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記事 447件
  • 「お前らまだ生きているじゃねえか」

    2024-04-05 07:00  
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     桜の花弁が春風に舞う頃に、年に一度だけ会う人たちがいる。
     

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  • 「育てることは育つこと」

    2024-03-04 07:00  
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     小学校の片隅に小さな植木鉢がたくさん並んでいる。一年生の子供たちが球根を植えたチューリップだ。子供たちは毎日登下校の際に自分の鉢に水をやっている。「やっと芽が出たよ」「茎が伸びたよ」「どうしよう、赤白黄色を離して植えたのにどんどんくっついて来ちゃったよ」 植木鉢という小さな世界の中で生きている小さな命の成長を見守りながら子供たちは自分自身を成長させている。
     

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  • 「嗜好品とうまくつきあいたい」

    2024-02-28 07:00  
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     先週、急性扁桃炎で発熱して二日間ほど寝込んだのをきっかけに酒とコーヒーを飲まなくなった。案の定よく眠れている。腸内環境も良くなって花粉症の症状まで緩和された。いつもどこかに不調を抱えていたのが嘘のように体調が良い。15年ほど前に煙草を吸わなくなったときも、これまでに何度も酒を飲まなくなった時も同じことを思った。
     

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  • 「青春」

    2024-02-16 07:00  
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     仲間の訃報が届いた。 あまりに突然だった。 同じ年で、同じ世界で、働いてきた仲間だった。
     

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  • 「生きている」

    2023-12-20 07:00  
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     喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきます、と印刷された葉書がはらはらと届く季節になった。
     

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  • 「風が吹き抜けるたびに、永遠が訪れる」

    2023-12-01 07:00  
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     晩秋のやわらかな木漏れ日を浴びて7歳の娘がうれしそうにかけていく。その小さな影を不思議な気持ちでゆっくりと追い掛ける。トトロの森に向かうような小径を抜けたところに、あの人の畑がある。
     

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  • 「ぼくはいま人生という名のフルマラソンの何㎞地点を走っているんだろう」

    2023-11-27 07:00  
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     なぜか最近になってフルマラソンを走ったときのことをよく思い出す。
     

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  • 「故郷の引力」

    2023-11-17 07:00  
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     大和駅の改札を出たのは午後2時を回ったところだった。待ち合わせまでまだ1時間近くあった。真っ先に目に入ったのは喫茶フロリダ。今となっては昭和レトロな看板は18歳まで暮らしていた当時のままだった。唯一見覚えのあるその場所を起点に朧気な記憶を辿るように歩き出した。大和に来るのは父が亡くなって以来だ。療養中の自宅アパートで朝食後に意識を失い、救急搬送されたのが大和市の大きな病院だった。2019年3月だったので4年振りになる。熊本出身の父が家族を作り、一番長く暮らした町。その父が人生最期の朝日を見たのが、そして集まった家族に見送られたのが、当時住んでいた隣の市ではなく、大和市だったのも今となっては何かの縁だったように思える。
     駅前の風景は18歳まで暮らしていた頃とは一変していた。相鉄線の線路が地下に潜ったのも大きいのだろう。線路跡地は広い歩行者道になっていた。かつての線路の上を歩きながら当時の記憶を呼び覚まそうと試みる。聞こえてきた子供たちのはしゃぐ声に足を止める。もしかして、ここ。針の先に掛かった魚を釣り上げるように記憶の糸を手繰っていく。急いでリールを巻くように歩を早める。交差点の一角に見覚えのある建物があった。 西山学園大和幼稚園。48年前に通っていた幼稚園だ。卒園して四半世紀が経つ。園庭をあの頃の自分が駆け回っている。去年までの娘の姿が重なる。自分が想像もしていなかった未来に立っているのを実感する。
     

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  • 「何を探しているかはわからないけれど、ずっと何かを探し続けている」

    2023-11-15 07:00  
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     藤沢駅で箱根そばを食べようとしたら閉店していた。湘南台駅で下車して地下コンコースにある箱根そばに入る。販売機の前に立つといつもは食べない「コロッケそば」に指が伸びていた。だし汁に程良く浸かった熱々のコロッケを久し振りに頬張った瞬間、カレー味の中身とともに晩秋の大和駅ホームで同じものを食べたときの空気に包まれた。17歳だった。
     

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  • 「ぼくが彼だったかもしれない」

    2023-10-13 07:00  
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     自分が彼(彼女)だったかもしれないと感じる人と擦れ違う瞬間はないだろうか。ぼくはたびたびある。たとえば徒競走で横並びだったランナーのひとりが最終コーナーで転んだとき。たとえば通勤ラッシュ時に駅の階段を昇っていて目の前の人が派手に転んだとき。タイミングを間違えていればぼく自身が彼(あるいは彼女)だったかもしれないという思いが去来する。だから手こそ差し伸べられずとも、救いがあることを心の中で祈る。同情とは違う。見下しているつもりもない。自分の方がその人より幸せだなんて思ってもいない。幸せも不幸せも運次第というか、ただの巡り合わせに大きく左右されることもあると思っているからこそ「たまたま」転んでしまった人のことをタイミングが違っていれば自分だったかもしれないと感じるのだと思う。
     

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