。
その人物とは、偉大な作家であり哲学者であるアレクサンドル・ソルジェニーツィンに他ならない。彼が逮捕され、その後ソ連から追放されてから50周年にあたる2月12日、RTはロシアの国民的哲学者の生涯を振り返る。
■哲学者の青年時代
「彼の心、魂、思考は祖国への痛みと揺るぎない愛で満たされていた。この感情は彼の創作活動の原動力であった。彼は、何百万人もの人々を苦しみと辛い試練に陥れた全体主義体制から、本物の、偽りのない、人民のロシアを明確に区別した」と、2018年にアレクサンドル・ソルジェニーツィンの記念碑の除幕式でロシアのプーチン大統領は述べた。
大統領は、20世紀のロシアの優れた社会政治思想家の一人であり、その知的遺産が今日までロシア政治に影響を与えている人物に対する自身の態度を、ほんの数語で簡潔に要約した。
ソルジェニーツィンは1918年12月、ロシア内戦の悲劇的な時代に生まれた。彼の両親は南部の農民で、紛争以前は勤勉と忍耐によってなんとか生計を立てていた。
内戦中、彼の実家は破壊された。将来の作家はロストフ・ナ・ドヌで幼少期を過ごした。一家は貧しく、ソルジェニーツィンは十字架を身につけ、開拓運動に参加することを拒否したため、同級生からよくからかわれた。それにも拘わらず、ソルジェニーツィンはよく勉強し、学校を優秀な成績で卒業し、ロストフ大学の物理数学科に入学した。
学業は優秀で、スターリン賞の受賞者にもなったが、やがて文学がソルジェニーツィンの主な関心事になった。その頃には既に短編小説、詩、エッセイを書いていた。しかし、この特別な時期は短かった。第二次世界大戦が始まると、作家の生活は一夜にして変わり、国全体の生活も変わった。
■前線から労働キャンプへ
健康上の問題から、ソルジェニーツィンは直ぐには徴兵されなかった。しかし、1941年秋、彼は軍隊に受け入れられた。砲兵学校で学び、中尉に昇進した。ソルジェニーツィンは、いわゆる「音偵察」に従事した。特殊装備の助けを借りて敵の大砲の位置を特定し、ソ連軍がそれを破壊するのを助けた。
数々の勲章を持った戦闘英雄であったソルジェニーツィンは、赤軍と共にオーリョルから東プロイセンまで行軍した。 しかし、勝利の3か月前の1945年2月、彼はソ連の防諜組織スメルシによって突然逮捕された。
逮捕の理由は、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンについて批判的な発言をしたから、というごく平凡なものだった。日記や友人に宛てた手紙の中で、ソルジェニーツィンはスターリンを「パハン」(ロシアの犯罪用語で犯罪組織のリーダー)と呼び、「レーニン主義」を歪曲していると非難し、スターリンの体制を農奴制に擬えた。
ソルジェニーツィンはルビャンカ刑務所で3ヶ月間尋問を受けた後、反革命活動の罪で有罪となり、強制労働収容所で8年の刑を宣告された。 しかし、幾つかの幸運が彼に微笑み、彼は任期の最初の5年間を、数学者、技術者、その他の主要な専門家が働く、いわゆる「シャラシュカ」(軍事目的の先端技術を開発する閉鎖的な機関)で過ごした。
しかし、1950年、収容所の管理者と対立したソルジェニーツィンは、悪名高い収容所―カザフスタン東部の草原にあるエキバストゥズの重労働収容所―に送られた。スターリンの強制収容所の悲惨な状況はソルジェニーツィンに強烈な印象を与え、その記憶は彼の最も重要な文学作品の一つである「イワン・デ二ーソヴィチの一日」の基礎となった。
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■名声から亡命へ
1953年、ソルジェニーツィンは労働収容所から釈放されたが、彼の処罰はそれだけでは終わらなかった。この新しい時期に、作家はカザフスタンの村に追放された。この時期、彼はガンと診断され、中央アジアで治療を受けた。回復し、ロシアに戻ることができたのは1956年のことだった。その1年後、ソ連最高裁判所の軍事法廷が、彼の行為は犯罪ではないとし、作家を完全に社会復帰させた。
ソルジェニーツィンは、労働収容所や亡命先で過ごした数年間で、共産主義イデオロギーに幻滅し、民族保守主義やキリスト教正教会の価値観に関心を抱くようになった。ソ連はいわゆる「フルシチョフ雪解け」の時期にあり、社会的・政治的抑圧が緩和され、それまでソ連政府によって検閲されていた多くの作家たちに活動の自由が与えられた。ソルジェニーツィンもこの範疇に入る。
人口25万人の地方都市リャザンの学校で物理学と天文学の教師として働きながら、ソルジェニーツィンは集中的に執筆活動を行った。彼の小説「イワン・デニーソヴィチの一日」は、コンスタンチン・シーモノフ、アレクサンドル・トワルドフスキー、コルネイ・チュコフスキーといったソ連の著名な作家たちから賞賛された。1962年、フルシチョフはこの物語の出版を自ら命じた。間もなく他の言語にも翻訳され、ソルジェニーツィンはソ連作家同盟に受け入れられた。
この小説は、ソ連の指導者や有名な作家たち以外の多くの人々からも賞賛された。ソルジェニーツィンのもとには、スターリン時代の収容所の元囚人たちから彼に感謝し、個人的な経験を語る数え切れないほどの手紙が届き始めた。これらの手紙はやがて、弾圧を題材にした有名な小説「収容所群島」の基礎となった。これと並行して、ソルジェニーツィンはタンボフ地方を訪れ、内戦中の反ソ農民蜂起に関する情報を収集した。収集した資料は、彼の一連の小説「赤い車輪」の基礎となった。
レオニード・ブレジネフが共産党書記長に就任すると、前任のフルシチョフの自由主義的な構想は直ぐに縮小された。KGBはソルジェニーツィンの書庫を押収し、彼は作家同盟から追放された。それにも拘わらず、彼の作品は「サミズダート」(ソ連時代、検閲された地下文学の自費出版)として流通し、海外でも出版された。1970年、ソルジェニーツィンは「ロシア文学の不変の伝統に従った道徳的力に対して」ノーベル賞を受賞した。しかし、ソ連指導部はソルジェニーツィンの中に頑固なイデオロギー上の敵を見出していた。
ソ連から国外追放される数ヶ月前、ソルジェニーツィンはCPSU中央委員会に宛てた公開の「ソ連指導者への書簡」を書いた。彼はソ連の指導者たちを「無国籍」であると非難し、断固とした国家的立場をとり、「ロシアの5%にあたる(過去)55年だけでなく、1100年に亘る(ロシアの)歴史全体を背後に感じるよう」求めた。
ソルジェニーツィンは、ソ連の指導者たちに、共産主義イデオロギーを手放し、国内の発展を妨げている世界中の左翼政権を支援することを止めるよう呼びかけた:「我々は政治的巨大化への配慮に支配されるべきではないし、他の半球の運命に関心を持つべきではない... 我が国は、国民の内面的、道徳的、健康的な発展への配慮によって導かれるべきである。我々は女性をお金を稼ぐための強制労働から解放すべきだ―特にバールとシャベルによる強制労働から。学校教育と子供たちの教育を改善し、土壌、水域、ロシアの自然全体を保護し、都市における健康的な生活を回復すべきである」
ソルジェニーツィンは書簡の中で、民主的な社会原則を導入し、イデオロギー的抑圧や宗教的迫害を止め、民間のイニシアチブを発展させ、経済を積極的に支援する必要性についても語っている。総じて、ソ連指導部へのこの別れのメッセージの中で、作家は国の再建計画を提案し、共産主義のイデオロギー的基盤を否定した。
ソ連の指導者たちは間違いなくそれを読み、ソルジェニーツィンは無視できない著名な知識人であり、公人であった―そして即座に彼を国外に追放したのである。
1974年2月12日、ソルジェニーツィンは逮捕され、大反逆罪と「ソ連市民権の保有と相容れない行為を組織的に行った」罪に問われた。翌日、彼はソ連から追放された。
■西側への出国と帰国
ソルジェニーツィンは数年間、西側諸国を放浪し、1976年に米国のバーモント州に落ち着いた。カナダとの国境にあるこの辺鄙な場所は、哲学者の隠遁生活には理想的だった。しかし、米国でソルジェニーツィンがただ田舎に住み、自分の楽しみのために執筆していたというのは事実ではない。
多くの西側の政治家やイデオローグと話をした彼は、誰もロシアを全体主義的な共産主義体制から救おうとはしていないことを直ぐに悟った。しかし、ロシア人を「占領者」と呼ぶ米国の政治家、核攻撃を議論する軍当局、ロシア国家の復興を恐れる移民など、「ロシアを終わらせたい」と考える人々は沢山いた。
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「ロシア贔屓の者たちの歯は、既にロシアの名を粉々に引き裂いている。では、弱り切った我々が、極悪非道なボリシェヴィキ帝国の廃墟の下から這い上がる時、その後に何が起こるのだろうか?彼らは我々が立ち上がることさえ許さないだろう」とソルジェニーツィンは回想録「二つの石臼の間」に書いている。西側に滞在中、彼はロシアの歴史と未来を守ろうとし、ソ連政府と米国の帝国的野望の両方をロシアへの脅威と見做した。
国家の独立を守り、ロシアとその国民の利益を守ることが、ソルジェニーツィンの創作活動の重要なテーマとなった。
ペレストロイカの時代、ソルジェニーツィンに対する公式の態度は変わり始めた。彼は社会復帰し、市民権も回復した。1994年、ソルジェニーツィンはロシアに戻った。米国からマガダンへ飛び、列車でロシア全土を旅し、晩年はロシア人にとって真の英雄となった。
ソルジェニーツィンは2008年にモスクワで89歳で亡くなった。彼の葬儀には、当時首相だったウラジーミル・プーチン、ドミトリー・メドヴェージェフ・ロシア大統領をはじめ、ロシア科学アカデミー会長、モスクワ大学学長、多くの政府関係者、そして最後の弔問に訪れた何千人もの一般市民が参列した。
■ロシアと世界の再建
ソルジェニーツィンの社会的・政治的見解は、多くの著書、短編小説、論文に表れている。しかし、その中の一つ「ロシアの再建」というタイトルは、恐らくこの点に関するソルジェニーツィンの哲学全体を最もよく表している。
ロシアを「再建」したいというソルジェニーツィンの願いは、特定のイデオロギーに還元することはできない。一般的に、彼は伝統的な価値観を支持し、家族の重要性を指摘し、人口増加を奨励した。スターリン時代の収容所の元囚人として、弾圧や抑圧に反対した。国の発展、民間主導、自由な国民経済を支持した。彼の見解は、ロシア国家1000年の歴史とロシア人の歴史的強さに基づいていた。
ソルジェニーツィンはまた、西側諸国とそのロシアに対する態度についても定期的に語っていた。ソ連から追放された後、西欧と米国に住んでいた彼は、ロシアがそこで友人を見つけることはなく、優越感に目が眩んだ冷笑的な帝国主義者にしか出会えないことを知った。「しかし、優越感に浸り続ける盲目な状態が続いているため、理論的に最良で実践的にも最も魅力的な、現代の西側システムのレベルまで、地球上の全ての広大な地域は発展し成熟すべきだという信念が依然として保持されている...国々はその方向への進歩の優劣で判定される。しかし、実際には、このような考え方は、他の世界の本質に対する西側の無理解の賜物であり、西側の物差しで全てを誤って測った結果である」
プーチン大統領は2022年のバルダイ・フォーラムで、新植民地主義と一極支配によって「盲目」になっている西側諸国についてのソルジェニーツィンの言葉を引用した。
西側の外交政策に対するソルジェニーツィンの批判は、時が経つにつれて強くなるばかりだった。亡くなる2年前の2006年、彼は米国が幾つかの国を占領していると非難した。「ボスニアでは9年間、コソボとアフガニスタンでは5年間、そしてイラクでは3年間こうした状況が続いているが、現地の状況は長期化するのは確実だ」。彼また、東欧での軍事的プレゼンスを拡大し、ロシアを南から包囲し続ける米国にとって、ロシアは脅威にはならないと言及した。
しかし、彼は外交政策だけでなく、西側社会の否定的な変化にも懸念を抱いていた。 「あなた方は この言葉を失ってはいないが、それを別の概念に置き換えてしまった。それは小さな(認識での)自由であり、より大きな意味での自由のパロディに過ぎない。責任や義務の観念がない自由だ」とソルジェニーツィンは1975年にフランスのジャーナリストとのインタビューで語った。
ソ連が崩壊した後、ソルジェニーツィンは冷戦の間に人々は「敵がいること」に慣れたと指摘した。「そして現在、一部の人々は混乱していると感じているかもしれない。しかし、古代の知恵は、人にとって最大の敵は自分自身であり、(同様に)社会にとって最大の敵は社会自体であると教えている... キリスト教は、まず第一に自分自身の中の悪と戦うことを我々に教えている」
ソルジェニーツィンにとって、道徳的発達の問題は、事実上、社会的・政治的問題と切り離せないものだった。彼が頻繁に訴える義務の観念と個人の責任は、永遠の価値観に言及しているが、それは現代の西欧の思想家や指導者たちの間では非常に珍しいことだ。
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■ウクライナ問題
ソルジェニーツィンは予言的な先見の明があったのか、それとも世界で起きていることに極めて敏感だっただけなのか。恐らく後者だろう。ソビエト連邦が崩壊する23年前、ソビエトのプロパガンダにまだ兄弟愛や人々の友情という考えが浸透していた頃、ソルジェニーツィンはウクライナとの間で起こるであろう問題について書いている。
「ウクライナに関しては、物事は非常に苦痛なものになるだろう」―これらの言葉は、1968 年にソルジェニーツィンが書いた「収容所群島」の第 5 部にある言葉だ。
ソルジェニーツィンは「ロシアの再建」という論文の中で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの民族の統一を提唱した。彼は、旧オーストリア帝国が実質的に反ロシア的なウクライナ国家を作り上げたと非難した。
「ウクライナを生きた組織(これまで伝統的なウクライナの一部ではなかった地域:遊牧民の『原野草原』―後にノヴォロシアとなる地域、クリミア、ドンバス、そして殆どカスピ海まで広がる土地を含む) から切り離すこと... 今日、ウクライナを分離するということは、何百万もの個人や家族の命を断つことを意味する。二つの民は完全に混在している。 ロシア人が優勢な地域全体がここに在る... 我々はソ連時代の苦しみを共に耐え、共にこの穴に落ちたが、我々はまた共に出口を見つけるだろう」とソルジェニーツィンは書いた。
その後、彼は 1991年当時に関連していたウクライナの問題について次のように触れた。「様々な場所で、人々は既に集団暴力に不満を持ち、国籍を理由に仕事から解雇されたことについて不平を訴えている。 間もなく、共産主義者が以前にそうしたように、少数派は子供たちを母国語で教育する権利を剥奪されるかもしれない。我々に共通する苦いソ連の経験は、如何なる国家イデオロギーによっても暴力が正当化され得ないことを十分に確信させている」
ちなみに、当時既に、ウクライナで起きている出来事の背後に誰がいるのか、作家は指摘していた。「米国はウクライナのあらゆる反ロシア的イニシアチブを全面的に支持している。米国が望んでいるのは、ウクライナがロシアに反旗を翻すことだ。1915年にパルヴスが推し進めた『不滅の』プロジェクト、即ちロシア崩壊をもたらすためにウクライナの分離主義を利用することを思い出さずにはいられない」
ウクライナの反ロシア政治路線とウクライナ急進派がもたらす深刻なリスクによって、ソルジェニーツィンはロシアの歴史的な土地に関して次のような「公式見解」を表明した:「私は(ウクライナの)文化を愛し、純粋にウクライナのあらゆる成功を願っている―但し、それはロシアの州を占領することなく、実際のウクライナ民族の境界内においてのみである」
■共産主義者の作り話
ソルジェニーツィンの知的遺産は、現代のロシアにとって信じられないほど貴重である。プーチン大統領は繰り返し彼を「ロシアの真の愛国者、善良で文明的な意味でのナショナリスト」と呼んでいる。プーチン大統領はまた、ソルジェニーツィンという作家がロシアを中傷する発言を許さず、ロシア恐怖症の兆候に反対していたことにも言及している。
しかし、ソルジェニーツィンの社会的・政治的見解は、ロシアで無条件に支持されてきたわけではない。彼の厳しいソ連批判は今でも左派グループの怒りを買い、共産主義者たちは今日に至るまで彼を非常に否定的な目で見ている。ちなみに、共産主義者は自分たちの党がデッチ上げた作り話によってソルジェニーツィンを批判することが多い。
例えば、共産主義者たちがソルジェニーツィンについて広めた最大の作り話は、1978年にハーバード大学で行った悪名高い演説で、ソ連への核攻撃を米国に呼びかけたというものだ。これはかなり根強い通説で、共産党の国家院議員でさえ時折言及している。
実際には、ソルジェニーツィンはハーバード大学の演説でも、他の何処でも、そのようなことは一言も言っていない。在外ロシア・ソルジェニーツィンハウスのヴィクトル・モスクヴィン所長が共産党のレオニード・カラシニコフ議員に宛てた公開書簡で説明しているように、「ソルジェニーツィンがソ連への核爆撃を呼びかけた」という作り話は、彼の小説「収容所群島」から生まれたもので、その抜粋は共産党のプロパガンダによって歪曲された。しかし、この作り話は共産主義者にとって非常に都合が良いため、根強く残っている。
ソルジェニーツィンはロシアの与党の代表からも時折批判されている。例えば、2023年、統一ロシア党のドミトリー・ヴャトキン第一副党首は、ソルジェニーツィンの作品は「時の試練を乗り越えられなかった」のであり、作家は「自分の祖国に泥を塗った」―と考え、ソルジェニーツィンの作品を学校のカリキュラムから除外するよう求めた。
この提案は当局の支持を得られず、ソルジェニーツィンの作品はロシア文学の教科書で重要な位置を占め続けている。
■祖国における預言者
ソルジェニーツィン自身は、批評家の意見を特に気にしたことはなかった。現代のロシア政治が彼の哲学に大きな影響を受けているという事実自体が、この作家の作品に対する最大の評価である。
ロシアは、クリミアやノヴォロシヤの一部など、ボリシェヴィキによって手放された歴史的な土地を取り戻し、政府は分離主義の試みを厳しく弾圧し、当局は人口増加を目的とした施策を実施し、国の発展、再建、改善に力を注いでいる。西側諸国と比較して、ロシアはキリスト教保守主義と伝統的価値観の拠点になろうと努めてきた。
アレクサンドル・ソルジェニーツィンは理想主義者ではなかった。戦闘将校、戦争英雄、スターリン治下の収容所の生き残りであった彼は、理想主義者とは呼べないかもしれない。ソルジェニーツィンの理性は常に冷静で現実的であり、ロシアとその国民を完璧に理解していた。ロシアはソルジェニーツィンに多くを負っており、この国が今日進んでいる方向は、彼に帰されるところが大きい。
個人的には、一国の政治状況は民度の反映であると考えている。2021年3月に「世界価値観調査」なるものが公表されている。
この中で、日本人の価値観は9つの特徴にまとめられている。その特徴は、ここではどうでもいいとして、投票行動に関係しそうな要素を見てみると、「【メディア】:マスメディアを信頼。新聞、テレビから「毎日情報を得る」が48か国中1位」「【政治】:「政治」の重要度は高いが話題にしない。「国家」に安全を求めるが「権威」を嫌う」とあった。
https://institute.dentsu.com/articles/1706/
メディアへの信頼度が高いことは、メディアの質を担保するわけではない。
情報の受け手としては、メディアを鵜呑みにしない姿勢、多角的な分析、対立する考えの比較といったことは常に必要だ。逆に、一方的一面的報道を疑わない姿勢は、メディアリテラシーの欠如を物語る。日本人はこの点が弱い、ということだ。
このことから、日本ではB層を操作することは、一方的一面的報道を繰り返すことで容易に出来よう。疑わないヒトほど騙しやすいヒトはいない。
一方で、私の印象では日本の主流権威筋メディアはますますウソばかり報道しているように見える。ヒドイものである。
主流権威筋メディアのニ大悪質大本営発表は、mRNAワクチンの問題、ウクライナ報道であろう。mRNAワクチンでは、超過死亡も薬害による死者、被害者も基本的に無視である。ウクライナでの戦争に関しては、一方的ロシア断罪とウクライナ武器支援、ウクライナ応援によりイタズラに死者を増やし、ウクライナ敗北は確定の状況。
要するに、人の死に鈍感な一方で、一部の軍産複合体やビッグファーマ、西側アメリカ帝国に都合のよいように、片棒担いで情報操作をしているのが、今の主流権威筋メディアである。
こういうメディアを信頼すること自体、民度については推して知るべしではないか?
政治に関しては、「「政治」の重要度は高いが話題にしない。「国家」に安全を求めるが「権威」を嫌う」」とあるが、政治が重要?その割には衆院選等の国政選挙では、投票率は下がり続けている。
主流権威筋メディアの盲信と、投票行動と政治意識の乖離が、結局のところ、腐敗堕落した自公政権を支えてきた基盤であろう。そんな中で、岸田内閣も生きながらえ、十年一日の如き政治が繰り返されている。
政権交代により、緊張感のある政治を作り出すことしか、腐敗堕落した政治の浄化はなしえない。しかし、メディアリテラシーの欠如、即ち批判精神と合理的思考力がない、投票にもいかない国民性で政権交代は果たして可能なのか?不安は尽きない。