私は最近、週刊ポストで天木直人氏と対談した。
彼はイラク戦争当時、自衛隊のイラク戦争に反対した。それで外務省と対立し、2003年 『さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない』を講談社から出した。
数年前か、週刊金曜日で天木氏と対談したが、彼はその時、「外務省を辞めてから外務省OBや現役と話したことはない。同期と地下鉄のプラットホームであっても、目をそらす」と話していた。
私の場合も、外務省現役は「嫌な奴」と思っていると思う。これだけ現在の外交政策を批判しているから当然と思う。
外務省の姿勢を明確に批判しているOBは私と天木氏に加えて、TPP問題で、谷口誠氏、原発で村田光平氏で、この両名とは現在も時々意見交換をする。特に村田光平氏は原発で、さまざまな嫌がらせ、マイナスを跳ね返し頑張られていられる姿には敬意を表したい。
昨日夕方、家内と一緒に地下鉄に乗ると、ある外務省OBと目があっ
コメント
コメントを書く人間って、多くの人は二面性を持って生きているのではないか。何も外務省の限られた人でなくても、官僚だけでなく、マスコミ関係者も、企業人も、公式の場では、「原発推進、TPP賛成」であっても、家庭とか、気のおける仲間の間では、本音で語ることがある。
競争の極度に進んだ社会は、米国であり、TPP問題は日本より深刻である。競争による弊害が如実に出ており、貧困社会が一層拡大するからである。
日本の場合は、反対する人の多くは勉強している人であり、大きく捉えれば自立した人々であり、それほど深刻な問題になるとは思えない。問題は、マスコミ報道による50%弱の賛成者である。良く分かって賛成している人は、2~3割であり、殆どの人は良くわからないが、政府のすることは間違いないと信じている人である。そのほか良くわからないという人も貧困層に下落する率が大きいのではないか。
マスコミは絶対に米国の貧困層を取材することはなく、貧困層は、北朝鮮、中国の実態であるような誤った報道を流し続けています。海外旅行をしている人は、韓国の発展、中国の発展に目を見張る人が多いのですが、海外旅行しない人には、中国の実態が全く分からず、貧困社会であるかの如く錯覚している人が多いのではないかと思う。
外務省職員の「10%位は日本はどうあるべきか、真剣に考えている」って本当ですか。
日本の官僚は昔から、「自分の頭で考えること」を禁じられていたのだと思っています。だから、戦前はドイツに追従し、戦後は米国に盲従しているのではありませんか。TPPなど、明らかに国益を喪失することにも、米国の言いなりになりました。国民の圧倒的な意見に押されて、一旦は原発の廃止を決めた民主党政権が、米国に批判されただけで取り下げてしまったのも、沖縄の米軍基地建設を強行するのも、みんな対米従属のためです。
官僚たちは国民の税金で生活しているくせに、国民をいじめ、米国のために仕事をしているのだと思います。
孫崎氏をはじめとする原発反対の人々の根本的な誤りは:
太陽光、風力、地熱などのrecyclable(再生可能)発電などは現代の人類社会が必要とするエネルギー量(時間当たりのエネルギー量)に対して、最も野心的な計画でも、50%程度であり、現状では10%に達していない。現代の科学を基礎とする限り、どんなに少なく見積もっても50%は従来型の化石(石炭、石油)燃焼発熱、またはウラン鉱石などの核分裂発熱による発電に頼らざるを得ない。化石発電、原発は共に鉱石の残存量が有限である点が基本的な問題ではあるものの、近未来まで人類社会の需要を賄う上での最も確実な方法である。その重要な一部であり、今後さらに世界的に技術的な進歩が見込まれ、核融合まで進化し得ると思われる原発を日本だけが放棄するのは馬鹿げた思想である。先進国中、ドイツだけが原発放棄を唱えているが、かの国は先年、人種の純潔という馬鹿げた思想に取り付かれてユダヤ人を撲滅しようと図ったという経歴を持つ(全国民が一致してユダヤ人を迫害したという事実を忘れ、ヒトラーという個人にその過ちをおっかぶせて、さも良い子ぶっていることは恥ずかしくはないのか)国民であり、複眼視のできない国民から成る国家であることを忘れてはならない。地震・津波に対しても抵抗力を持つ設備を運転し、燃焼済み燃料の処理に対する技術を開発して、安価で、確実な電力エネルギーを得ることこそ、文明国としての日本が進むべき道である。
>>2
「官僚たちは国民の税金で生活しているくせに、国民をいじめ、米国のために仕事をしているのだと思います」とは、完了に対してひどい言葉ですね。官僚もヒトであり、化け物ではありません。彼らは人並み以上に知能が高く、その結果、学業に優れ、数ある選択肢の中から、官僚という職業を選んだ職業人に過ぎません。彼らが権力を持っていることは事実ですが、彼らに権力を付与したのは、一般民衆です。彼らは権力を与えられるのと同時に、民間企業の従業員に匹敵する激しい勤務と責任が彼らを待ち構えているのも事実です。ろくに働きもせず、世の中の波に漂っているだけの気楽な人々には官僚を批判する権利すらないでしょう。また、官僚の権力は民主主義の国家においては、法律を基にしたものであり、純粋に彼らの恣意に基づくものは、仮に存在するとしても限界的なものでしょう。もし、官僚の権力が不当であるとするならば、法律を訂正すべきでしょう。おしなべて、官僚に対しては国家、国民の福祉の実現に努力している人々として、妥当な尊敬をもって接すべきです。それができない人は、要は他人の尊厳を認めることのできない、自分勝手なわがままなヒトであると言わざるをえません(もちろん、官僚に対しては黙って頭を下げろと言っているわけではありません)。