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人々は、その間に境界線を設定してやると、その向こうに相手側の仮想的な人格を想定する。
それらが公共の場で自由なコミュニケーションを行う段階になったときに、先入観と現実の認知的不協和を起こしてしまい、溝が大きくなり、お互いの平和と安全の為に元の場所へ還っていく。
できるだけ原発村内部とその周辺で物語を完結させようとする意志が働いているのでしょうか?
そうですね。同じ地区に暮らすことによって、お互い理解しあえなくなるのは皮肉なことです。仰る通り、この話には原発村周辺で物語を完結させようとする欲求が働いていますね。なぜそれが働いているかというと、そうすれば理解がしやすいからです。人はなかなか理解できない状態で放置しておくことはできないのですね。
新しい視点ですね。とても興味深いです。
原発村住人と避難先の地元住民についての話をするならばマイケル・サンデルの名著「これからの正義の話をしよう」くらいは必読ですね。
原発村住人は(普通の人もですが)色々な形で寿命を終えていくでしょう。一般論として。
しかし飼い殺しという表現は実に的を射ていると思いました。
当事者は長生きしても百年ほどでいなくなります。逆に言えばその百年さえ飼い殺して、やりすごしてさえしまえば原発事故は教科書の一ページになり、ただの教訓になりますからね。
こんな書き方をすれば冷血な印象を持つ方も多いでしょうが、僕の大切な人やその家族も被害にあっています。他人事ではありません。が、感情的になっても事態は好転しません。
なんだか今大きく問題になっている生活保護の不正受給を連想せずにはいられませんね。こういった被災して東電からお金をもらって遊んでいるのは、果たして「正しい」ことでしょうか。
メディアで取り上げられているのは極端な一部にすぎません。しかしその一部がクローズアップされることによって、視聴者は「それが全てなのか」と誤認してしまうことさえあります。
正しい知識と教養と品格が実際の行動に裏付けられて初めてそれらは意味と意義、そして責任があるのだと、再認識の必要性を感じました。
>>3
その通りだと思います。今、身も蓋もない正しさが求められる。現実を見据えて、これからのことを建設的に考えなければ、人はどんどん誤った方向に流れていくでしょう。
書いた後で気づいたのは、この話はすぐれて「物語的」ということです。人間は物語という枠組みの中で、ものを考える。すると、原発村の人全てがこうなのだと、そうではないと分かっていても、そう思いたくなる心理的欲求が働く。
でも、それは人間の弱さに起因しているので、克服して「彼らも一様ではない」というのは、常に頭の隅にとどめておく必要があるでしょうね。
このやり方は施しをする者の名分を保つ上で便利なのかもしれないですね。
実際は中身がないけど、受け手はありがたくもらう。
ゾマホンさんも言ってましたが、
飢えたアフリカの人たちに、ただ穀物を送るのではなくて、
その土地でなら育てられる穀物の育て方を教えるのが本当の援助ではないかと思います。
昔、中国の斉に晏嬰という名宰相がいて、
彼は国に飢饉が発生した時に、民を飢えさせないために公共事業をうまく利用しました。
君主に聴許を得て、宮殿をつくることにし、工賃を水増しさせて完成予定日をわざと遅らせました。
それによって民衆の懐を潤わすことによって民が飢えることをふせぎ、君主は宮殿の完成を喜びました。
これは田中角栄の日本列島改造論でも行われていて、
交通整備に力をいれることで地域の行き交いをしやすくし地方の発展に寄与するのと同時に、
安定した働き口の提供も兼ねていました。
僕は、この問題に際しては、
働き口の提供を国家で提供できればいいんでしょうけど、
その引き出しが今はない、なんて感じます。
>>5
働き口がない、というのが今の大きな問題ですね。社会が少人数で回るようになったのか、人が増えすぎたのか。仰るように、生活保護の人たちの問題も同根で、学生の就職難もこれに含まれると思います。今、色んな場所でゆっくり飼い殺しされようとしている人たちが同時多発的に生まれているのかもしれません。「ゆっくり殺されていってね!!!」といった感じでしょうか。
>>6
なのに不思議なことに今働いてる人たちは残業をたくさんしてる人結構いると思います。
過労が原因で死んでしまう人もいるくらい。
"社会が少人数で回るようになったのか、人が増えすぎたのか。"
120人で定時就業する会社より
100人で残業している会社はけっこうあると思います。業務内容にもよりますが・・・。
場合によっては残業代を払わないで働かせることで成り立ってる会社もあるかと。
僕はこの雇用問題はブラック企業が招いたんじゃないかと。
同規模同分野での生き残りってやっぱり無茶なことしてる会社のほうが有利だと思います。
労働環境をきちんと提供している会社が逆に生き残りづらく、競争の中淘汰される。
そうやって無茶する、いわば雇用者にサービス残業のような負担を強いている会社が跋扈するようになっていくと、
そういう会社は仕事が増えた時に、新しく労働者を募集するのではなく、今いる労働者にサービス残業してもらうことを選択すると思います。そっちのほうが安くつくので。
結果日本の社会としては働き口がふえません。
なおかつそんなブラックな環境耐えられない労働者続出で雇用は流動化する。
日本の社会は労働者の権利を犠牲にして成り立っている面が強く、
労働環境の整備がきちんとされていないから、ちゃんとした雇用を提供できていないなんて感じます。
>>6
ご丁寧に返信いつもありがとうございます。
申し遅れてすいません。