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シューティング初代ライトヘビー級王者・川口健次インタビュー。その始まりから見続けてきた男が語る「修斗」とは何か? 後編は修斗創始者・佐山聡の離脱とはなんだったのか――?(聞き手/ジャン斉藤)


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――修斗創始者の佐山(聡)さんは1996年のバーリトゥードジャパンを最後に修斗から去りました。初代シューターの川口さんは佐山さんとの関係は深いですが、そうなる気配はあったんですか?


川口 それがまったくなかったんですよね。佐山先生は大宮(シューティングジム大宮)にいて、私や桜田直樹代表なんかは自分たちのジムをそれぞれ持っていたじゃないですか。佐山先生とは、いつも一緒にいたわけじゃなかったんですよね。で、そのバーリトゥードジャパンの会場で中村頼永さんから「佐山さんが修斗をやめるらしい」といきなり聞かされたんです。

――
中村頼永さんは佐山さんの一番弟子のような方ですね。

川口
 大会が始まりますから落ち着いて話をできる状況じゃなかったので、大会が終わったあとに中村頼永さんに詳しい事情を聞いたんです。場所は選手や関係者が宿泊したホテル。そこで頼長さんと桜田代表、石山重行会長(当時・修斗協会会長)、中村晃三オーナーの5人で話をして。

――
中村晃三オーナーとは当時の修斗の親会社だった龍車グループの代表ですね。

川口
 その場に佐山先生はいなかったんですが……佐山先生は「修斗をやめてプロレスをやる」と聞かされて。いきなりの話だったんで、本当にわけがわからなかったんですけどね。修斗って経営自体は昔から良くはなかったんですけど(苦笑)。龍車グループがオーナーになったことで、そこまでお金の事は心配しなくていいのかなっていう感じにはなったんですよ。ただ、佐山先生が修斗を作った当初は資金面でいろいろとあったらしいんですよね。

――
競技確立のために佐山さんが借金をしていたわけですよね。

川口
  そのお金を少しでも返していく……ためにプロレスを始めるということだったみたいですけど。 もう20何年前の話なのでハッキリとは覚えてはないんですけど、晃三オーナーからは「君たちは捨てられたようなもんなんだよ」とまで言われたんです。

――
それってすでに佐山さんの撤退話が進んでいたということですよね。

川口
 ということですね。それまでに大宮のほうでは、佐山先生が出てくことについてどう思うか一人一人聞かれていたらしいんですね。 私や桜田会長が聞かれたのもそういう流れらしくて。私が聞いたのは、大宮の中には「出ていくのであればもういい」と言ってる人間もいたようなんですね。実際にそんなことを言っていたのかどうかはわからないですけど。初代シューターにならば「佐山先生、ちょっと待ってください!」とパニック状態になっちゃいますけど……。

――
それは佐山さんがプロレスに戻ることへのアレルギーもあったということですか? 当時はプロレスに対する格闘技側の嫌悪感は想像を絶するものがあって。

川口
 私は佐山先生がプロレスをやること自体は特に反対ではなかったんですよ。ただ、修斗のグローブをつけてプロレスをやるとボクたちの立場がないから……というのはあったんですけど。マスクをつけてプロレスをやること自体は抵抗はなかったし、初代シューターなんかはタイガーマスクに憧れて修斗に入ってきた人ばっかですよ。ただ、大宮の中にはプロレスをやること自体に反対していた人たちもいたらしいんですよね。それは個人の考えだから、それはそれでいいとは思っていたんですけど……。

――
その時点で佐山さんがひさしぶりに新日本のリングに上がって、ライガーさんとエキシビジョンマッチをやってましたよね?

川口
 あれはエキシビジョンマッチというかたちでやってたので、私の中ではいいんじゃないと。プロレスに対して厳しかったのは坂本一弘(現サステイン代表)ですね。 彼はそのへんシビアなところがあって。初代シューターの渡部優一さんがプロレスをやることに関しても厳しかったんですよね。ボクは渡部さんに「マスクをつけてやるには構わないとは思いますよ」と話した記憶があるんですけど。

――
渡部さんは現に仮面シューター。スーパーライダーというマスクマンで活動していましたし。

川口
 ホテルで話を聞いていくと、大宮では佐山先生は「先生」というニュアンスじゃないことが伝わってきて。何かうまくいってないような雰囲気なんです。

――プロレス云々じゃなくて距離ができていたということですかね。 

川口
 じつは私もそれは感じてはいたんです。佐山先生の目指す総合のスタイルと、弟子たちの目指す総合のスタイルが違ってきてた。それは中井(祐樹)からも聞いたことはあるんですよ。

――
中井先生は当時大宮でしたね。

川口
 距離ができてしまうのは仕方ないなあとは思ってたんですよ。 あの頃は修斗スタイルからグレイシースタイルに変わっていった時代じゃないですか。大宮にはグレイシー柔術を知るエンセン(井上)がいたことによって柔術スタイルのほうに変わりつつあったんですよね。佐山先生のシューティングスタイルを学びに来る人は少なかったと思うんですよ、当時は。ヒクソン・グレイシーを呼んで、周囲の反対を押し切ってマウントパンチを導入したのは佐山先生なんですけど。グレイシーと関わらなかったら、修斗はいつまでたっても日の目を浴びることはなかったと思いますね。

――
朝日さんもホイラーとやるとき「このルールで戦うにはまだ時間がほしい」って言ってましたからマウントパンチがあるなしでは、競技そのものが違うということなんでしょうね。

川口
 まだ知識不足でしたよね。

――
川口さんはそのホテルの会談でどんな話をされたんですか?

川口
 ボクは先生が出て行ったとしても「佐山先生は先生なので」と言ったんですよ。そしたら晃三オーナーは驚いたような顔をしてたんですよ。「……そんな大それたことを言ってしまったかな……」ってビックリしたんですけど(笑)。それは桜田代表も同じようなこと思ってたんですけどね。あとから「なんであんなにビックリしていたんだろうね」って。 

――
要するに「もう先生じゃないだろう」ってことなんですかね。

川口
 そういうことだと思います。

――
朝日さんも大宮でしたけど、朝日さんから何か聞いてなかったんですか?

川口
 朝日さんは大宮だったけど、ホイラー戦があったから。その話についてはほとんどタッチしてないと思うんですよ。

――
朝日さんは佐山さんがやめられるということを聞いてなかったということですか?

川口
 じゃないかなあ。どうかわからないですけど、ホイラー戦という大一番のために練習してたし、そこらへんは周囲が気を使ってたと思うんですよね。

――
佐山さんとはこの件でお話をされたんですか?

川口
 オーナーたちと話をしたホテルに佐山先生も泊まっていたので、私と桜田代表、頼長さん、中井を含めて5人で話しました。 そのとき佐山先生は「修斗にはもう関わらない」とは言ってなかったんですけどね。「プロレスをやるんだ」と。ただ、いつもの佐山先生との口調とは違ったところはあったんですよね。普段は冷静な佐山先生が冷静さに欠けていたようなところが見えたんです。ちょっと追い詰められてる……じゃないけど、 何か余裕がないような話し方だったんです。

――
それは修斗から完全に関係が切れてしまうという危機感ですか?

川口
 そうじゃないと思います。そのときはあくまで「プロレスをやる」という話だったし、それはお金の問題もあったし……。

――
現場とのそりの合わなさも。

川口
 正直、晃三オーナーとの関係もうまくいってなかったと思うんですよね。佐山先生に言わせれば「そんなことはないよ」とは言ってたんですけど、ボクからすれば、とてもいい空気じゃないよなっていう風には見えたんですよね。

――
川口さんと桜田さんの「先生は先生のまま」に対するリアクションを見ても……。

川口
 名前を伏せますけど、 佐山先生の悪口を言ってる大宮の人間もいたんですよ。一度だけじゃなくて何度か。
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