人は様々な同時で行動する。
私が、「放浪の画家 ピロスマニ」を見にいったのも、そうである。
歌に「百万本のバラ」がある。加藤登紀子さんの代表的歌である。もともとは、ソ連の歌手プガチョワが謳った。ロシア語版の作詞はヴォズネセンスキーによるものである。
「歌詞の内容はグルジアの画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したという逸話に基づいている]。ラトビアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人がグルジアの画家のロマンスを元に詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うという、多様な民族の芸術家が絡んでいる点で、ソ連ならではの歌とも言える。」(wiki)
加藤登紀子さんの歌は次の様になる。
「小さな家とキャンバス 他には何もない貧しい絵かきが女優に恋をした大好きなあの人に バラの花をあげたいある日街中の バラを買いました百万本のバラの花をあなたに あなたに あ
コメント
コメントを書くグルジア。
スターリンを生みだした地。
そしてビロスマニという偉大な芸術家を生みだした。
その地はジョージアと呼ばれ始めて久しい。そして、今、そこは米国と親密な米国の従僕国家となっている。米国仕込みのテロリストを大勢生みだしている。
もうそろそろ米国は肩の力を抜きロシアや中国と仲良く出来ないものか?そして素朴な田園生活のあり方を再評価しそれを取り戻す方向に皆と協力して世界を転換出来ないものか?
孫崎先生の折角の芸術の話の腰を折って米国批判になってしまう。私はやはりどうかしている。トラウマに違いない。アドルノの「アヌシュビッツの後に詩を詠うのは野蛮だ」という言葉に最近毒され続けて居る。そんな私は恥ずかしい。
>>1
アドルノの言葉は呪文のような力を持っている。その呪いをはねのけるにはそれ相応の力がいる。同じように米国の悪意にもそれ相応の力の源泉がある。ロシアや中国にそれをはねのける力があるかどうかが問われている。
ひとつだけわかっていることがある。悪意に身を任せても幸せにはなれないということだ。どんどん本当の自分から離れていく。唄を唄わない人間はいない。それは生命そのものだからだ。鈴木大拙は言ったそうじゃないか。人生とは宇宙の唄とともに踊ることだと。いろんな意味で過去に負けているのだ。中国はアメリカになど負けない。
>>2
心温まるコメント有難うございます。
殆ど内容を知らないまま先々週見てきました。冒頭で「もしかしてハズレ?」と思いきや、本当に「見に行ってよかった」です。
> 人は様々な動機で行動する。
2年前のグルジア旅行でたまたまピロスマニを知り、当初は何となく「見てみようか」という程度でしたが。
地方には見事な風景が広がっており、映画でもそれを期待できるのではないかと。
それは私のイメージとは違いましたが、とにかく映画は鮮烈でした。
日本の東北地方の「どさ?」「ゆさ」的会話で一貫していたのもそうです。
新聞で酷評されたせいで周囲の人から冷遇されたシーンでは「それじゃあ、日本人と同じじゃないか」と思いました。
ピロスマニの人柄、作風にはとても好感を持ちます。
女優に恋をしたピロスマニのような人に私はなりたいと思います。今からでも。
「百万本のバラ」は小生の大好きな歌です。
ユトレロ? ユトリロ?