• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 9件
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第九話『エデンの箱庭』

    2020-06-12 20:00  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第九話『エデンの箱庭』
    (作:古樹佳夜)
    ------------------------------------
     
    僕は、風の匂いのする草はらに体を横たえて
    いつも通り、うたた寝をしていたようです。
     
    「と……さん」
     
    サクサクと草を踏む、小さな足音のおかげで
    僕はゆっくり目を覚ましていました。
    けれど、小さく温かな手が僕の体を優しく揺するので、
    僕はなんだか嬉しくなって、
    ほんのちょっとのいたずら心で
    少しの間目を瞑っていることにしました。
     
    「ねえ、寝たふりしないでよ、ねえ」
    「……ふふ」
     
    しまった。
    思わず吹き出してしまいました。
     
    「……お父さん!」
     
    ゆっくり瞼を開けると、
    大きな金色の瞳と目が合いました。
    ずい、と小さな顔が近づいてきて、
    仰向けの僕を覗き込みます。
     
    「……君も一緒にお昼寝しませんか?」
    「いやだ」
     
    眉根を寄せる癖は相変わらずです。
    白い頬の横で烏羽色の髪が
    きらきらと揺れています。
    僕は、まだ夢のつづきを見ている気分になって、
    思わず彼の髪を掬い取りました。
     
    「綺麗ですね……」
     
    この、仕上げに嵌めた琥珀色も、
    細い糸のような和毛も、
    彼の全てが、この世にある形の中で
    一番の出来なのです。
    頬を無遠慮に撫でるのが気に食わないのか、
    白い頬はぷくりと膨らみました。
    そして仕返しとばかりに、
    彼は僕のツノを引っ張りました。
     
    「あ、はは、ちょっと止めて……オオカミ君ったら」
     
    名前を呼ばれて、彼は笑みをこぼしました。
     
    「羊は寝坊助だ。いつも寝てるじゃないか」
    「……すみません。つい……」
    「羊が寝てる間、俺はひとりぼっちなんだ」
     
    そう呟いたオオカミ君の目に
    うっすらと涙が溜まっているような気がしました。
    オオカミ君は僕の首にギュッと縋り付いてきました。
     
    「ねえ、お腹が空いたよ。何か食べたい」
    「そうですね。じゃあ、何か野原で摘みましょう。
    確か……
    野苺がいっぱい生っていましたよ」
     
    オオカミ君は嬉しそうに飛び跳ねて、
    微睡の淵から僕を引き揚げてくれました。
    彼はまだ小さく、僕の肩にようやく頭が届くくらいです。
    それなのになんて力強い腕でしょう。
     
    「オオカミ君、そんなに急がなくても
    野苺は逃げないですよ」
    「誰かが先に取っちゃうかもしれない」
    「誰に? ここには僕らだけじゃないですか」
    「え……あ、そうか」
     
    オオカミ君は少し戸惑って、その場に立ち止まりました。
    数歩先を行く彼に追いつき、小さな頭を撫でました。
     
    「野苺はジャムにして、パンに乗せますか?」
    「うん。蜂蜜も塗って食べよう」
    「じゃあ、家から籠を取って、それから出かけましょう」
     
    僕らはいつものように手を繋ぎ、家路を辿ります。
    目指すは丘の上。そこには木造の小さな家が建っています。
     
    道すがら、オオカミ君が一本の木を指差しました。
     
    「ねえ、あの赤い実も取っていこう」
    「ああ、あれはダメですよ」
    「どうして?」
    「君と、ずっと一緒にいたいからです」
     
    オオカミ君が首を傾げた時、
    草はらの上を風が駆け抜けていきました。
     
    「さあ、もう家に着きますよ」
     
     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第八話『Ring the bell』

    2020-03-18 13:00  

    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第八話『Ring the bell』
    (作:古樹佳夜)
    -----------------------------------------
     
    その日も、僕は広間で瑠璃を待っていた。
    授業が終わったら、一緒に宿題をするのが
    僕らの日課だったから。
    でも、瑠璃はまだ来ていない。
    …そういえば、さっき部屋に戻る前、
    『図書室に本を返しに行く』と言ってたっけ。
    「…着いて行けばよかったな」
    瑠璃のことだ、寄り道せずに帰ってくるはず。
    ……この屋敷で独りなのは不安だ。
    僕は広間のソファに腰掛け、ため息をついた。
    ふと横を見る。ソファの端に本が転がっていた。
    退屈しのぎに手に取って
    パラパラめくるけれど、目が滑る。
    数行読んで、パタンと閉じた。
    本は好きじゃない。嘘ばっかり書いてあるから。
     
    「なんだろう、これ」
     
    広間を通りがかったサーシャが呟いた。
    部屋の隅にある、ボロ切れのかかった棚に向かって
    独りでブツブツ言っている。
    (相変わらず気色悪いな。)
     
    「前からここにあったじゃない」
    「いや、いつもあるから気づかなかったんだよ」
     
    会話の相手は居ないのに、
    まるで二人で会話してるみたいだ……。
    たぶん、あの女の人格が出てきている。
     
    あんなの無視だ。
     
    「ねえ、この布外してみたくない?」
    「止せ、アレキサンドラ。埃が舞うだろ」
    「でも、気にならない?」
     
    「あーもう! 独りで煩いな!! 黙れよ!!」
     
    あまりの煩わしさに耐えきれず僕は怒鳴った。
     
    「わっ…!」
     
    声に飛び退いて、サーシャが振り向く。
    その瞳はみるみる深い緑から燃えるような赤紫になった。
     
    「一人じゃない! 二人!」
    「ちっ……怒鳴るな。煩い」
    「はぁ!? そっちこそ怒鳴ってたじゃん!」
     
    サーシャは怒りに任せて手を振り上げたが、
    棚にかかったボロ布を掴んだままの拳だ。
    引っ張られた布はズルズルと重たい音を立てて、
    床に落ちていった。
     
    「ゲホ、ケホ」
     
    溜まった埃が白い煙となって、
    もうもうと立ち上がっている。
    うんざりするような光景だった。
     
    「なんだなんだ。騒がしいな……」
     
    間抜けな声の主は透だ。
    呼んでもいないのに広間に入ってきた。
     

     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第七話『In vino veritas』

    2019-11-12 17:00  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第七話『In vino veritas』
    (作:古樹佳夜)------------------------------------
    早朝、カタカタと小さな物音がして
    目が覚めた。
    隣部屋の海月だろうか?
    いや、あの寝坊助が
    こんな時間に起きているはずもない。
    五時半……
    窓の外はぼんやりと白んで、
    地平線には太陽の額が覗いている。
    月兎はもう動けなくなっている時間だ。
    たぶん、音の主は羊だ。
    そうに違いない。
     
    朝食の時間には少し早いが、
    身支度をして様子を見に行くことにした。
    羊の奴……
    その辺でうたた寝でもしていたら、
    風邪を引くからな。
    よし、さっさと着替えを済まそう。
    壁にかかった鏡で胸のタイを結ぶ。
     
    髪がちょっと跳ねてる……
    まぁいいか。
    慎重にドアノブを捻る。
    朝の廊下はシンと静まり返っていた。
    念の為、海月の部屋を覗いたが、
    大いびきをかいてベッドで眠っていた。
    静かに扉を閉める。
    それにしてもこの音は
    どこからしているのだろう。
    耳を澄ますと、
    ゴトン、カタン、と、
    重いものを動かす音も聞こえる。
    まさか、泥棒でもいるのだろうか?
    もし泥棒が羊と鉢合わせでもしたら……。
    背筋が凍った。
     
    とにかく、この音の原因を探らなければ。

    音を辿ると、納屋に行き着いた。
    納屋の扉は開いている。
    「そこに誰か居るのか」
    声をかけると音はピタリと止んだ。
    返事を待っていたが、返ってこない。
    「おい」
    もう一度声をかけると、
    代わりに舌打ちが返ってきた。
    「鈴か?」
    俺の名前を呼ぶ、低い声。
    のそりと姿を現したのは
    泥棒でも羊でもなく、
    不機嫌そうなオオカミだった。
    その姿に、ホッと胸をなでおろす。
    「何か探してたのか?」
    「あんたには関係ない」
    オオカミはムッとした顔で
    服の埃を払っている。
    虚を衝かれたのが
    気に食わなかったと見えて、
    いつもに増して機嫌が悪い。
    ……微妙な空気だ。
    なんとか取り繕いたい。
    「手伝うぞ」
    「相変わらずのお節介焼きだな、
    あんた」
    刺々しくそっけない返事だ。
    だが、俺は折れないぞ。
    これはいい機会かもしれない。
    実のところ、
    オオカミとの会話を続けたかった。
    文字通りの一匹狼で、
    普段から何を考えているのか
    わからない奴だが、
    悪い奴ではないと、思う。
    もっとこいつのことを知るべきだ。
    「そこには、昔の生徒の遺品とか、
    使わなくなった家具しかないぞ」
    「フン。よぉく知ってるさ。
    だが、それ以外もある」
    「それ以外? この中に?」
    オオカミは俺を一瞥したが、
    質問に答えることはなかった。
    「じゃあ、お前は
    『それ』を探してるのか?」
    後ろ手に納屋の扉を締め、
    入り口に置いてあった瓶を拾い上げる。
    そしてこの話は終わりだと言わんばかりに
    歩き出した。
    「おい、それが探し物か?」
    「……」
    「もったいぶらずに教えろよ」
    「俺は詮索されるのが嫌いだ」
    「おい、待てったら」
    「はぁ……
    俺を追い回すつもりか。
    まるでどっかの誰かさんだな」
    「どっかの誰か?」
    尋ねると、
    オオカミはいきなり振り向いた。
    「ん」
    『手を出せ』とジェスチャーする。
    言われるままに手を差し出すと、
    渡されたのは小さなブリキ缶だった。
    使い古されて表面は掠れていたが、
    柔らかなタッチで夜空が描かれている。
    振ると中からカチャカチャ音がした。
    「『誰かさん』に渡せ。
    食堂で突っ伏して寝てるから」
    「は?」
    「じゃあな」
    オオカミは去って行った。

    朝日の差し込む食堂で
    うたた寝をしていたのは羊だった。
    テーブルに広げたスケッチブックに
    顔を埋め浅い寝息を繰り返している。
    「羊、起きろ」
    「ん……?」
    背中をさするとすぐに目を覚ました。
    「あ、おはようございます、
    鈴君……」
    「まったく。
    お前はどうして部屋で寝ないんだ」
    「ごめんなさい……」
    明け方までここで月兎と
    ホットミルクを飲んでいたらしい。
    ともかく庭の隅で
    凍死していなくて良かった。
    「そろそろ朝食だ。
    さあ、服を着替えて。
    俺はここで支度をするから
    他の奴等を起こして来てくれ」
    「は、はい。わかりました」
    羊が慌ただしくスケッチブックを
    たたんでいる時、ふと、
    先ほどのことを思い出した。
    「そうだ。
    オオカミから預かり物があるぞ」
    「預かり物?」
    ポケットから取り出したケースを見せたが、
    羊は小首を傾げたままだった。
    「お前のじゃないのか?」
    「見覚えが、あるような、
    ないような……」
    「中に何か入ってて、
    音がするぞ。開けてみろよ」
    「はい」
    錆びたブリキ缶は蓋が固くなっていた。
    不器用な羊は四苦八苦している。
    「仕方ない、貸してみろ」
    俺が少し力を入れるとブリキ缶は
    パカンと音を立てて開いた。
    「あ……!」
    羊が驚いた声を上げる。
    「なんだこれ?」
    缶の中には色とりどりの
    チョークが入っていた。
    ほとんどは短くなっている上に
    粉もかぶっている。
    「パステルです。
    失くしたと思ってました……! 
    これをどこで?」
    「納屋だと思うぞ。
    オオカミが見つけて……」
    誰かの部屋を片付ける時に、
    一緒に納屋に紛れ込んだのか。
    「僕、オオカミ君にお礼をしてきます」
    「あ、おい! 
    羊、朝食は……!」
    羊は脇目も振らず食堂を
    出て行ってしまった。
    背中を見送りながら、
    俺は思い出した。
    羊は優柔不断なくせに、
    オオカミのこととなると
    一も二もなく飛び出すんだ。
    もっとも、
    自覚はないようだが……。
     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第六話『秋のスープ』

    2019-09-30 18:30  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第六話『秋のスープ』
    (作:古樹佳夜)------------------------------------
    ◆◆月見草とスープ◆◆

    まん丸で真っ白い、お月様だ。おまんじゅうに見える。いや……マシュマロかな?

    半分のお月様はおやつのパンケーキ。

    三日月はかじっちゃったクッキーの形。

    ……ああ、お腹減ったなぁ……。「海月君、またですか?」

    「お、お腹の虫がぐぅ〜って鳴いてる」

    「だ〜って、夕飯足んないんだもん……」

    隣に座っているのは、いつものようにスケッチをしている羊と、月明かりで読書をしている月兎だ。

    「ゆ、夕ご飯いっぱい食べてたじゃない……」

    「はい。あれから二時間くらいしか経ってないです」二人とも僕を呆れた目で見つめている。

    ちょっと、そんな顔する事ないじゃん?

    「あのさ、僕だって好きでお腹減るわけじゃないんだよ?生まれつきこうなんだ。

    羊が急に眠くなって気を失っちゃったり、

    月兎がお日様に当たると動けなくなっちゃうのと一緒なんだ」

    そう、我慢しようったって上手くいくはずない。細かいメカニズムはわかんないけど、人それぞれ変えようもない特徴ってのがある。それに対してとやかく文句をつけるのは、バカバカしい。考えるだけ無駄ってもんだ。

    「ん〜……それはとても辛いですね」

    「う、うん……。み、海月君……わかってあげてなくて……その……ご、ごめんね?」

    「へへ。わかればいいんだよ」

    鈴に同じ事を言ったらため息をつかれたけど、さすが、二人は親友だね。僕の気持ちをちゃんと理解してくれたみたいだ。

    「あ〜あ。それにしたって、お腹減った。

    食堂に何か残ってないかなぁ」

    「ないと思いますけど……」

    「す、鈴兄が『海月が食べ過ぎるから』って、

    厨房の食料庫に、か、鍵をつけていたよ」

    「え!? 鈴ったら何てことを〜〜!」

    「鈴君は食べ過ぎを心配しているんだと思います」

    「そんなの知らない!」

    プイッと顔を背けると羊が顔を覗き込んできた。嗜められているみたいだ。

    「もういいよ!」

    僕は庭の奥に歩いて行く。

    「海月君、どこに行くんですか?」

    「庭の食べものを探すの。もしかしたら果物が生ってるかもしれない」   

    「お、怒られるよ……。か、葛君のことで、

    鈴兄、いつもよりピリピリしてるから……

    み、見つかったら、大変……」

    「本当は庭に出るのも止められましたからね」

    「で、でも、庭先に三人で居るくらいなら……

    ゆ、許してくれるとおも、思う。

    でも、出歩いたら……」

    「う……」

    葛……あいつは神出鬼没で、怖い。何考えてるかもわかんないし、恐ろしい殺人鬼だ。二人の言葉を聞いて少しだけビビってしまった。

    「月兎君も葛君が怖いんですか?」

    「ち、違う……鈴兄に怒られるのが……

    嫌なだけ……」

    月兎は鈴のことを誰よりも信頼している。だから、なるべく言いつけを守ろうとするんだ。鈴も月兎を弟みたいに可愛がる。本当にお互い『兄弟』とでも思っているのかな?たった2つしか違わないのに。だいたい、色々行動を指図したり、鈴は偉そうなんだよね! 僕のことは弟じゃなくて子分と勘違いしてるかも?

    「……なんか、腹立ってきた」「え、な、なんで?」

    「お腹空きすぎてですか?」

    「違う!!」

    『グゥ〜キュキュ』

    腹の虫が盛大に鳴った。

    「ふふっ!」

    不意を突かれて羊が噴き出した。つられて月兎もくっくっと肩を震わせている。

    「言ってることと全然違うじゃないですか」

    羊は珍しくお腹を抱えて笑っていた。僕はそれが悔しくて、頬を膨らませる。

    「ねえ! 笑ってないで二人も食べ物探し手伝って!」「え、え〜……」

    「そうだ、三人で探そうよ。それなら安心でしょ?」

    ようやく笑い終わった羊は、ふう、と息をついた。

    「わかりました。でも、月明かりだけでは少し心もとないです。ランプを持ってくるので……」

    「よ、羊君……その心配は……ないみたい」

    「え……」

    月兎は僕を指差した。ハッとして自分の身体を見渡してみる。気づかなかったけど、僕はさっきから光っていたみたいだ。

    「これなら夜の庭でも歩けますね」

    そう言って羊は笑った。

     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第五話『合わせ鏡』

    2019-07-31 12:00  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第五話『合わせ鏡』
    (作:古樹佳夜)------------------------------------「僕だって殺したくて殺すんじゃない……
    愛するがゆえだ」

    陶酔しきった甘い声音が耳にこびりついている。
    いつもどこか虚ろな瞳が
    あの時ばかりは、まっすぐと俺を見つめていた。
    身体の内側からぞわぞわと悪寒がこみ上げてくる。

    −−全部、葛のせいだ。

    不安のやり場を失って怒りで狂ってしまいそうだ。
    海月と月兎を部屋に送り届けて、
    内側から鍵をかけさせた。
    次は、どうしたらいい?
    勢いよく前に踏み出す足すらも震えて、
    俺は今どこに向かって歩いているのだろう?
    廊下を踏みしめる度に怒りは冷えていった。
    残ったのは底知れぬ恐怖だ。
    「ねぇ鈴君! 待ってください!」
    羊の声だ。
    俺を説得するために追いかけてきたのはわかっている。
    「待って! 鈴君! お願いです!」
    勢いよく服を引っ張られて思わずのけぞった。
    仕方なく立ち止まり、振り返る。

    「なんだ羊。お前も早く自分の部屋に帰れ。
    でないと葛に……」
    「話し合いましょう、ね?」
    「何を話し合うことがある? あいつは殺人鬼だ」
    「誤解かもしれません。
    だって、まだ十分に会話もしてない。
    僕たち葛君に会ったばかりじゃないですか」
    「人間を喰い殺すって言ってたぞ? 
    あの特徴は他人に害を……」
    「ままならないことだってあるでしょ」
    言葉に詰まった。『身に覚えがあるだろう』と、
    その瞳が問いかけを発している。
    『じゃあ、お前はどうなんだ』と。

    −−俺は幼い頃から歌うことが好きだった。
    変声前は透き通るような、
    鈴を鳴らすがごとくの声だと周囲に褒められて育った。
    特に褒めてくれたのは母だった。
    俺は母に好かれたい一心で歌い続けた。
    大人に近づいて声が変わっても、
    母は変わらず歌を聞いてくれた。
    俺は幸福だった。
    ある日、その状況は一変した。
    母が首吊り自殺してしまったからだ。
    突然のことに理解が及ばなかった。
    初めて経験した『死』が、最愛の母だなんて
    悪夢と言う他ない。
    それまで意識してこなかった人間の終焉はあっけなく、その死に様があまりの惨めさであったことに、
    俺は恐怖していた。
    死の原因は判然としなかった。誰も自殺を掘り起こそうとはしない。
    けれど、残された遺書の最後の一文に、
    理由は見え隠れしていた。

    『息子の声が甘く爛れて聞こえてくる。
    鈴の声は他人を狂わし、誘うのです。』

    俺の歌を喜んでくれているとばかり思っていたのに。
    俺は、俺の声で大切な人の死を招いてしまったんだ。−−

    羊の言葉は正しい。
    俺たちは、同じ穴の貉だ。
    本当は葛をあんな風に突き放すべきじゃない。
    だけど、俺は……
    「何故、あいつは俺だけに好かれようとするんだ」
    「それは……わかりません。僕にも」
    沈黙があり、羊は小さく息を吐く。
    「でも、友達になりたかったのかもって……僕は思いました」
    「友達……? それ以上を望んでいただろう。俺を殺したいと……」
    羊は頭を振る。
    「葛君は『君の死』を望んでないと思います」
    羊の手を振り払って良いものか、俺は躊躇いはじめていた。
    「まずは理解しなくちゃ。いきなり好きになれなくてもいいから」
    「出来るかどうかわからない」
    「君がいつもしていることですよ」
    「俺はそれほど強くないんだ」
    「でも、鈴君は優しいです」

    羊の言葉が心に刃を突き立てる。
    ……いや、心を抉っているのは言葉じゃない。
    自分の醜さだ。
    死ぬのはもちろん、言うまでもなく怖かった。
    けれど、それと同じく……いや、
    それ以上に恐れていたのは
    自分が持つ『他人に死をもたらした特徴』に
    向き合わなければならないことだ。
    葛の存在が俺の罪を炙り出している。
    俺はこれ以上加害者になりたくない。
    だから、『優しい人間』像にしがみついているだけだ。
    俺の優しさはまがい物だ。
    『都合のいい関係でいて欲しいから』、
    『一定の距離を取りたいから』、
    『踏み込んでほしくないから』、
    俺は他人に優しいだけ。
    一枚剥けばこんなに醜く、利己的なんだ。

    だけど−−出来ることなら、こんな自分を変えたかった。

    自分の感情にようやく気付いた時、
    胃の腑が泡立つような罪悪感がこみ上げきた。

    「……葛に謝るべきなんだろうか」
    「いいえ。言葉を交わせばいいだけです」
    羊の言葉に背を押されて、俺は踵を返した。
    「どこに行くんですか、鈴君!」
    「葛の部屋だ」
     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第四話『二つ星の灯』

    2019-05-31 18:30  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第四話『二つ星の灯』
    (作:古樹佳夜)------------------------------------

    お屋敷の一階、広間の隣にある小さな食堂は
    朝と夕になると生徒で賑わう。
    焼きたてのパンの香ばしい香りがしてきた。
    俺は早足で廊下を歩く。
    早くしないと朝食の時間に間に合わない。
    入り口手前に差し掛かると、中の会話が聞こえてきた。
    『瑠璃、早く座りなよ』
    『わかってる。でもフォークが足りないんだ』
    『僕スープもらってきますね。瑠璃君も食べますよね?』
    『うん、ありがとう』
    「あ、サーシャ君。おはようございます」
    「おはよ」
    俺に気づいた羊が挨拶する。
    「おはよう」
    にこりと微笑む瑠璃と、
    「……」
    気にくわなさそうに顔をしかめる紫郎。
    (これから食事を摂るってのに相変わらず瑠璃の横に
    べったりくっついている。)
    いつも通りの光景だ。
    俺は紫郎の睨みを気にせず羊の隣に座った。
    朝の光が部屋中を白く染め上げて、眩しいくらいだ。
    食堂の南側の壁は大きなガラス窓になっていて、
    まるで温室のようになっている。
    部屋の中央には使い込まれた長い木のテーブルと、
    七脚の椅子。生徒の人数に対して十分すぎる……。
    「あれ? 透は?」
    食堂にはまだ
    瑠璃、紫郎、羊、俺の四人しか集まっていなかった。
    「死んだよ」
    紫郎が冷たく言い放つ。
    すかさず瑠璃が『悪い冗談だ』とたしなめる。
    「多分寝坊じゃないかな。さっき部屋の前を通ったら
    バタバタ音がしていたし……」
    「ふぁ~……」
    言ったそばから透が食堂に入ってきた。
    「うわっ。髪ボサボサじゃん」
    「シャツのボタンも掛け違えています」
    「あっ……本当だ」
    透は口ではそう言うけど、全く気にした様子もなく、
    平然と俺の向かいに座った。
    胸元のリボンも解けている。
    全員から色々指摘を受けても直す気配がない。
    「まあまあ。とりあえず飯を食わないと……」
    透は大雑把だしマイペースだ。皆知っているからやれやれって顔をして食事の準備を再開する。
    朝食は作り置きしてあるから各自好きな時間に摂って教室に行けばいいんだけど、俺たちは大体同じ時間に食堂に集まってしまう。そして、お互いの世話を焼いたり、要るものを取りに行ったりと忙しい。
    あらかた準備が整ったところで、瑠璃が咳払いした。
    「それじゃあ、お祈りして」
    瑠璃が声をかけると皆一斉に目を閉じ、沈黙する。
    お祈りは夢ノ淵院の朝の日課だ。
    ここには、生徒だけの信仰がある。
    神様は少年たちを見守り、導いて、最期の時に助けてくれる……そう信じられてきた。お祈りの習慣は
    ずっと昔から、脈々と続いているらしい。
    「いただきます」
    お祈りが終わると皆思い思いに食べ始める。
    お祈りの時いつもオオカミは居ない。
    この習慣を毛嫌いしているみたいだし、
    わざと俺たちと食事の時間をずらしているみたいだ。
    「げっ……そんなに食べるの?」
    紫郎は透に向かって言う。
    テーブルの中央には籠に盛られたパンが置かれている。パンは白くて大人の掌くらいの大きさだ。
    各自好きなだけ取って食べていい事になっている。
    透は皿に五つ乗せていた。その中の一つを豪快に割ってジャムとバターを雑に挟んで頰張る。
    「これくらい食べないと昼まで保たないんだもん」
    「透君はたくさん食べますよね」
    「そう?」
    「そんなガッついてみっともない」
    「紫郎……」
    「よく太らないな。普通じゃないよ」
    「紫郎!」
    瑠璃がいつものように『それ以上言うな』と嗜めても、
    紫郎の嫌味は止まらない。これもいつも通りだ。
    「ん~……俺は普通だった試しがないから普通がよくわからん」
    透はあっけらかんと答えた。
    紫郎の言葉にはいちいち棘がある。俺は無視してるけど、正直気持ち良くない。けれどそんなことはどこ吹く風で、透はパンを食べ続ける。既に一つ目のパンは消えて、二つ目のパンを手で割っていた。
    透はおおらかな性格だから何か言われてもほとんど怒らない。大概の事は聞き流している。
    ……でも言われっぱなしはやっぱりモヤモヤする。
    少なくとも、俺は。
    「外で暮らしてる健康な少年なら、透くらい食べるのは当たり前だと思う」
    一斉に皆が俺を見る。普段余計なことを喋らないからか、何か言うと注目されやすい。
    でも、透が言い返さないから俺が言い返しただけだ。
    それに賛同するように、瑠璃も頷く。
    「そうだよ。透は気にせずたくさん食べて。なんなら僕の分も……」
    瑠璃が自分の皿から手つかずのパンを差し出そうとしたので、全員で止めた。
    「瑠璃は他人の事に構いすぎ。これ以上食が細くなったらそっちの方が問題だっての」
    透は苦笑いしながら匙でスープを掬った。
    向かいの透と目が合う。こっそり俺にだけわかるように『ありがと』と口を動かした。
    それでわかった。透は意識して年下の紫郎の言葉を流している。できるだけ波風立てない為に。
    「ふふ」
    「?」
    ふと隣を見ると、羊は微笑んでいる。何が楽しいのか俺には良くわからない。変な奴だ。
    羊は皆と一緒にいる時、だいたいこの顔をしている。
    「あれ? サーシャのペンダントの紐、切れそうだな」
    「え……嘘……」
    「ここ、首のところ」
    「あ、本当ですね。今にも千切れそうです」
    「その紐古かったもんな。どれ……」
    透は匙を置く。そして向かい側から俺の首元に手を伸ばした。
    首筋に指が触れて俺は思わず身を竦ませるけど、透は全く気づいてない。(こういうところが大雑把なんだ)
    透は紐を爪で摘んで力を込める。
    「あ……」
    紐は簡単に切れてしまった。星の飾りが透の手の中に
    ポトリと落ちる。
    「直しといてやるよ」
    俺は軽く頷き、そのままペンダントを託す。
    「……よろしく」
    「了解」
    透はニカリと笑って答えた。
    「それ、直せるの? 透って手先が器用なんだね。知らなかった」
    瑠璃が感心した様子で透に話しかける。
    「器用ってほどでもないでしょ。紐通すだけだし」
    「いや、透は器用だよ。そのピアスも自分で作ってた」
    「へ~そうなんですか?」
    羊が驚いているので、俺は頷いた。ずいぶん前に部屋で作っているのを目撃していたし、間違いない。
    「こんなの簡単だ。太い針で穴開けて針金通すだけだよ」
    「太い針で……?」
    「うん。プスッとね」
    羊と瑠璃は感心して声をあげる。
    「ついでに耳のピアスホールもその時、プスッと……」
    「そういうグロい話やめてよっ」
    紫郎が怒鳴った。羊と瑠璃も怯んだ顔をしている。
    透が気づいて『ごめん』と口にした。
    (今回ばかりは透の方が悪い)
    −−あの時のことは今でも忘れない。俺の制止も聞かないで、透は研究員の薬品棚から消毒薬を勝手に持ってきた。そして『大丈夫、大丈夫~』と笑いながらピアスホールを開けた。挙句『あんまり痛くなかった』と平然としていた。−−
    透は常識的に見えて、頭のネジが何本か外れてそうだな、と俺は思った。
    羊と瑠璃の二人は気をとりなおして透に質問をする。
    興味津々だ。
    「材料はどうしてるの?」
    「過去の生徒が持ち込んだやつとか、研究員が使わなくなったガラクタとか……」
    「そんなのどこにあるの?」
    「納屋に放り込んであるよ。暇な時に漁ってる」
    透は星の飾りを掌に乗せて説明した。
    「ピアスの飾りを見つけた時、この、サーシャのペンダントの星も見つけたんだよね」
    あの日、俺がピアスが出来上がるのを眺めていたら、
    透は『ついでに』と言って、
    あっという間に星のペンダントを作ってしまった。
    そして、それを気前よく俺にくれたのだ。
    誰かに贈り物をもらうなんて初めての経験だったから、俺は本当に嬉しくて、
    それから毎日身につけて宝物にしている。
    「首飾りとか、女みたい」
    水を差したのはやっぱり紫郎だった。
    「紫郎! どうしてそんな風に言うんだ」
    「だってそうでしょ? 全然似合ってないし……」
    「……!」
    俺の宝物を侮辱するひどい言葉だった。怒りでカッと身体が火照る。俺はすぐに言い返そうとした。
    けれど何と言って良いものか咄嗟に言葉に詰まった。
    すると、怯んだ一瞬の隙に意識が暗がりに突き飛ばされた。 
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第三話『水月』

    2019-05-17 17:00  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第三話『水月』(作:古樹佳夜)------------------------------------
    かちゃ、かちゃ。
    古く錆びついた鍵穴に、
    細いピンを差し込む。

    月明かりに照らされた廊下は青く、
    まるで深海にでもいるみたいだ。
    手元が陰ってよく見えないけれど、
    両手は塞がっているしランプは足元だ。
    僕は額にかかる銀髪を払った。
    少し邪魔くさい。

    切りそろえれば目にかからないのに……。

    ……がちゃり。
    かすかな手応え。
    小心者の僕の心臓は跳ね上がる。

    ……きぃ……。

    まるで僕を招き入れるように、
    標本室の扉は開いた。

    壁にずらりと並んでいるのは見知らぬ子供たちの標本だ。
    僕は薄目を開けて、足早に前を通り過ぎる。

    あの子は一体どこにいるの?


    コツコツと聞こえるのは自分の足音のはずなのに、
    心臓が裂けそうなほど鼓動している。誰かに追いかけられているみたいだ。

    は、はやく……早く逃げなくちゃ……!


    僕は『あの時』の事を鮮明に思い出していた。



    ❇︎❇︎



    「皆既月食?」

    「う、うん……羊君は、し、知ってる?」


    庭でスケッチをしていた羊君は
    隣に座る僕に向き直り、首をかしげた。


    「言葉は聞いたことが……」

    「カキフライ定食?」


    羊君を挟んで向こう側に座る海月君は身を乗り出す。


    「流石にその聞き間違いは無理があります」

    「だって、お腹減っちゃってさ」

    「え、えーと……一夜のうちに満月が欠けていって、見えなくなっちゃう、め、珍しい現象のことで……」

    「満月が欠ける?」


    海月君の眉間にシワが寄る。
    僕は膝の上の分厚い図鑑を指差しながら、必死で説明した。
     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第二話『僕の神様』

    2019-04-24 19:40  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。第二話『僕の神様』(作:古樹佳夜)------------------------------------神様は仰った。
    『もうじきお前は死ぬだろう』
    僕は驚かなかった。生まれた時より、死を感じなかった日はない。それでも、心を保ち日々を生きてこられたのは、夢ノ淵院で最期の時を過ごしたからだった。

    用意された三つの選択肢には、
    自分の生を仲間の命で贖えるというものもあった。
    けれど『死』は僕自身に課せられた運命だ。誰であろうと代わることはできない。僕は『自死』を選んだ。

    僕の選択に、神様は良いとも、悪いとも告げなかった。
    ただ、目には見えないその両手で、しかと抱かれた感覚があった。何故なのか……その腕もまた、震えていた。

    『ここで安らかに終わることも出来る』
    僕は浅く頷く。
    『けれどお前は、まだ悔いを残している』
    神様は僕の全てを承知しているようだった。
    言い当てられた途端に涙が溢れ出す。
    神様は僕の言葉を待っている。
    「僕はまだ紫郎に別れを告げていない。無言で去れば、彼はまた独りになってしまう。そんなのは嫌だ……」
    『他人のために涙を流せるようになったのだな』
    神様が耳元で囁いた。聞き覚えのある甘く掠れた声だった。確信はないけれど、僕らの神はすぐそばに居たのかもしれない。
    『いいだろう。今より数日の猶予を与える。お前の運命を変える事は出来ぬが、為すべき事をせよ』
    「はい、神様」

    『ゆっくりと、目を開けろ……』
    気づくとそこは医務室だった。
    ✳︎
     
  • 【さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』】ショートストーリー第一話『マナ』

    2019-04-05 19:00  
    さんたく!!!朗読部『羊たちの標本』ショートストーリーをチャンネル会員限定にてブロマガで順次配信。
    第1話は3月31日放送で冒頭を朗読した『マナ』編。

    (作:古樹佳夜)その日、僕は春の匂いで目が覚めた。
    窓を開けると、屋敷の裏手は満開の白い花で埋め尽くされていた。あれはたぶん、草苺だ。照り出した朝日に花がほころんで、甘い香りを放っている。唐突に、喉の渇きを覚える。何か軽いものなら口にできそうな、そんな気分だ。こんなことはとても珍しい。僕は急いで身支度をして部屋を出た。一瞬、隣室の紫郎を起こそうかと思ったが、彼が人一倍の低血圧で寝起きが最悪であることを思い出し、止めた。


    「瑠璃……?」
    声に気づいて振り向くと、茂みの向こう側から柔らかそうな銀髪がのぞいた。新緑よりも深い緑色の目が僕を捉えてホッとしたように垂れ下がる。
    「サーシャ。どうしたの? 早起きだね」「うん……気づいたらまた外にいた。 きっとアレキサンドラのせいだ」「ああ、そうだったんだね。 夜中は羊と一緒に過ごしていたのかな」「いや。アレキサンドラは 標本室に居たに違いない」
    『標本室』。不意に発せられた言葉に、胸を掴まれたようだった。あの部屋に長居するのは、良い影響を受けないだろう。殊に、サーシャの場合は。「……あんまりあそこに行っちゃダメだよ」「俺に言われても」「アレキサンドラに言い聞かせて」サーシャの眠りは羊同様に浅い。彼の中にいる何人かの人格が、ひっきりなしに身体を使って夢ノ淵院を彷徨っている。サーシャ自身もその行動を制御することは出来ないのだ。