1937年盧溝橋事件が起こり、日本は中国本土で戦いに入っていく。1941年12月真珠湾攻撃に突入する。こうした世相は当然絵画の世界にも影響を与え、1938年6月には陸軍省が大日本陸軍従軍画家協会を結成、陸海軍省は戦地へ従軍画家を派遣。現地部隊とともに行動する従軍画家には小磯良平、藤田嗣治、宮本三郎ら多くの画家がいた。1939年4月陸軍美術協会が創立、 同年7月には「第一回聖戦美術展」が東京府美術館で開催され、1943年5月には大日本美術報国会が横山大観を会長として創立された。軍部は積極的に画家の戦争協力体制を強めていく。
こうした情勢の中、1942年松本竣介は「立てる像」を描く。
文化遺産オンラインはこの絵について「戦後まもなく36歳で没した松本竣介の代表作。都会の風景と人間とを静かに見つめた松本竣介のこの作品には、静まり返った街に両足を踏ん張って立つ青年像が描かれている。仁王立ちをしながらも
孫崎享のつぶやき
随想⑪ 松本竣介立てる像 1941年『みづゑ』に寄稿「芸術一般に於けるヒューマニティは普遍妥当性を持った外延量となるのである。如何に国家、民族性を強ひようとも、ヒューマニティの裏づけがなければ、内包量の拡大は望まれない。」(大東亜共栄圏への批判)。そしてすくっと立つ自画像を描く
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
新着記事
- 全国高校駅伝 男子予選会、佐久長聖(長野)が優勝争いの最右翼(毎日)地区予選①大牟田2.03.25、②仙台育英2.04.00③八千代松陰5000m。平均タイム①佐久長聖13.56②仙台育英14.04③学法石川、女子神村学園(鹿児島)、仙台育英(宮城)、大阪薫英女学院の「3強」(毎日) 7時間前
- 『私とスパイの物語』出版の顛末。よく出版できたと思う。ワニブックスの川本悟史氏に心から御礼申し上げます。当初の出版予定社社長より「この本は読者がつきませんよ」。つまり出版しない意思表明。困りました。この本には山上氏に夜殺害を否定する「安倍晋三元首相の殺害問題」が入っている。 1日前
- 欧州経済の終末、停滞、競争力の低下、トランプの難題。大陸は「存亡の危機」に直面。 EUがイノベーションの砂漠になっている。欧州の首都はすでに、税収が減少する中、急増する赤字の抑制に苦戦している。その結果として、極右と左派が体制を攻撃する機会を捉えて政治を急進化させている 2日前
- 米国世論調査、問「コロナワクチンは最も致死性の高いワクチンか」答え米国全体yes27%、民主党支持者yes17%、共和党支持者yes40% 3日前
- ドイツ。ショルツ首相は三党連立政権崩壊後、信任投票を提示し394対207の投票で現政権の解散を可決、困難で不安定な政治の新時代を反映。低迷する経済、インフラの破綻、移民、政治的両極端の台頭、トランプ政権での関税、安全保障問題等の難問。世論調査保守的なキリスト教民主党がリード。 4日前
コメント
コメントを書く>「...言ふことを聴かないものには配給を禁止してしまふ。又展覧会を許可しなければよい。さうすれば飯の食い上げだから何でも彼でも駄いて来る。」
これぞまさにヌーランドの論理、即ち米国(DS)の論理でないか。
これを言い放った鈴木某のような人種は、今なら平気で米国に隷従するに違いない。「下に平気で土下座させる者は、上には平気で土下座する」―この伝の通りだ。
> 戦時中ほとんどの画家が軍に隷属した中、自らの足で、すくっと立っていた画家がいたのである。
松本竣介が今生きていれば、この画家が米国に隷属することもあり得ないだろう。
プーチン、習近平も米国への隷属はあり得ないが、第一に、両者は相応の実力行使ができるからだ。松本竣介にそんな力はないが、深く考える力がある。そうして自己の中に本物の誇りを生じさせ、それが自らの人生で掛け替えのない「ボス」となる。「生計が保たれていければ、それまでのボスが別のボスに切り換わっても別に大したことではない」―これの対極にある生き方だ。突き詰めて考える習慣があってこそだろう。それは、SNSで日々「お題」を頂戴しては「大喜利」よろしく吐き散らすだけのクズカスどもには全く理解できないことでもある。
「言うことを聴かないものには配給を禁止にしよう。、、、、、飯の食い上げだから、、、、」の発言が下劣ですね。品が無い。でも、今もいるようですよ。百田なんかそういう風に見えますね。日本のB層にもそういう下劣がうようよしているように感じますね。
松本竣介さんはFIGHTERですね。尊敬いたします。
小説家では大菩薩峠の中里介山ですね。山本周五郎も戦争が大嫌いで反抗してました。一度だけ特攻隊員の出撃前の隊員を前に弁士として話さざるを得なかったことを戦後非常に悔いていたのです。同世代の菊池寛や大仏次郎が戦争礼賛で美味しい食事にありつけていたのを軽蔑してました。戦後菊池寛が山本周五郎に直木賞を上げようとしたら戦争犯罪人から賞をいただく訳には行かないときっぱり断ってます。
最後に一言。
藤田嗣治について画家の野見山暁治氏が次のように書いてます。
「あの時僕は美術学校の生徒だった。アッツ島玉砕の図。大きな画面の横に作者の藤田嗣治が立っているのを見た。敵も味方もない、凍てついた死の群像を目の前に突き付けられて、そのリアルな筆致に、それが戦争かと僕は脅えたものだ。間もなく戦場にひきづり出される身にはもう逃げようがない」
この藤田は戦後日本の画家連から「お前が一番の画家だったからマカーサーに代表して詫びを入れろと請われたのに失望して日本を捨てフランスに逃亡しフラン人になったのでした・
等身大の自己の「自我」を表現したものと受け取った。
「唯我独尊」であるが、静まりかえった街にすくっと両足を踏ん張って立つ姿。
まなざしには、世相に流されないという強い意志が伝わってくる。
名誉・地位、お金を離れた独自の領域に身を置いているのでしょう。
>>6
1941年の大日本帝国と2024年のロシアとは前者がファシズム、後者はロシア系住民に加えたネオナチのジェノサイドの阻止です。