丸谷才一『笹まくら』を再読してみた。
A:筋は『終戦の日に読む一冊「笹まくら」丸谷才一』(http://www.shirotruffe.com/blog/books/sasamakura.php)に詳しいのでそれを引用したい。
「大学職員として、若く美しい妻との静かな生活を送る浜田。ある日、「阿喜子」の死を知らせる電報が届く。そこから物語が展開し始める。現在は現在として未来に進むのだが、過去の場面は過去からさらに昔の過去へと遡るように進んでいく。
浜田の生きる現在は戦後20年が経過した時代。彼の身の回りに色々な変化が起きるようになる。ある日課長へ出世する機会を得るのだが、それがなぜか頓挫する。その理由が浜田の過去の徴兵忌避に基づくものだったのだ。
徴兵忌避で戦時中に各地を逃げている間は、砂絵師「杉浦」として過ごし、器用な杉浦は同時にラジオの修理をしたりして生計をたてる。憲兵と何度も接触しな
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
私たち一人ひとりが、「社会とのかかわりでどのように生きていくべきか」が、すべてなのでしょう。
日本は、憲法の理念から考えれば、交戦権を保有しない、国民主権国家であり、スェーデンのような社会主義福祉国家を目指すべきであるが、同時に、交戦権を保有しないのに自衛隊を保有する資本主義体制国家であるといえる。大きな矛盾を抱えているが、矛盾が表面化するのは、すべて米国の都合によるのである。都合によって変わるが、根本は日本を従属化しておくことであり、その意思を意思を意思とする売国的人間が社会の中枢を占めているから、日本独自の道が展開していかない。丸谷さんの発想は、このジレンマから導き出されているといえないか。
サザンオールスターズの「栄光の男」・・・信じたものは皆、鍍金が剥がれてく・・・
私はアナーキだから、関東軍の精鋭100,000人をフィリッピンに運ぶ作戦に従事し挫折した親父たちの戦死を疎ましく思い「徴兵忌避」に関心を持ちました。そして丸谷才一の笹まくらという作品を知り読みました。
ヨーロッパや米国の徴兵忌避がいかなるものか知りませんが、日本はまだまだ地縁、血縁がきつくあり、更に会社縁、組織縁、集団縁、が縦横無尽に織りなされ日本人はがんじがらめです。歴史的に見ても、専門家が指摘するように個の概念が固より薄く、村が最少単位ですから。
しかし、まだ未開的な戦時中であっても、個人の動きはいろいろあったんです。
あの名優三国連太郎さんは徴兵忌避されていますし、それを公言して憚ることはなかったです。
私が東南アジアで知り合ったLさんは中国で転戦し東南アジアにやってきていよいよインパール作戦に従事する直前に隊から離脱しチャイナタウンに潜り込んだと話していました。日本には帰れないし帰りたくないと言っていた。
大阪で取引していたSさんは「最前線では弾がどこからでも飛んでくる。後ろからも来る。嫌な上官を後ろから撃つことだってあるんだ」と豪語していた。この人は前線にいながら離脱していたのです。
行動右翼の神様である三島由紀夫氏は入隊検査でくしゃみをして肺浸潤と思わせ入隊を避けている。
大東亜戦争は欧米列強の植民地解放が大義名分であったから国民に比較的分かり易いものがあったにも拘わらず、個人レベルではレジスタンスがあったんです。
安倍氏たちが目論む戦争はずばり中国との戦いです。それも米国の指南と指示に基づくものです。そんな戦争にいくら島国根性のガラパゴス化した国民であっても、又、丸谷才一の描く陰湿な社会であっても、岸信介がやった国家総動員は無理だと思います。それだけは楽観しています。
孫崎さんは承知で喋っておられる。
アベたちは、自民党支持でない国民が野党に行かないようにマスコミを動員して、棄権に行かせる。従って絶対得票率25%の自民党が選挙のシステムで「一強」に躍り出る企みは今のところ順調に見える。
『天網恢々、疎にして漏らさず』。孫崎さんのような方が諦めず発信してくれているから、小さな歩みだけど我々も諦めない。「マイナンバー制度」も「戦争法案」も、国会の場だけではなく、平場でもギクシャクし始めています。
明けない夜はありません。
何をどういう風に理解しているのか知らないが、世界の理解というのは難しい問題だ。間違った認識はたださなくてはいけないし、あいまいでよくわからない部分は、自分なりに納得いく形で捕らえていかなくてはいけない。そして世界は変化する。だから大切なのはぶれないこと、そして感情に動かされないこと。陰湿さも希望もすべての人の中にある。その中でどういう選択をするのか。マスコミの悪影響だけは受けないようにしたいものだ。