第251号 2017.12.19発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第257回「政治体制としての権威主義に堕した国民」
北米や西欧の成熟した民主主義国で、民主主義に代わる政治体制としての「権威主義」の支持に前向きな市民が増え、「軍による統治がよい」「議会や選挙を顧みない強いリーダーが望ましい」と考える人も増加している。フォアらはそう主張した。
どれだけ政治への不信が強まっても「民主主義の国で暮らすこと」の価値までが否定されることはないだろう――そうした楽観を揺さぶる論考だった。
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山尾志桜里議員、立縣民主党、入党おめでたうございます。やうやく、先生がたの懸念されてゐた問題の一つが解決されましたね。
でも、本当の戦ひはこれから。安倍に対向できる憲法案を打ち出せるか否か、でせう。
今号のライジングの感想です。よしりん先生、もくれんさんのコラムは、どれも同じことを別の角度からとらへてゐるな、と感じました。
物事を感じ取り、考へる習慣が劣化しつつある、といふことです。
おそらく、そこには機械文明の恩恵といふこともあるのでせう。文明が発達・発展し、機械によって生活が便利になると、人は自分自身で判断する領域を狹め、頭を使ふ比重を減らさうとします。その結果、文明や文化は栄えるけれども、人間そのものが進歩・進化しない、といった現象があらはれると思ふのです。
なんか、かたっ苦しく記してみましたが、スマホやPCがあると、いろんなことができちゃふので、かへって、自分では何も判断しなくなったり、考へなくなったりしがちだ、といふやうなことが言ひたいだけです。
だから、リーダーシップのある人をかしらにいただきたくなる。その人に何でも判断してもらひたくなるんだ、と。
文明の発祥によって、貧富の差、都市国家や王国が誕生するのは、それが原因だからでせう。
だから、ソドムとゴモラ、バビロンなどのやうに、モヘンジョ・ダロやハラッパーが廃墟となったみたいなことが起きるんだと。
私も若い頃は個性を優先するのが良い、みたいに考へてゐましたが、文章や仕事にしたって、まづはベテランのかたのやりかたを真似て、そこからアウフヘーベンして、自分のやりかたを磨いてゆくのが肝要だと思ひます。
上から押しつけられるだけではなく、かといって、人生の先輩の経験を無にすることなく、それらを土台として、坩堝として、新たなる自分の方針を打ち出してゆく。それが、文明の発展した社会の名香で、多様性を見いだしてゆくことなのではないか、と。
なんか、有りふれた感想になってしまひましたが、先に自分が記したこととリンクさせると、悪口を人から言はれ続けてゐると、それが当たり前であるかのやうな感覚になり、真に内省することもできなくなり(自分は悪しきものなんだ、仕方がない、で終はってしまひ)、ではどうすればよいのかが見えなくなってくるのだらうとも。
あと、みんな「社交」といふ「演技」や「芝居」を「社会」の中て繰り返してきてゐるのだ、とか、二重人格だ。とか言ふ結論にもなりかねないのだと。
ここで間違へてはならぬのは、あくまでも、自分の実感にもとづく限りでは、なのです。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといった、ビスマルクの言葉は、さうしたものを踏まへてゐるのだと思ひます。
自分の未知の領域がこの世界にはごまんとあるのだ、といふことです。
とりあへず、今回はこんなところにしておきます。
ここからはかなり私的な言葉です。(餘分だといふ指摘があったら、削除します)
何度もあげてるやうな気がしますが、昔、ある掲示板でかなり手痛い失敗をしてゐます。 おそらく、そのやうなことはみんな、一度はしてゐるんだ、といふこゑや批判も出てくるやもしれませんが、主語と述語の不明瞭な、文章だけの世界では、そのことが致命的なことにつながるんだらうと思ひます。
前に、堀辺師範のことを述べましたが、よしりん先生ともくれんさんの放送を見てゐて、「一体、誰が師範が生きてゐたら、なんて無礼なことを述べたのか」と、憤りを覚えました、そして、トッキーさんやもくれんさんには失礼なことを述べたのかと思ひ、そのことをあやまりました。
あとで、これはひょっとしたら、自分のことかもしれない、でも「主述」のはっきりしてゐないことで、拡大解釈をするのは良くないとも思ひ、倉持さんの復帰がよい機会だったので、なくなったかたの名前を借りて、自分の意見の権威づけをはからうとしたことはよろしくなかった、と反省しましたので、そのことのみ附け加へました。
綸言汗の如し、でやはりかういふところに記すのは神経が要ります。誰が、どんなふうに見てゐるのか、まるで想像がつかないのだから。これは、今回のコラムの内容と密接にリンクする、と思ひます。
なほ、宮城さんの道場は、私も応募して、合格して生で見てゐるので、事情はある程度知ってゐます。
宮城さんのことを心配されてゐる門弟のかたの意見も聞いたことがあります。
ゆゑに、このライジングをよむやうになっても、よしりん先生にはサピオあての手紙でアクセスし、御多忙の先生の御都合を考へなかったのは、よろしくなかったのだ、と反省します。
柴山議員のことで、ツイッターで活躍されてゐるかたもをられますが、私は怖くてさういふものはできないです。やらうとしても、見知らぬ他人にフォローして貰ふことや、他人をフォローするのに恐怖感を感じます。このまへ、少しだけやらうとして、結局うまくゆきませんでした。
このまへも、あるところで書き込みをしてみたら、ブロックされてしまって。自分としてはどの選択肢を選んだら、どういふ結果が出るかといふ思考実験のつもりで、真剣にしてゐただけなのですが(言ひ訣ですが)。何だか荒しとか、煽りとか、そんなふうに見られてしまって。
そんな位に、インターネットは恐ろしいと感じます。でも、先生の意見を聞き、感想を書かうと思ふのならば、この場に書くしかない、さうでないと猿になる、。どうすればいいのか、となったりします。
シンキムとかいふ人も出てきたので、正直驚いたのですが、念のためにいうと、自分はストーカーのやうなことはしてゐないと断言します。
そんな暇などないです。読みたい本や番組もあるし。考へないといけないことも、たくさんあるし。
おいもさんのことですが、私が元気づけるつもりでこゑをかけたのもよろしくなかったのかと感じてゐるのです。あるいは拡大解釈かもしれませんが。
名前を名乗って、姿を消してしまったことも心配です。安倍一派にマークされるかもしれないので。直接でないにしても、ネット上とかでも(仮名とかだったら、よろしいのですが)。
あと、先日、人食ひ鬼とかいふやからが、「ゲスト」の意味を知らずにほざいてをりましたが、私もまったく分かってなかったです。といふか、「アカウントのない状態」、といふのがよく分からないです。「立ち読み」といふのも、ひょっとしたら、さうなのでせうか?
インターネットのビデオも、見る人の多いものが、自動的に関連づけられて、自然に見やすくなるんだ、と思ふのですが、なんかこれも違ふみたいです。
かういふのの、手引き書などもあると、助かるんですが。
なんか、とりとめのないことばかり記しましたが、かういふ話もとても大切なのではないか、といふつもりで記しました。この技術は人を便利にした反面、想像力の多機能性を奪ってしまったのだ、とも感ずるのです。
もう少し、みなさんの書き方を学んでみようか、とも思ひます。
それでは、おやすみなさい(道場ヴィデオの感想、もう少し待ってください)。
記事の『室井佑月氏に告ぐ』を読む。
自分だけを信じていれば悪いようにはせんだなんて悪党のセリフだよなあ。
自分も悪党になって弱者を喰い物にしたいけど能力がなきゃ悪党にはなれないからなあ。
自分は政治家は本来、悪党じゃなきゃ務まらない職業だと思っているのですが、それだと山尾志桜里も悪党なのだろうか?
まあ、天使の心を持った悪党もいて良いか。
因みに安倍晋三の場合は悪党じゃありません。
アレは自己保身が強く見栄っ張りでひたすら卑しいだけ。それが度を超えているから強者の悪党に見えるだけなのだ。
室井佑月がどこまで安倍政権が嫌いなのかは知らないが表現者なら あんなお下劣政権を非難するだけの矜恃は見せて欲しい。
ところで山尾志桜里氏が立憲に入党する話だがマジか?
決定なら枝野、エライ!
すみません。掟を破りますが、もう一言だけ。
少し、その書き込みの件で弱気になってゐました(もうあんなの、しないから良いですけれども。本当にインターネットは主観的で、いい加減)。
こんなことを記したって、誰も「主述」を示すことなど、しはしないのだから。
己の内部に悪を包含する気概がないと、世の中に挑戦することなどできないのだ、と。
昔、マクロスといふアニメに、カイフンといふ、(ミンメイのいとかの)平和主義者が登場してゐたが、
彼に魅力を感じられなかったのは、ただ理想論のみを訴へるだけで、言葉だけで、内実がともなってゐなかったから。反戦を訴へることだけだったら、誰だってできる。
そのために、どこまでやってみせるかが大事。
さういへば、マクロスといへば、鶴ひろみさん、なくなったんですよね。ご冥福をおいのりいたします。
あと、犬の洋服の話は、明らかに裸の王様の逆のやうでゐて、実は同じなのだ、といふ話。
あの王様(皇帝)も、着てゐないやうでゐて、何かをまとってゐた。だから、自分が何も着てゐないことに気づいてゐなかったのだ。
虚栄心といふ、見えない衣を。
愚かで自己の地位にのみしがみつくといふことは、どんな悪徳よりも罪深い。
かうやって、規則違反をするのも、自己保全なのかもしれませんが。
しかし、死んでしまったら、何もできないと思ひます。匹夫(ひっぷ)の勇ではいけないのだ、と思ひます。
ただ、向かうみずなのは、勇気ではないです。
「堕落論」は、最初の少女がうつくしいままでゐたいから自殺した、といふくだりがひっかかってゐて読めませんでしたが、トライしてみます。
では、今度こそ寝ます。明日はやいので。
室井さんは大竹まこと氏とやっているゴールデンラジオが非常に面白いですね。たまに護憲派らしい左っぽい発言もありますが、ユーモアを交えて安部をバリッバリに批判してて非常に好感が持てます。テレビでの出演はあまり見れていませんが、頑張って孤軍奮闘して安部政権への疑問や批判を発言しているようです。
決して頭の固い護憲派では無いと思うので話せば丁寧に話せば理解してくれる方だと思います。
ライジング配信ありがとうございます。
今週も面白く読ませていただきました。
もくれん先生のルポで、菅が政権に批判的なことを書いた新人記者を次々と恫喝し、萎縮させたという記述に寒気がしました。
また、小林先生のゴー宣より、日本がソフトファシズムの道をひた走っていることが分かりました。最近どなたかがコメントされたように、長い悪夢を見てる感覚です。
もくれんさんがずっと追ってる小川榮太郎大センセイのトンデモ本ですが、朝日がとうとう損害賠償請求を起こしたみたいです。
それ自体は当然のことなのでいいのですが、笑ったのがけさの中日新聞に載ってたその提訴を受けての小川大センセイのコメントです。
「今回の提訴は言論の自由に対する弾圧だ!」
テレビの前でストップウォッチ片手にバカみたいに「どこそこの局が誰それの発言を何分放送した」なんてどうでもいいことを計ってる輩が吐くセリフなの?と思い朝から失笑してしまいました。
私はどちらかと言うと室井佑月さんの考えに近いんですよね、けれども結局は安倍晋三を引き摺り下ろせないし、政府の方針(日米合同委員会)を変える事は出来ないとも考えます。
しかし、死文化した今の憲法をなんとかしたいとも微力中の微力ながら思うのです。
せめて皇室の事を皇室の方々が自由に決められる様になればいいと思っています。
9条は恐らくは安倍晋三が居なくなっても両論併記だとかふざけた事を遡上している、政府自民には全く期待なんか出来ません。
取り敢えず藁をも縋る思いで立憲民主党に期待を掛けるしか有りませんね。