朝日新聞の過去の報道に誤りがあったことは間違いない事実である。
ただ、現在の朝日新聞攻撃は極めて異常である。「単に過去の報道に問題があった、それに対する反省を求める」という以上の動きだ。
9月25日マイケル・ペンはアルジャジーラ紙で、「日本の主要リベラル紙に脅迫のキャンペーンが始まった」と題する論評を掲載した。
アルジャジーラ紙というのが皮肉である。
アラブ社会において、新聞テレビの報道は検閲が厳しく、単なる政府広報で事実からほど遠い。その中、アルジャジーラ紙は政府の報じない記事、論評を行うという事で注目され、中東で高い評価を受けている。
そのアルジャジーラ紙に「日本の主要リベラル紙に脅迫のキャンペーンが始まった」との論評が出た。つまり、中東諸国と同じく、本国では禁じられている論評がアルジャジーラ紙に出たのだ。
このこと自体、既に警告を含んでいる。
今の段階
コメント
コメントを書くおはようございます。
日曜日ですけど、休まれないのですね。
近頃、静かなところで暮らしたいな、と思うようになりました。
車の騒音、救急車のサイレン、うらのお年寄り宅からのテレビの爆音にいたっては、窓を閉めてもセリフがはっきり聞こえます。お年寄りであるが故に、苦情を言えないのですけど。
日本という国がこの先どうなっていくか、不安を感じたのは、高校時代です。違和感は、中学生。小学校の就学前検診のとき、気持ち悪かったのを覚えています。みな、何も、おかしいと思っていないのが、怖っかたんです。
26歳の男性から、「これから先の日本について、別に悲観してないよ。」というコメントを聞きました。
その子の周りの人は良い人なのでしょう。
私は「歴史、経済、政治」をきちんと学んでから、もっと俯瞰して見るようにした方がいいんではないかと、言いました。
本当は、さらに事実を繋ぎ合わせて、シュミレーションも必要だと言いたかったんですが、そこまで一挙にはムリですよね。
では、では。
大新聞が己の主張を主張することに問題はないが、己の主張を民意に塗り替えようとすると、今回の朝日新聞の過ちが起きることになる。新聞は己の分を知ることが大切ではないか。新聞は、人の話には必ず、うそ、誇張がつきものであるとの認識が欠かせないし、さりとて、否定的思考ばかりしていては問題把握ができない。ある程度の人生経験が不可欠と言える。人の話を聞いて記事にする記者は、バランス感覚が欠かせないが、朝日の社風としての体制批判が強すぎると、体制批判者が社内でのさばることになる。歯止めが利かなくなってしまう。そのいい例でしょう。同じよなことは、読売新聞にもいえます。徹底的に米国従属を志向しているが、体制が変われば、同じように批判にさらされることになるでしょう。マスコミは全体が反省すべきなのに、朝日新聞の特殊性として、偉そうに読売新聞が朝日新聞たたきの先頭になっている姿は、滑稽である。
> 日本は本当に危険な動きの中に入ってきた。
アベ一味に日本が乗っ取られた後、もう幾度となく孫崎さん他、まともな言論人が発している言葉でしょう。
しかし、津波でも地震でもないのに一般国民には食い止める術が全くなし。
それは、アベとグルになってるメディアが「危険な動き」をまるで伝えないからなのか。
先日、日本の子供は自分で考える力が弱いとの報道があったが、日本は大人も自分で考えないのだから当たり前の結果だ。
その代わりに「長い物」には逆らわないよう、睨まれないよう、無意識でも振舞えるだけの保身力だけは世界最高水準を実現した。それが一番の関心事だから、持つべき理想など考えたりもしない。だいたい、ちゃんと考えればウソつき枝野が幹事長に就くなども あり得ない。
かくして、国民はまたもや迫る危険に何も予防策を打てず、ついに悲劇に見舞われた後になって、支配層の責任なすり合い喜劇を見せられてお終いだ。
ジャーナリズムの最大の使命は「権力の監視」だといわれている。
それが、極右政権に迎合して、朝日を袋だたきにしていることこそ、ジャーナリズムにあるまじき行為ではないか。
慰安婦問題について、訂正が遅きに失したことは事実だが、現在の社長や幹部社員たちは、当時はその職に就いていなかったはずである。過去の過ちの責任について、現在の幹部を追求することにどんな意味があるだろう。
吉田調書に関して、「誤報」とされる部分は、問題の核心ではなく、枝葉末節に過ぎない。それより政府が隠しておきたかった「吉田調書の存在」を、世に知らしめた功績を評価すべきではないか。
時間との競争で仕事をしているマスコミにとって、ある程度「誤報」を犯すことはやむを得ないのではないか。朝日バッシングをしている各社は、絶対に誤報がないのだろうか。根拠もないのに、他国の元首のスキャンダルを全国紙に書くことは絶対にないのだろう。
アルジャジーラの記事はポイントをついてますね。
先日、山谷大臣の外国人記者クラブでの記者会見を見ました。大臣への質問は拉致ではなくヘイトスピーチ取り締まりに集中しました。その中で一つ云々新聞の編集者だと名乗る人物が日本国をヘイトする人間の言論を封じて欲しいと山谷大臣に要望した。通訳は翻訳に一瞬戸惑った。そして、きっぱりと”crack down”の言葉を採用した。改めて辞書に確かめたら「断固取り締まる」という意味が出てきた。山谷大臣はすかさず「個人の自由は奪えない」とだけ答えた。私は新聞は団体だから「crack down」の対象になるのだと解釈しました。
現政府が財政の破綻という致命的なリスクを賭けて、憲法を歪めることを手始めに諸々のコストを賭けて得ようとしているのは、今までは私は集団的自衛権とTPPの二つだけだと思っていましたが、やはり、尖閣と竹島と北方領土を取り戻す」ということが第一義的に加わってくると思うようになりました。
でも、中国も韓国もロシアも世界屈指の軍事国家です。それら諸国に歯向かうことさえ難儀。そんな鬱屈のはけ口を現政権は内向きに求めるようになり、一般民に向かうのではないでしょうか。日本の大企業たちは世界に羽ばたけるが、今後、翼を持たない一般民が鬱屈した異形の権力に高い消費税を払いながら対峙させられるのだけは御免こうむりたいです。いや、既にそうなっているのかな?
最近書店に立ち寄ると10数誌i以上の朝日新聞バッシング特集の雑誌が平済みされていて圧倒される、と言うか呆れ終いには気持ち悪くなる。正に脅迫のキャンペーンである。朝日が誤報記事を長年放置した事は責められるべきであるが今回は異常だ。保守系言論人は我が世の春とばかりに「鬼の首を取った」気分で溜飲を下げている。まあ、そうやってバカ丸出しに喜んで騒いでりゃいいさ。先日もテレ朝の「朝生」で元産経記者の山際澄夫氏など夜中に響くハイテンションの大声で朝日を糾弾していた、そのくせ朝日OBのパネリストから過去の産経の誤報を指摘されてもダンマリを決め込む。最近の外国特派員協会での女性閣僚(山谷国家公安、松島奉送)の記者会見でも多くの外国人記者が在特会等との関係を指摘されても馬耳東風で、英インディペンデント紙等で「安倍内閣を揺るがす閣僚のネオナチリンク」等と詳細に報道される始末。にも係らずNHK初め日本の大手メディアは一切無視して報道しない。ま、御嶽山の報道で手一杯だろうが。それにしても日本のマスコミは異常だ。
皆さんのコメントを見ながら、海外も同じであるが、日本では、何か良いことでも悪いことでも出てくると、一方的に傾く傾向が極端であることを否定できない。悪い方向に傾く場合は悲劇です。存在することが「悪」のレッテルを張られかねない。どの組織も、物事をオープンにすることを避けたがる傾向があるが、悪く働いた場合は、何倍もの批判をを覚悟しなければならない。他人事ではなく自分のこととしてとらえるべきでしょう。