ワシントン・ポスト「日本被団協、核兵器廃絶への取り組みでノーベル平和賞受賞(Nihon Hidankyo wins Nobel Peace Prize for work on nuclear weapons abolition)、広島と長崎の日本の原爆生存者グループが、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みが評価され、ノーベル賞を受賞した。
ノーベル平和賞は金曜日、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みが評価され、日本の原爆被害者の団体である日本被団協に授与された。
ノルウェーのノーベル委員会委員長ヨルゲン・ワトネ・フリドネス氏は、このグループは「核兵器は二度と使用されてはならないということを、目撃証言を通じて示した」ことにより受賞したと述べ、世界的に不安定化する戦争のさなかに切実に必要とされていた思い出を思い出させた、と述べた。
日本被団協は、1945年に広島と長崎といった日本の都市の大部分を
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平和、人権、民主主義は、理想主義であり、戦争、差別、独裁主義は、現実主義であり、対立である。
大戦後、米国のもとに世界が管理されてきたが、中国、インドなど新興国の台頭は、対比の段階から紛争、戦争の対立に移行し、現に西欧と中東で長期間の戦争が続いている。
今後起きると予想されるアジアの戦争は、日本、韓国が核を保持すれば、一気に世界戦争の様相を帯びてくる。米中とも扱いに困る事態に発展する。何故なら日本は唯一の被爆国であり、その被害から向け出ていないので、報復という西欧の概念からは、大きなリスクを抱えている。
今回の受賞は、中国に対する友好国であると同時にリスク国である日本(平和賞受賞)、韓国(文学賞受賞)の存在を世界に知らしめたものであると見ている。
ノーベルのダイナマイトはバイブルに明記されているザイアニズム(シオニズムとも言われる)に火をつけて、イギリスのボーア戦争を引き起こしたのです。これは黒人のアフリカ全土をイギリスが独占所有するための戦争でした。
この種の戦争は今日も展開されているのです。一つはウクライナ戦争、もう一つはパレスチナ戦争です。これさえ終われば、ザイアニズムは消滅します。それはあたかもナチズム、ファシズム、日本の神道ミリタリズムがソ連と米国が代表する連合国軍により敗北に追い込まれて消滅したごとく消滅するのです。
ザイアニズムが消滅すれば、核兵器の凍結は現実化され、BRICS主導で国連が強化されて、国連軍が強化され、核兵器廃絶が完成するでしょう。
ノーベル委員会はそういう時代の流れを感じていることでしょう。
>>1
アジアの戦争は起こりません。日本、韓国は核を持たないです。一部の日本の自称右翼が核を持ちたいとか喚いてますが、駄々っ子の妄言です。
中国が唱える「互恵」が世界を支配します。ノーベル委員会はそれに気づき儒教の韓国と儒教の日本に賞を与えるのです。
日本は核武装するべきだ、という主張がある。勿論、私は反対だ。以下に理由を述べたい。
核武装を主張するムキには、アメリカ帝国から「独立」するためには、日本も核武装する必要があるという見解があるようだが、これはあまり説得力がない。核武装していなくても、アメリカ帝国の傀儡ではない国は沢山ある。
核武装論者は、よく日米安保体制において、核の傘は存在しないという。それはそのとおりであろう。加えて、日米安保条約の内容からするなら、NATOと異なり、アメリカ帝国に日本の防衛義務は“無い“に等しいから、核の傘は勿論、通常戦力によるアメリカ帝国の日本防衛や支援加勢もアヤシイというか、無いだろう。つまり、日米安保体制は有害無益だ。
だから、日本は核武装して自主防衛するべきだ、と言う。
しかし、この論理はオカシイ。何故なら、前提に先に述べたような、日本には核の傘はない、という事実現実をおいているから。
核武装論者が言うように、核の傘がないから、日本は“侵略“を受けるキケンがある、というなら、最初から核の傘はなかったのだから、日本はとっくに“侵略“されていたことだろう。だが、現実には日本は戦後、他国の武装勢力の侵略は受けていない。従って、侵略を受ける可能性を核により抑止するという論理は破綻している。
従って、核抑止理論はあまねくどんな国にも適用される普遍的理論ではなく、ある時代背景即ち冷戦下の特殊事情や条件の下に成立した遺物的理論であろう。
そのことは、核兵器保有国が世界の圧倒的少数派であることからも証明されている。核兵器保有国は、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮、の僅か9か国である。核抑止理論が普遍性を持つなら、全ての国が理論的には核武装を求め、そうしないと安全保障が成立せず、キケンだ、となる。が、実際には、そうはなっていない。
安全保障は核抑止理論だけが、唯一の正解ではないという所以である。安全保障は軍事力だけでなく、国際協調や平和友好関係によっても担保されている。
それに可笑しかったのは、ロシアの特別軍事作戦を国際法違反だー!、などと言い立てる御仁が、一方で日本は核武装すべし!!みたいな御高説を言い立てていたのを目にしたこと。日本はNPT(核拡散防止条約)を批准している。日本の核武装は、それこそ国際法違反だ。ロシアの国際法違反を言い立てながら、日本にNPT条約違反をとく、非論理には笑った。
ともかく、日本は唯一の被爆国である。原爆投下による大量虐殺という悲惨な経験は、日本人の道徳的規範意識を高めた。核兵器による悲惨を知っているからこそ、人類の有るべき姿、モラルを語ることが出来る。このことから、道徳的論理的に導き出される姿勢は、非核武装以外にはない。被爆国が核抑止力に頼ることは非論理、不道徳である。
この件で母と話していたら、母は中学生だかのころ(1970年代)、森瀧市郎の講演を学校の体育館で聴いたことがあったそうだ。
当時母は広島県の学校に通っており、たぶん教師に広島大学の卒業生とか広島県被団協の関係者協力者とかがいて、森瀧市郎を呼んだのではないかといっていた。母は講演の内容はまったく覚えていないが、森瀧市郎のたたずまいがなにか強く印象に残ったという。そして今でもすべての核兵器に反対している。
そういう母に育てられたわたしは、核不拡散の立場から、不平等条約であることは十分理解しつつもNPT体制に賛成していたが、ロシアが核恫喝しつつウクライナ侵略するのを見てから、考えをかえた。今では北朝鮮の核保持に反対していないばかりか、韓国も台湾もフィリピンもベトナムも、ほかの国々も、そして日本も、核兵器を持ちたければ持てば良いという考えになっている(持ちたくなくても持つべきだといっているわけではない)。
ただし、核兵器は持ってからも長く悩ましい道のりだ。持てば終わりなのではなく、むしろ持ってからはじまるのだ。こんなことは、北朝鮮を見ているだけでもわかるのだが、最近もまったくわかってないヒトがいておどろいた。それでも、持っているかいないのかには大きな違いがあることは確かだ。
孫崎さんは、今はどうなのか知らないが、いっとき核兵器禁止条約にシンパシーのある記事をよくのせていた。しかし、ロシアのウクライナ侵略に賛成している。そればかりか、ロシアの核恫喝を批難する記事は(わたしが記憶する限り)一度もあげたことがない。もはや、核兵器禁止条約にシンパシーがあるなどとは主張できないだろう。
孫崎さんだけではない。フレディさんは、わたしが問うたとき、ロシアによる先制核攻撃に賛成した。また、ロシアは核保有国だからウクイナが勝てるわけがないという論理で(つまりロシアによる核恫喝を肯定しているわけだ)、ウクライナはさっさと負けを認めるべきだという議論を展開したヒトもいる。
こういうヒトビトの人間性を統一的に理解するには、どうしても、むかしむかし共産党が主張していたという(そして被団協も迷惑したという)「中国やソ連の核兵器は良い核兵器」という補助線を引かざるを得ない。ただし、今では中共もロシアもそのころとは別の国だ。それでも同じ主張を換骨奪胎して続けている。
まことに病は深い。
>>5
ロシアによる先制攻撃に賛成した。
確かに賛成しました。それは仕掛けられた戦争で主権が敗北にもっていかれそうになったら核を使うという意味です。
ネトウヨごとき諸君らにはこれまでも何度も言ってきているが、諸君らが頑なに理解しようとしないことは、現在、展開中の戦争がザイアニズムという英米ウクライナイスラエルのカルトによって起こされているということです。
第二次大戦はドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本の神道ミリタリズムというカルトが戦争を仕掛けたが、木っ端みじんに粉砕されたということには諸君らは知ってますよね?
現在、それらカルトがザイアニズムに変換されているのです。
日本を守る、とか妄言を石破とかが繰り返しますが、日本を攻める国は無いのです。スターリンやトロッキはもういません。ロシア、中国は日本に互恵を求めているのです。
この妄言は米国に誅されないための合言葉ではないでしょうか。
米国のザイアニズムはユーラシアの支配を視野に入れてます。しかし、そのザイアニズムも風前の灯です。日本のメデイアが国民を無知蒙昧に追い込んでいるから、その消えかかっている灯を感知できないのです。
その日本のメデイアはザイアニズムに支配されいるから、どうにもならない状態です。
>>5
>ロシアが核恫喝しつつウクライナ侵略するのを見てから、考えをかえた。
この事実認識の明らかな誤り、或いは認知の歪みも核武装論者には特有なのかもしれない。つまり、核武装論者は適当な、いい加減なハナシをしているのではないか?
そもそも、ロシアが“核恫喝“しているのはNATOに対してである。
https://sputnikglobe.com/20240926/kremlin-calls-proposed-changes-to-russias-nuclear-doctrine-signal-to-unfriendly-states-1120295843.html
https://www.rt.com/russia/605430-larvrov-retaliation-west-ukraine/
RTからの引用。
-------引用ここから-------
モスクワは現在、核保有国に支援された非核保有国による攻撃をロシアの核報復攻撃の引き金となり得る条件に盛り込むよう、核政策を改訂している。
キエフは数ヶ月前から米国とその同盟国に対し、ロシア国内奥地への長距離兵器による攻撃禁止を解除するよう求めており、戦場での最近の失敗は西側諸国の消極的な態度のせいだと非難している。
-------引用ここまで-------
NATO諸国の長距離ミサイルの運用には、米軍他NATO加盟国の軍事衛星による目標設定等の支援が必要不可欠なのであって、それ自体がNATOによるロシア攻撃である。従って、ロシアが戦術核を含む反撃を示唆するのは論理的必然である。
にもかかわらず、「ロシアが核恫喝」等というのは、状況がまるで理解できていない浅はかな認識である。アメリカ帝国らがウクライナ軍事支援を止めれば、ただちにウクライナ敗北により停戦が実現する。その事実現実を理解できていないか、偏向した嫌露感情により正常な思考が出来ていないのではなかろうか?
>そういう母に育てられたわたし
ロシアを国際法違反と言い立てたにも関わらず、日本の核武装を主張し、NPT違反即ち国際法違反を声高に叫ぶ、非論理とご都合主義。「ロシアが核恫喝」しているのは、NATOに対してである。それを非難するのは、あまりに偏向したバランス感覚の欠如である。このような感覚は、嫌露感情による非論理的脊椎反射の類いだろう。
つまり、「ロシアが核恫喝」等というヨタ話を日本の核武装の正当化に持ち出すムキには、少なくとも論理的思考力の欠如を疑わざるを得ない。
事実現実を正しく認識出来ず、論理的思考力も欠如したヒトが語る核武装論は、それ自体キケンだ。だから、言論としての価値は低い。マッタク、シャシャリ出てこないで、黙っていた方が良いのものを。
>>5
>こういうヒトビトの人間性
>まことに病は深い。
失笑である。ナントカニ・・・ツケル・・・
イヤ、止めておく。憐れだから。
上記を語った御仁は、核武装論者である。核武装論者から人間性云々を核武装反対派が言われる筋合いはない。
そんな道徳的論理的思考力もないのが、りゃんである。
因みに、核武装しているNATOに対して、ロシアが“核恫喝“するのは、単なる論理的合理性に過ぎない。
思考力が欠けている脊椎反射ビトには、それは分からない。笑ってしまう。
皆さん、見ていると面白いですよ。りゃんは、この指摘にどう対応するか?見物です。