プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「仮面貴族」ミル・マスカラスがテーマです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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――本日は「仮面貴族」ミル・マスカラスについておうかがいします!
小佐野 マスカラスは近々来日しますよね。8月4日『王道』の青森県弘前大会。ケンドー・カシンとタッグを組むそうですけど。
――マスカラスは今月で74歳を迎えましたけど、まさかこの歳まで現役とは……(笑)。
小佐野 親子何代かに渡って見ているプロレスラーになりますよね、ファンからすれば(笑)。デビューが64年(本デビューは65年)、初来日が71年。
――52年間の現役生活(笑)。
小佐野 いまもメキシコで試合をやってるみたいですよ。そこまでハイペースではないですけど。
――マスカラスって来日前は「悪魔仮面」と呼ばれていたときもありましたよね。ボクが子供の頃、ヒーロー扱いのマスカラスがなぜこんな二つ名なんだろうって不思議だったんですけど。
小佐野 あれは日本のマスコミが勝手にそう呼んでいたんだですよ。あの頃は映像がないからビジュアルからイメージするしかなくて(笑)。マスクのデザインが怖かったこともあるから「悪魔仮面」なんだろうけど。
――マスカラスがどんなレスラーであるか伝わっていなかったんですね。
小佐野 マスカラスはメキシコからヒスパニック系が多いロサンゼルスに進出したんだけど。日本に来るレスラーはたいていロス経由だった。それはロスでミスター・モトさんが日本プロレスのブッカーをやっていたから。そういう理由もあって日本のプロレスマスコミはロサンゼルス地区には強かったんですよ。
――日本と密接なテリトリーだから情報収集も強化していたんですね。
小佐野 逆にNWA総本山セントルイスは強くなかったりね。ロスには『東京スポーツ』(以下『東スポ』)のカメラマンも常駐していたんですよ。
――ロスに住んでいたカメラマンを『東スポ』が現地特派員として雇ったんですか?
小佐野 いや、日本からロスに派遣したんです。つまり海外赴任ですよね。
――そこまでお金がかけられた時代だったんですねぇ。
小佐野 そのカメラマンが撮ったマスカラスの写真が『東スポ』に載った。その頃の『ゴング』は月刊だったんだけど、加山浩特派員、それに特約を結んでいたアメリカの専門誌レスリング・レビューの記者などがマスカラスの写真や記事を提供していたんです。でも加山浩特派員というのは何人かのカメラマンが名乗っていたということを『ゴング』に入ってから聞かされたので、実際には『東スポ』のカメラマンから買った写真も多かったと思いますよ。
――当時は「『ゴング』のマスカラスか、マスカラスの『ゴング』か」……と呼ばれるほど特集していたんですよね。
小佐野 マスカラスが1968年にロスに進出して、1971年に初来日するまでの3年間、竹内(宏介、『ゴング』初代編集長)さんは日本で試合をしたことないレスラーを47回も特集してるんですよ。
――毎月マスカラスじゃないですか!(笑)。
小佐野 途中から『別冊ゴング』が出るから月2冊出るんだけど。マスカラス特集で『ゴング』はガンガン部数を伸ばしていくんですよね。
――日本のプロレスファンは、映像でもマスカラスの試合は見たことないんですよね?
小佐野 だから見たくなるんですよね。あの頃のプロレスファンはアメリカを知りたかったんです。いまみたいに動画がないから写真で見るしかない時代。毎回マスクを変えるのはカッコイイし、そのマスクはデストロイヤーのように眼と口がただ開いているものじゃなくて、頭の後ろを紐で結ぶしっかりとしたもので、デザインも斬新。そりゃあ人気は出ますよね。
――でも、来日まで3年近くも待たないといけなかったんですね。
小佐野 71年2月にマスカラスは日本プロレスに初来日するんだけど。前年の1970年に国際プロレスが「あなたがプロモーター」という企画をやったんです。それはプロレスファンが日本に呼びたいレスラーを募集して、実際に国際プロレスに呼ぶという企画で。1位がスパイロス・アリオン、2位がマスカラスだったんです。結局、翌年の2月に日プロがその2人を呼んじゃったんですけどね(笑)。
――日プロが妨害したんですね(笑)
小佐野 そう(笑)。日プロはマスカラスがメキシカンであるということと、そんなに身体が大きくなくて馬場・猪木の相手には不足なんじゃないかということで、招聘に二の足を踏んでいたところがあったんですよね。
――『ゴング』がそんなに特集してるのに。
小佐野 人気はあるのは知ってるけど「どうなのかな……」と。あの当時の日本にはルチャドールはまだ来てないからね。アメリカにいるメキシコ人レスラーは来ることはあったけど。
――試合ぶりは映像で見られなくてもマスカラスの噂は伝わってきてたんですよね?
小佐野 ドリー・ファンク・ジュニアとNWA世界戦をやって引き分けたとか、デストロイヤーと覆面世界一を懸けて戦って時間切れ引き分けたとか。あの頃の『ゴング』のマスカラス記事は多分、『東スポ』の桜井康雄さんによるメルヘンだったと思います。想像力を膨らませて書いていたんだと思いますよ。
――それは桜井さんも実際にマスカラスの試合を見たことないってことですよね?
小佐野 うん(笑)。
――素晴らしい(笑)。
小佐野 たしか記事にはドロップキック22連発をやっていたとか書いてあったよ。
――実際にやってたんですか?
小佐野 わからない(笑)。
――ハハハハハハハ! ドロップキック22連発なんて書いてあったら、ファンの想像力は掻き立てられますよね。いまでもビックリする(笑)。
小佐野 その頃の空中殺法ってドロップキックしかなかったんですよ。トップロープから飛ぶ技もないから当然ミサイルキックもない。ということは、日本のファンはマスカラスがダイビングボディアタックをやることも知らなかったし、フライング・クロスアタックなんて技があることはわからなかった。
――情報の断絶が未知の強豪を作りだすんですねぇ。プランチャも見たことないんですね?
小佐野 ない。あの頃でいえば、星野勘太郎さんがメキシコ遠征から帰ってきて見せたフライングヘッドバット。あれが斬新な空中殺法。
――となると、来日したら想像を超えるマスカラスの試合ぶりにビックリしたんじゃないですか?
小佐野 凄かった!
――ですよねぇ。いまの時代、その衝撃は味わえないですよねぇ。
小佐野 星野さんが来日第1戦の相手を務めたんですけど、まあ素晴らしい試合でしたよ。見たことのない技の連続だから。たとえばメキシカンストレッチなんて見たことなかったし、サーフボードだって絵になる。頭で倒立してみせるヘッドシザースもやる人がいなかった。ここで肝心なのは来日第1戦ではフライング・クロスアタックを出していないんですよね(笑)。
――とっておきは隠しておいたんですね(笑)。
小佐野 第1戦で見せたのはドロップキックとダイビングボディアタックだけ。クロスアタックを出したのは、ダグ・ギルバートとのタッグで猪木さんと吉村道明のアジア・タッグに挑戦したとき。猪木さん相手に使ったのが日本初なんですよ。
――猪木さんが初めて! なんか面白い(笑)。
小佐野 あのマスカラスの初来日は本当に衝撃でしたね。一緒に来日したスパイロス・アリオンなんてまるっきり霞んじゃいましたじゃら。
――「呼びたいプロレスラー1位」だったのに(笑)。
小佐野 マスカラスにできない技はないんじゃないかって思っちゃうほどだったんです。空中殺法を使う一方で、あの馬場さんをアトミックドロップで叩きつけるパワーを持っている。マスカラスはメキシコだとパワーファイターになるんですよね。ロスやテキサスでもやってたからアメリカンプロレスのスタイルにも対応できた。力負けしない。線の細さはなかったから。
――肉体美もありましたよね。
小佐野 その頃はそんな知識がなかったけど、プロレスには「右を取る・左取る」という基本があって。日本やアメリカのプロレスは左から攻めるけど、メキシコは右からがセオリー。マスカラスはアメリカでやっていたから両方できたんですよ。よくメキシカンが日本でなかなかうまくいかないのは、左を取ることに馴染めないからなんだけど。
――しかし、マスカラスがコケていたら『ゴング』も大変だったでしょうね(笑)。
小佐野 ホントだよ(笑)。「あんなに特集してなんだよ、このレスラーは!?」って雑誌の信頼を失うわけですよ。
――のちに『ゴング』に入社する小佐野さんのいまもなかったかもしれないですね(笑)。
小佐野 奇跡は起きるというか、来日直前の別冊『ゴング』の表紙もマスカラスだったんですけど。来日第1戦と同じマスクとコスチュームだったんです。原稿では「マスカラスは約束を守ってくれた」って書いてるんですけど、単なる偶然(笑)。
――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
小佐野 そのあと竹内さんとマスカラスは親交を深めるんだけど、来日前は本人とコンタクトを取れていなかったわけだから。でもマスカラスのおかげで『ゴング』があると言えるよね。
――マスカラスはロス進出するまで3年間しかメキシコにいませんでしたけど、メキシコではどんな人気だったんですか? ボクら世代は『プロレススーパースター列伝』の知識しかないんですけど、あのマンガもなにぶんファンタジー活字なので(笑)。
小佐野 私はそれを読んだことないんだけど(笑)。マスカラスはデビューするときからスターだったんですよ。じつはグアハラダラでデビューしてるんだけど、それは伏せていて、メキシコシティのアレナメヒコが本デビューになっている。そのときに向こうのルチャ雑誌の表紙を飾ってるんですよね。
――デビュー戦からいきなり表紙ですか!
小佐野 その雑誌の編集長がマスカラスを売りだそう、と。毎回マスクを変えるというコンセプトも最初から決まっていて、雑誌と一緒に売っていくプロレスラーだったんですよ。
――メディアミックスってやつですね。
小佐野 そうそう。だから映画スターにもなったんだろうし。
――マスカラスがルチャで人気を得て映画に進出したわけではなく、最初からその路線だったというわけですか。
小佐野 最初からスター扱いだし、マスカラスはルード、いわゆるヒールはやったことない。メキシコのレスラーってヒールやベビーターンは生涯1回だけの暗黙のルールがあるんですけどね。
――なぜ1回だけなんですか?
小佐野 それがメキシコ・マットのしきたりだと聞いたことがあります、いまはどうかわからないけど。でも、マスカラスは一度もルードをやったことない。
――ずっとリンピオ、ベビーフェイスだったという。プライドが高すぎてレスラー仲間からは嫌われていた……なんて話もありますね。
小佐野 ロスのバトルロイヤルで袋叩きにあって足を折られたとか。それはリング上の話なんで、そういうストーリーなんじゃないかなって。本当にリンチするなら控室でやるでしょ。
――たしかにそうですね。どこかの地区に転戦するから、ケガをしたことにして欠場したのかもしれませんし。
小佐野 マスカラスのプライドは高かったのはたしかなんですよ。対戦した選手はみんなマスカラスが嫌いになる(笑)。
――触ってみると嫌いになるマスカラス(笑)。
小佐野 レスラーになった人って子供の頃からマスカラスに憧れていたりするでしょ。試合前は「あのマスカラスの試合ができるんだ!」って興奮するんだけど、試合後は「なんなんだ、マスカラスは……」ってたいてい呆れ果てて(笑)。
――それは自分の見せ場しか作らないからですか?
小佐野 そういうことなんでしょうね。マスカラスが認めた相手にしか、好きにやらせない。ちなみにマスカラスは天龍さんのことは嫌いじゃないです。だからあのマスカラスに天龍さんはトペとかやってたりするからね(笑)。
――格下のレスラーには絶対にそんなことさせないでしょうね(笑)。
小佐野 ジャンボ(鶴田)も大丈夫だったけど。リングサイドで写真を撮ってると、マスカラスが相手の腕を極めたりして絵になるシーンになるでしょ。こっちがシャッターを押すまで次の技に移らない。シャッターの音が聞こえると次の技に移行する。(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! それは相手はイヤになりますね(笑)。
小佐野 そういえば、日本でUWFが人気が出たときに「あんなのはたいしたことない!」って試合でやたら関節技を出していたりするから(笑)。
――UWFを意識するマスカラス!(笑)。
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