『走るひと』よりToshi-low
・キックボクシングの石井宏樹に「Toshi-lowさん、30分走れば、何をやるにもなんとかなります“といわれて。凄く正しくて本当は秘密にしておきたい。
・3か月位して変化、持久力がついてくるのが一番初めに体感。
・俺は一朝一夕でできるようなことなんか大したことないって思っていて。ランの本当の成果が出てくるのは時間がかかるから。
・走り出して初めの5-10km位できつくなって「何やってんだろう」と思うし、30km超えたら「なんでこんなことやっちゃったんだろう」って後悔だらけになる。でもその先に何かある。。。。それが何かっていうのは、たぶんやったひとにしかわからないんだけど。その”何か“を形にしようとする力が身につけば、まったく違う人生になっていくんじゃないかと思う。
・すぐには本当の成果が見えなかったとしても“30分走る体力”はどっかで必ず役にたつよね
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ジョッギングは60歳で止め、その後15年間は毎日一万歩の散策。頭を柔軟にするために仏教経典、仏教哲学書を読んだり、書写したりしています。海外旅行もヨーロッパ中心から、アジア各国を旅行しましたが、そろそろ世界の中心になる中国を主体にしたいと思い中国語にトライしています。頭が固くなり記憶力の老化がはなはだしいが、訓練しているうちに、頭に多少は残るようになりました。会社に勤めていれば、暇を作ろうとしても、暇をくくれないが、退職後の人生は、すべてが自己責任、暇にしようとすれば簡単に暇になるし、前向きにトライしようとすれば無限に広がっており、自己選択に任されています。
この孫崎さんの自由な発言の場の提供は、利用の仕方いかんで、自己啓発が限りなく可能です。私のような高齢者でなく、若い人たちが、考え方は異なっているかもしれないが、高齢者の愛する日本がいつまでも平和であってほしいとの切なる願いを理解し、どんどん発言し、自己改革というか自己研鑽に挑戦してほしいとの思いを強くしています。
走り始めてもう28年になります。最初は2キロから3キロでしたが、だんだん距離が伸び、10キロレース、ハーフ、フル、100キロ、140キロ、ついに250キロレースに参加するようになりました。そして今年の5月2日に山口県で行われる萩往還マラニックで250キロレースの10回完走の表彰を受けるまでに成長??しました。但し、今年の250キロレースはリタイヤしました。リタイヤしたため毎日ちょっと気が晴れません。この悔しさをバネに来年は必ず完走します。現在、68歳ですが、仕事(トレーディング)と走りと読書がバランスよくいってます。その中でも、走りが生活のリズムをリードしてくれます。体調もよく何を食べても美味しいです。走る仲間もたくさんおり、本当に走って良かったと思います。 jinbei21
余分な脂肪を燃やしたい人は30分でなく1時間。
走りはじめて30分後から燃えはじめるのです。
余分な脂肪ってやつは。
孫崎さん。ジェイムス・F・フィックス著「奇跡のランニング」
クィック・フォックス社を読まれることをお薦めします。
アマゾンをあたってみては。
折角の前向きな「ジョギング習慣」に水を差すようなことを言います。
私も初老の61歳ですが、ジョギングやマラソンを習慣にしたことは一度もありません。
医学・生理学的には、「ジョギングやマラソン」は基本的に痩身(体重が軽い)の方で
ないとできません。「人の生涯における心拍数」はほぼ決まっており、上記運動は過度な
運動に当たり、私はお勧めできません。医師や厚労省、薬剤師、マスコミは嘘をつきます。
「高血圧症・高脂血症・高コレステロール症」「メタボ症候群」などと国際標準とはほど遠い
低い数値を基に、日本人の老若男女の大半を病気だと決めつけています。
その心は「ズバリ!薬を売るため」です。「日本の医療の現状ではガンになれば終わり」です。
病院に行けば「患者が苦しみ、大金をはたき、そして殺されます」。
私は「ガンになれば決して病院など行きません」「自宅で、畳の上で自らの意思で死にゆきます」。
ガン患者には「痩身の方が多いのも事実です」。マラソンやジョギングよりもウォーキング程度に
留めおくのが最良だと思います。自らの体は自らが守る。医師や病院は助けてはくれません。
孫崎氏にも一言言わせてください。もう喜寿を迎えられているはず。ジョギングからウォーキング
へと切り替えられてはいかがでしょう。孫崎ファンの一人としていつも心配申し上げております。
以上、水を差すような発言をお許しください。決して悪意はございません。
ガランサスからの訂正
孫崎氏を「喜寿」と記したのは「古稀」の誤りでした。
走れる人が私は羨ましい。
私の郷里では小中高を通じて生徒全員が毎年一回マラソン大会に参加させられました。私は人一倍負けず嫌いでしたから、大会が近付くと練習しました。でも結果を出すことが出来ませんでした。練習なんか全くしない友達たちが上位で完走するのです。私は惨めな思いを10年間し続けたのです。その挫折感からか、ジョギングにせよ、自分が走るということはとても考えられません。「だから人の悪口ばかり言っている」と言われれば、「なるほどそうかな」と肩身の狭い思いにかられます。
ラナーズハイという言葉がありますが、そういう多幸感を体験できずに生涯を終えるというのは、何だかちょっと淋しいです。しかし、東京オリンピックで私と同年齢の円谷選手が銀メダルを取った力走は、走ることを諦めた人間だからこそか、今もくっきりと思い浮かべることが出来ます。
あまり書くことも思いつかないのですが、少しだけコメント書き込ませてもらいますね。僕は基本的に怠け者なので、運動することは少ないですね。昔は走っていたこともありましたが、このところはてんで駄目です。体は動かしたいときに動かし、動かしたいと思わないときには動かしません。頼まれても、おだてられても、基本そうだと思います。なんというか、そういう欲望があるという訳ではありませんが、そうしたい、そうありたいということはあるのかもしれません。いつもそんな空気みたいなものに従って行動しています。いつかそれが自分のため、誰かのためになるといいですけど、今はそういうことは特に考えていません。確かに、運動したいより、心地よい状態を維持したいという気持ちの方が強くなっていますね。変わってきていると思います。まあ、またすぐ変わるかもしれませんけど。ただ独り言は止まりませんね、多分。
私に知り合いのメーカーの方は、大阪アラソンに出るとの目的でジョギングにいそしんでいました。が、血圧が高くなって以来、医者にかかっております。50歳代男性です。
私の・・でした。訂正します。