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記事 13件
  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#14 シャドウ効果2 ロールモデル

    2014-09-30 08:00  
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     人はこのようなシャドウを噛ませることで、想像力を豊かにしている。しかし、実は知らず知らずにこの機能を利用しているものの、ほとんどの場合無自覚であるため、困ったときにこれを意識的に召喚することができない。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#13 シャドウ効果1 補助線

    2014-09-29 12:00  
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     この効用は僕にとってはビジネスノウハウであると同時に哲学的問題である。「応用」即ち譜面を実演することはいかにして可能になるのか。また余談から入るが、ドラムマニアは本当に僕にいろいろなことを教えてくれた。たとえば連打の譜面が入ってきたとしよう。ロータムハイタムシンバル混じりで、LLL、HHHHHH、LLLみたいな感じで読点は休符と考えたとする。ゆっくりなら簡単だが、高速16連符のリズムだったらこれをどうやって合理的に叩くかを考える必要がある。高速で叩くためには片手で二連などはするわけにはいかないから、左右左、右左右左右左、右左右のように叩くことが一見合理的に見える(交互に動かす方が簡単だからだ)。しかし実際にやってみるとこれも案外難しい。休符が連打のリズムを狂わせるからだ。ジェットスティックという俗語があるが、手を回すのに失敗してスティックを落としてしまうこともしばしばだ。ではソリューションは何かというと、実際の演奏では考えられないながら、ゲームだから許される技としては、「休符も叩く」という工夫があった。休符を叩くと以下のようになる。左右左右左右左右左右左右左右である。こうすると、綺麗に一定のリズムを刻むことが可能になるのだ。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#12 実演の効用4

    2014-09-27 08:00  
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    「見えない」とは的確な対応概念がないこと、とさしあたりしておこう。とはいえこれが認知的に実際に見えなくなったりするので、やはりこの表現を取らなければならない。ともあれ、見えないことは問題だ。見えないということは操作が不可能だということを意味するからだ。たとえばユークリッド幾何学では平行線公準があった。「1 直線が 2 直線に交わり、同じ側の内角の和を 2 直角より小さくするならば、この 2 直線は限りなく延長されると、2 直角より小さい角のある側において交わること」とのことだが、これが「交わらない」ということで非ユークリッド幾何学が誕生したのである。非ユークリッド幾何の範囲で考えられることは、かつては存在しなかったことだ。
     なんだかあまりにも遠くへ来てしまったがドラムマニアの話に戻ろう。何でこんな簡単なことを言うためにこんな回り道をしたのだ、という気持ちだが、簡潔に述べるとこういうことだ。譜面だけを見て腕の動きを考えると袋小路に入り詰むが、なぜかすでに自在に曲を演奏できるスーパープレイヤーの演奏実演を見ると、その動きを真似して自分も極めて効率的な修練が可能になる、ということである。まだYoutubeもなかった頃に、いわゆるプレイ動画をアップしてくれていたサイトがあって、僕もたいへんお世話になった。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#11 実演の効用3

    2014-09-26 08:00  
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    実演の効用3
     思い出したのだが、概念がないことと「見えない」ことがもっとも典型的に現れるのは色の概念である。たとえば日本人にとって虹は七色だとされている。実はこれが七色だということにしたのもニュートンである。ところが、色を表現する基本語彙が異なる部族の場合は、たとえば虹を二色や三色の表象だとして表現したりすることがあるのだ。
     とはいえ、これは当の部族が未開的だから語彙が少ないということではなくて、言語の文節範囲が異なるゆえの現象だと考えねばならない。いまどき繰り返すのも古臭いことだが、構造主義の起源とされる言語学者ソシュールが述べたように、私たちが認識する事物というのは、事実や物が先立っているのではなく言葉が先立っている。言葉が先立っているということを「言語の恣意性」と言う。日本語と英語を比較して、同じ価値を持っているとされる「犬」と「dog」が実はそれぞれ違うものを含んでいたりするのがその一例だ。dogはジャッカルを含むしジャッカルは実際イヌ科だが、私たちは犬といってジャッカルを想像しないだろう。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#10 実演の効用2

    2014-09-25 08:00  
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     少し思想的な言い回しを使ってこの現象を説明すると、これは概念がないということだ。概念がないということは「見えない」ということである。
     たとえば万有引力はニュートンが発見した概念だ。当然、現代の私たちにとっては常識だが、ニュートン以前はアリストテレスの説明が支配的だった。アリストテレスは、石の元素に原状回復機能があり、人間や動物に帰巣本能があるように、世界に散らばった石の要素が地に戻ろうとするのが今でいうところの引力の作用因だと考えていた。ずいぶんとロマンティックな説明に聞こえるだろうが、僕はこの説明も結構好きだ。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#9 実演の効用1

    2014-09-24 08:00  
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     本当に言いたかった話はこっちである。実際の人物が内容について語るこの種の雑誌の効用は、その人物が自分の経験に即してものを語るため、動いている絵が想像しやすいということだ。
     この効用は非常に大きい。少し妙な例を出す。ビートマニアというゲームがある。KONAMIの音楽シミュレーションだ。ゲームセンターに行くと大きな筐体が目を引くだろう。鍵盤が存在しており、画面には譜面が表示される。といっても五線譜ではなく、いわゆるギターのTAB譜に似たものだ。上から下にボタン表示が遷移し、基準線が存在するので、そこをボタンが通過した瞬間に鍵盤を押すと、楽曲を正しく演奏できるという仕組みである。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#8 権威主義の演出

    2014-09-23 08:00  
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     焼き直しにも効果があると述べた。だが、ビジネス書系の雑誌には別の効用もある。というのは、言うなれば権威主義なのだが、雑誌では、偉い学者や有名どころの企業に所属するサラリーマンやら役員やらが現れ、自分たちのビジネスノウハウについて語っている。はなにつくと思うかもしれないが、人は権威に弱いもので、意地悪く言えば、話をもっともらしく見せるための編集の技である。他方、実際に成果を出している人に肉薄した実に上等なノンフィクション的取材でもある。こういう取材は、誰が・何が「ほんもの」かを見極める取材者の目が重要なので、そちらについてはなかなか信用しにくいが、稼いでいるお金がものを言う資本主義下では、その尺度で判断できるジャンルなので、この点で私たちもある程度安心できる。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#7 雑誌の効用

    2014-09-22 08:00  
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     ここで言う雑誌とはとりあえずファッション誌とかビジネス誌のことだ。多くはだいたい、通年で同じ話題を繰り返しているだけだが、それは必ずしも悪いことではない。というのもだいたい人は去年のことを忘れているからだ。また、本当に新しい情報も載っているので、取材と編集さえしっかりしていれば雑誌には十分な価値がある。
     いまは『プレジデント』を読んでいる。前号もよかったのでどこかで言及したいのだが、とりあえずは手元にある今号の話。今回のテーマは「「時間」の科学」だ。能率100倍というあおり気味の惹句も踊っている。 

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#6 『ハイスコアガール』

    2014-09-19 08:00  
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     最近も『ハイスコアガール』が炎上していたが、権利元に権利を確認していない、というのは情報産業ならではの問題とも言える。情報というのは抽象的で普遍的な概念であり、コンピュータやネットの整備によって触れやすくなったが、別段そのことによって登場した新しい概念というわけではない。
     係争中っぽいので特に新しい情報はなさそうなのだが、『ハイスコアガール』が刑事事件になったのは、この作品でSNKプレイモアの作品を無断引用していたからだ。ゲームのタイトルだけではなく、画面やキャラクターが模写的かつ連続的に登場していたので、これはちょっと言い訳をできそうにない。当然、この作品はマンガだから、批評や研究には属さないと見られる。マンガ表現は批評ではないのか、と言われるとこれは深淵な問題だが、これはライトノベルが定義不可能だからなんとなく「特定レーベルから文庫版で出ていて、その特徴としてマンガ的な挿絵がある」というような後付けの定義でお茶を濁しているのと一緒だろう。一応、今のところ批評や研究は文章の体裁でなされるものとなっている。じゃあ『ゴーマニズム宣言』は?と言われるとなかなか耳が痛いところである。 
     

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  • 村上裕一の不定期コラム(仮)#5 横流し2

    2014-09-18 08:00  
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     商行為とは本質的に横流しであり、その最たるものが商社の存在だ。ではなんで商社がありがたいかというと、独自の経路を持っているとか、運送業とリンクして遠くのものを手近まで持ってきてくれるとか、大量に調達してくれるので一品一品の費用が安くなっているとかのおかげである。物理的な媒介をしてくれているのだと思えば、私たちも手数料を払いやすいというものだ。
     そのはずだが、洗練された利便性は私たちを盲目にしてしまう。たとえばコンビニにはいつも充実した品揃えがあると思いがちだが、これも洗練された横流しのおかげである。僕は実家に帰省するときは新幹線を使うが、その費用は往復三万円だ。電車なら往復18時間、徒歩なら1週間はかかろうか。このショートカットをお金で果たしているわけだが、慣れてしまうと費用の絶対額が、日々の家計の中でのみで考量されてしまうので、「高ぇ」と思ってしまう。 

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