湯川さんが殺害されたとのニュースが報じられている。
今回、人質が殺害されたとすれば、安倍首相の責任は極めて大きい。殺害は安倍首相の言動に深くかかわっている。
第一に彼の中東での演説である。
テロ側が2億ドルを要求したが、その額は安倍首相がイスラム国と戦うために周辺国に提供するとした額と同じである。
安倍首相はどのような発言をしたのか。
「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
イラクでは、全党派を含む、国民融和内閣による安定的な統治が絶対に必要です。日本は、そのための努力を支援し続けます。地域から暴力の芽を摘むには、たとえ時間がかかっても、民生を安定させ、中間層を育てる以外、
コメント
コメントを書く元外務省の佐藤優氏によれば、
-(安倍)首相が中東を訪れなかったとしても「イスラム国」はいずれこの種の脅迫を行ったと思う。
今回の事件は、フランスの連続テロ事件と同じ文脈で理解すべきだ。
「イスラム国」は、暴力によって世界革命を実現することを決めた、既存の国際秩序、国際法、普遍的価値を遵守する日本も...打倒対象とされている。-(1月23日 東京新聞)
-イスラム国には交渉する意思が見られない-(1月23日 朝日新聞)
某国諜報機関の「代理人」であるかのように以前から公然と発言している佐藤氏ならではでしょう。佐藤氏は、いつか沖縄絡みで「長い物に巻かれるのは悪いことじゃない」とも語ってましたね。
ISISの非人道的な行為は、決して是認されるものではない。
問題は、無制限な競争主義に問題があることがわかっていても、米国はじめ各国が金融緩和によって、資産格差を拡大し、貧困問題は、死活問題に直結しています。人間、生きるか死ぬかの瀬戸際に於いて,聖人君主然として生きることはできず、動物と同じような生き方を選択することは否定できません。悪いものは悪いといって、抹殺することをかんがえれば、貧者は必死に抵抗することは当たり前であり、今のままでは、世界情勢は不安定化するだけです。
孫崎先生のご見解に賛同いたします。
イスラエルと連帯するという安倍首相の態度表明は国民の大半には寝耳に水でしょう。大きなダムの大規模な予告なしの放流と全く同じです。
それはさておき、ISISはひどい。しかし、この前身は米英イスラエルサウジ等がパレステイナを支援するシリアを転覆させるために創ったテロリスト集団ですよ。両者は水面下のどこかでつながっていると考えたほうが正しいと思います。そのテロリスト集団と無関係ではない米英は自分らを正義の白馬の騎士みたいに西側メデイアを使って宣伝にこれ努めているが、その国際行動はISISのひどさをはるかに上回るテロ国家と言えるんじゃないでしょうか。英米はそういう指摘に対しては「REAL POLITICS」という言葉を当てはめて涼しい顔をしますが。
日本では報道されてませんが、昨年末国連は重要な会議を二つ行いました。一つはナチズム、ネオナチズム、人種差別、人種的区別、外国人嫌悪等を賛美する国家行動を非難する動議です。動議は115カ国が賛成し採択されました。驚くことに民主主義を高々と掲げる米国が恥ずかしげもなく強く反対したんです。カナダとウクライナが追随しました。
もう一つは、「イスラエルは1967年以降侵略して奪取した領土をパレステイナに還すべき」という動議が出され多数が賛成した。が、たった二国、米国とオーストラリアが反対したんです。そういう状況の中で安倍首相は敢えて世界で孤立し衰亡しつつある米国とポチ国家群に参入することを選んだんですね。
後藤がISISに殺されたとすれば、その責任は彼自身にある。それは彼自身が今回拘束される直前にヨルダンに入国直後に彼自身の言葉として記録され、日本国内のテレビで放送された通りである。湯川については、精神的に問題を抱えた自殺願望者の様であるから、首尾よく自身の命を短縮できたことを喜んでやってもよい。やっと、日本政府の厄介な問題がとりあえず片づいたことを喜びたい。もっとも、問題は今後永く続くとは思うが。
年末から年初にかけてロンドンにいた。目的の1つは英国のキリスト教会と国家の関係、特にWestminster Abbeyと英国国王および英国政府の海外侵略活動を、靖国神および神道と天皇および日本政府の海外侵略活動と比較して英国の現地で考えてみることだった。結果は―悪い風邪をひいた。帰りのJALのexecutive seatはフラットにして寝てきた。やっとこの数日元気をとりもどした。もう賞味期限も切れただろうに、孫崎は相変わらず、無駄な口説をトライしているようだ。
上のコメントは面白いですね。少なくとも検証に値します。本当に賞味期限は切れたのかな?まだおいしいという声も聞こえるけどな?
上記の二つを結びつけるのは無理ですね。似て非なるものです。結果は全く違うものかもしれない。そういうことってありますよね。痛い目にあったから同じ轍は踏まないという気持ちはわかる。でも本当の問題を解決するために河を飛び越える必要がある時もある。動かなければ解決しないのです。ギャンブルというより旅ではないだろうか?つまらない生きる価値の無い人生だからこそ、人は旅をするのだと思う。明日の自分は知らない。自分の心の中にあるコンパスだけが頼りという旅は面白いかもしれない。少なくともフラットな人生よりそちらを選びたい。
この演説の全文を何処かでみれないですかね?