• このエントリーをはてなブックマークに追加
岡田斗司夫の解決!ズバっと 「人は誰もがオタクになれるわけではない」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

岡田斗司夫の解決!ズバっと 「人は誰もがオタクになれるわけではない」

2016-03-15 06:00
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    岡田斗司夫のニコ生では言えない話
     岡田斗司夫の解決!ズバっと 2016/03/15
    ───────────────────────────────────

    おはようございます。

    今日は『解決!ズバッと』はお休み。
    岡田斗司夫が、1995年から2001年に「テレビブロス」誌で連載していた『オタクの迷い道』から、セレクトしてお届けします。

    ───────────────────────────────────

    連載第3回「人は誰もがオタクになれるわけではない」 


     どうも一般の人は、ただ単にアニメや特撮やゲームが好きな人間を「オタク」と思っているようだ。

     しかしその手のものがどんなに好きであっても、それだけの人は「オタク」とは言えない。
     それは単なる「ファン」だ。
     「ファン」が「オタク」になるためには、天文学的な経済的、時間的、知性的投資を必要とする。

     たとえば、どんなに「魔法陣グルグル」が好きで毎週見ていても、その行為はファンの行為でしかない。
     それが、全話CMカットして録画したり、挿入歌CDを買ったり、アニメ雑誌のグルグルの記事を丸暗記したり、関連商品を買い占めし始めるとオタクへ一歩踏み出したといえる。

     ただしこれは一歩間違えば単なるコレクターやマニアになってしまう。
     グルグルを、類似作品、たとえば「赤ずきんチャチャ」や「レイアース」と比較し始めたり、スタッフクレジットをチェックし始めたりすると、オタクにリーチがかかったといえる。

     そして、彼の頭の中の知識が熟成して友達に彼なりのグルグル論・アニメ論・演出論を語り始めたときが、彼のオタクとしての第一歩なのだ。
     その論がいかに幼稚で、聞いたようなものであろうと、今までの見て楽しむだけ、集めたり研究するだけの彼とは明らかに一線を画する行為である。

     そして、彼が他の人をうならせる為だけに、人の見ないマイナーな番組や古い番組をチェックし始めたり、中世魔導書の研究のためにヨーロッパの城塞都市に取材に行ったり、グルグルのパロディマンガやグルグル論を同人誌に書き始めたら、彼はオタクとして立派に成長し始めたといえる。

     才能だけではオタクにはなれない。
     努力と精進が門を開ける鍵である。
     オタクとはこのように「オタクの定義だけでも3時間喋る奴」の別名でもある。


    以上、『オタクの迷い道』よりお届けしました。
     
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。