孫崎は西京寺(主人公、34歳)を見て「老婆心だけれど、忠告していい。尖閣諸島で今の立場をとっていれば、必ず外務省の幹部と衝突をする。左遷ということも起こるだ
ろう。でも左遷を恐れるな」といった。
「左遷を恐れる気持ちをなくすれば、外務省って、実に多くのことを出来る組織だ。世界のどこへ行ってもそこには国家がある。人々が暮し国を作っている。その人達と協力をしようと言うのだから、どこへ行っても仕事が山のようにある」と述べた。
「西京寺くん。君ロシア語だろう。
左遷されたらどこかへ飛ばされる。
まあ、ウズベキスタン位だろう。
ウズベキスタンと言うのは地の果てだ。
世界に海に囲まれていない国がある。モンゴールやアフガニスタンがそうだ。
でも、周りに海の無い国だけに囲まれている国があるのを知っていますか。
あるんです。それが ウズベキスタンです。アフガニス
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小説外務省は手配中であるが、まだ入荷の連絡は来ていません。楽しみにしています。
この小説の一部を読みながら、私の頭に、西郷南洲遺訓がすっと湧いてきました。
聖賢,士丈夫あるいは君子としてのあるべき姿を一部抜粋します。
30「命ちもいらず、名もいらず、地位も全ていらぬ人は、始末に困るもの也.此の始末に困る人ならでは艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」
現在は、政治家、官僚に於いて、死語に等しいものになっているのでしょうか。己を愛するのでなく、己を捨てる、忘れる精神が、公僕としての必須条件であるが、この精神が欠ける現状において、未来を己の力によって引き寄せることはできないのでしょう。
これはすごいです!!!
この精神でこそ隷属性をこえられます。
いいですね。感動します。
この村社会国家日本では財産はいくらあるかとか、組織人だったら最終地位がなんだったかとか、グルメがどうかとかが、人間の価値を決めているようですが、とても下らん。
文豪山本周五郎は「人間の価値は人生で何をしたかでなく、その人間が何をしようとしたかで決まる」といいましたが、正解だと私は思います。
昔、束の間彼の地を旅行し、人気の街だけ周ってきましたが、
> ウズベキスタンと言うのは地の果てだ。
その寂寥感は味わい損ねました。もっとも、カラカルパキスタン共和国-そんな「共和国」があることも今の今まで知らず、件の美術館など知る由も無く;)
孫崎さんが外務省時代、大先輩の方から「調査なくして、発言なし」と諭されたエピソードがありましたが、旅にも「調査なくして、感動なし」との面があるかと。
それでも良い旅でした。とくにブハラは良かった。毎日見事なモスクに出掛けては、人も疎らな中庭で2時間くらいただボーっとしたりしていました。
本題の「左遷を恐れるな」-そう言われても恐れる人が殆どですが、こうして孫崎さんのような恐れない実例、生き様を若い世代にどんどん示して、先ずは「処世術だけでいいのか?!」と自問する人が増えて欲しいですね。
生命には自己保存へ向かうベクトルと変異を入れこんでいくベクトルの二つが存在します。前者が主なベクトルですが、多様性や変異体を生み出す、いわばトリックスターのような存在が内包されています。こういうものは通常の状態では淘汰される側ですが、状況が変わったときやブレークスルーが必要なときに活躍する訳です。決められたレールの上から離れることは、自殺行為であることが多いですが、そういう決断が必要なときもあるとしか言えないですね。それは環境が選択するのです。現在の進化論に従えば。進化が必ずしも論理や科学のまな板ののっているのかは定かではありませんが、生命が変化し進化してきたのは事実です。そしてその進化は、決められたレールの上から離れた集団によって形作られてきたのは間違いないでしょう。振り返るに、いまはどんな時代なのでしょうか?まだ殺されそうですね。