日本は自由な発言が許されない国になりつつある 日本外交と政治の正体 孫崎享(26日付日刊ゲンダイ、金曜日発売)
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最近、2つの発言が気になった。NHK「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子さんと、女優の木内みどりさんの発言である。
1993年に始まった「クローズアップ現代」は17日に最終回を迎えた。番組の終了には、官邸や自民党の不満が背景にある――とささやかれている。
2014年7月3日の番組で、国谷さんは菅官房長官に対し、集団的自衛権の行使容認について舌鋒鋭く迫った。
〈解釈の変更は日本の国のあり方を変えるというようなことだと思うのですが、国際的な状況が変わったというだけで憲法の解釈を本当に変更してもいいのかという声もありますよね〉
〈密接な関係のある他国のために、もし集団的自衛権を行使した場合、第三国を攻撃することにな
コメント
コメントを書く思想が偏向すれば、物事に対して、賛成か反対かでわかれるが、一面では明快であり、思想的混乱に陥ることはなく体制側にとって都合のよい社会である。物事の真実は、思想信条を超えているという思想の超越性にある人は、思想信条が制限されるということは、人格存在性を否定されたような気持になるのを否定できないのではないか。社会に言論の自由があるということは、社会に活力を吹き込むが、言論の自由が制限されれば、社会が単純化し、人間性が失われていくのではないか。大陸体制国家中国社会は確かに脅威であるが、小さな島国国家日本を体制国家にして中国と対抗しようとしている姿は、あまりにも滑稽としか言えない。多分、米国の威光を背景にして対抗しようとしているのであるが、米国が日本を最後までバックアップすることはないという現実的認識に目覚めるべきではないか。自立心の欠如した従属国家、日本人としての民族意識はどこに無くしてしまったのか。寂しい限りです。
自由な報道を抑圧する雰囲気つくりを主導した安部政権と、それを忖度するメディア幹部、世間・・体制としては中国や北朝鮮と同じ方向を向くような画一的な国をつくろうとしている。ということを我々は気付かないといけない。
多様な意見と自由闊達な議論が国を活性化させつつ、互いを尊重することができるかは、国民の「品格」というものだろう。そういう国を目指すべきだ。
例えは変かもしれないが、多種多様な生物が共存する生態系がロバストで豊かであるのに対し、単一作物が植えられた大規模農場が単調で外乱にもよわいようなものか?
日本で進んでいることは自民党による組織的な言論弾圧です。国谷さん、木内みどりさんのケースは氷山の一角ですよ。
この日本の状況にシンクロしているかの如くトルコではエルドアン政権がイスラム国を隠れて支援している、或いはイスラム国の悪行(エルドアンの息子がイスラム国が盗んだ石油を買い取って荒稼ぎしていること他諸々)を政権が黙認していることを証明する諸事実を報道すると即当局に検挙され監獄にぶちこまれる。トルコの国内情勢は深刻化しています。
日本とトルコの現政権は米国シオニストに最も信頼されている両翼です。このままだと日本がトルコみたいになることは必定。今はその予備的な状況にあると私は想っています。とにかく、速やかに安倍政権を変えないととんでもないことになります。
懲りずにデモとSNSで警告を発するしかありません。
先日の記事にありました「イスラム社会でのテロ行為は、ある日、イスラム教の狂信者が狂って西側社会を攻撃し始めたのではない。」の伝で言えば、「日本は自由な発言が許されない国になりつつある」までに至ったことにも必然的な理があると思います。
直接的にはアベを返り咲かせれば こうなることは目に見えていたワケです。では何故 前回首相時、もう議員辞職ものの、ケツ捲くりドタ辞任した人物が蘇ることを許してしまったのか。そうなる力学に国民が無力なのは一体何故なのか、等々、的確な分析、現状認識が先決でしょう。
昨夜の生放送でも、およそ孫崎さん等の講演を聴きに来ない若者たちに如何にメッセージを伝えるか-問題提起されていましたが、ひょっとすると聴きに来るのは例外的な方々で、日本の大半の中高年はダメな人たちでないか。
とある社会で、大半の大人は時事問題に対して意識が高いのに、若者はまるで未熟なまま-などということがあるでしょうか。
かつてドイツ映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」を観た後、「ドイツではゾフィー・ショルはアインシュタインより有名で、高校の教科書にも載ってます」と聞いた覚えがあります。
若者にしても何だかんだいって大人の影響を免れないでしょう。そうして日本で積年 受け継がれてきた「他人任せ主義」の成れの果てが今 目にしている世相と思います。つまり、孫崎さんの釣り針にいくら旨い餌がぶら下がっていても、まだまだ日本の若者は なかなか食い付こうとしない気がします。しかし、何かがキッカケで入れ食い状態になって、爆発的に大漁!となるかもしれませんし、どうか若者を変えるための 大人を変えるご講演を続けて頂きたいと思います。
電波の停波発言といい、公共報道機関への介入といい、戦前回帰につながる言論弾圧を、今度の参院選の争点の一つにできないものでしょうか?
>>5
「ひょっとすると聴きに来るのは例外的な方々で、日本の大半の中高年はダメな人たちでないか。とある社会で、大半の大人は時事問題に対して意識が高いのに、若者はまるで未熟なまま-などということがあるでしょうか。」に同じ思いを感じています。
決めつけるわけにはいきませんが、たまたま政治家だけが劣化しており、国民は劣化していないということも考えにくいと思います。さらにこのことは何も現在だけに顕著なことでなく、戦前からずっとそうだったのではないかと考えられます。
事実、先の無謀な戦争に多くの国民も反対せず、終わった途端被害者のような顔をしていたわけですから。
たまたま敗戦によって民主主義国家となり、言論の自由を得ましたが、言論の自由を駆使して時の権力を監視すべきマスコミが、今やご承知のようなていたらくです。
ここからは、半分冗談で半分本気ですが、日本人は本当は言論の自由を持て余している、過激に言えば憎んでいるのではないかとさえ思うときがあります。現行憲法の基本である国民主権とはかけ離れた意識しか持っていないのではないかと思います。もともと政治の話をしない、議論をしない風土でもあります。そこへ現行憲法が制定されても、猫に小判かもしれません。
でなければ、これ程の無茶苦茶な政権が何度も選挙に勝ち、支持率が40%~50%もあるというのが理解しにくいのです。まるで牛や豚が肉屋のオヤジを応援するようなものです。強烈な権力者に抵抗し、焚書坑儒の伝統がある中国人は、相当に締め付けないということを聞きませんが、日本では強烈な暴君が粛清の嵐を巻き起こしているわけでもないのに、本当に不思議です。このレベルの政府に抵抗できないマスコミ、いったいなんなんでしょうね。