♪垣根の垣根の曲がり角 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き
僕らが歌っていたあの童謡を、今の子供たちもまだ歌っているのだろうか?
夏から秋に掛けてたくさんの恵みをくれた八丈オクラやミニトマトの木、刈り取った枯れ草なんかで、畑の片隅に緑の小山を作るたびにそう思う。特に晩秋の夕暮れになると、なぜだか焚き火が恋しくなるのだ。
♪垣根の垣根の曲がり角 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き
僕らが歌っていたあの童謡を、今の子供たちもまだ歌っているのだろうか?
夏から秋に掛けてたくさんの恵みをくれた八丈オクラやミニトマトの木、刈り取った枯れ草なんかで、畑の片隅に緑の小山を作るたびにそう思う。特に晩秋の夕暮れになると、なぜだか焚き火が恋しくなるのだ。
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
コメント
コメントを書くお役所の方の発言、自分達を守るための条例を作ったように感じてしまいました。
焚き火の歌、子供たちに説明ができない時代が到来する日が近そうですね。
木枯らしが吹く頃の風物詩なのに。
おはようございます。小さい頃、庭と道路にある落ち葉を掃除して、家の紙ごみと一緒にまとめて燃やすのが私の仕事でした。四角い石油缶に、一生懸命キリで穴を開け燃やす入れ物も作ってましたー。祖母と竹の棒で、燃やしやすいように空気をいれながら、縁側にこしかけつつ、たわいもない会話。たまに銀紙に包んださつま芋やとうもろこしを焼いたりー。ほっこりゆるやかな秋を感じる一時が大好きでした。落ち葉の燃やしかた、マッチの付け方、そこでいろんなこと学んでたんだなぁーって今更ながら感じます。今の子供たちは、落ち葉はごみ袋にいれるゴミになってしまってるんですよねー。なんだか、寂しいですね。燃えかすが風で飛んて、おっかける遊びなんて、もう、できないんでしょうね。
子供の頃、近所の公園や空き地で、秋になると枯葉を集めて、それを燃やして、そこにサツマイモを入れて……出来上がったやきいもが美味しかったことを思い出しました。
最後のやきいもが待ってるから、枯葉を集めるのが苦ではなかった記憶があります。
ぜんそくもちですけど、枯葉を燃やす煙はつらくなかったなぁ。
私も副流煙のほうをなんとか取り締まってもらえないかと心から思います……。
便利さとか、企業の利益とか、
オトナの事情?とやらはよくわかりませんが(年齢的にはすっかり大人、なんですけど)
そういうことを優先することで、
なんか変だな?と思うことが多いですよね。
こんにちは。私もたき火ができないことを寂しく思っています。庭を片づけたときの葉っぱや木を燃やして、 灰を(成績の悪い)菜園へ入れたいとうずうずしますが、やはり住宅街なので、役所に問い合わせをするまでもなく自粛しています。 それでも、子供にたき火の楽しさ、怖さを教えたいと、子供がごく小さいときから実家に帰ってはたき火をしたり、薪でお風呂を炊いたりやっています。(実家は紀州の山の中です)
火や水、いいところ、怖いところを感覚でわかる、スマホがなくても生きていける人間になってほしいのです。
せめて、住宅から離れた畑、お寺や神社の境内などではやっていてほしいですね。
>>1
お役所の方は「全体の奉仕者」ですから、それだけ野焼きに対する住民の苦情が多かったということだと思います。テレビをつまらなくしたのは視聴者のクレームだという話が最近ネットで話題になっていましたが、(時に過剰な)苦情やクレームが世の中から自由を奪っていることも見過ごしてはいけないと思います。すなわち、僕らは自分で自分の首を絞めているんですよね。
>>2
今、都会で冬の風物詩とされているのは街路樹などに施されたLEDイルミネーションなんだそうです。焚き火の炎や匂いには人間を癒やしてくれる効果もありますが、LEDにもまた癒やし効果があるんだそうです。近い将来「♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き」という歌は「♪電飾電飾イルミネーション」になっているかもしれませんね。
>>3
「なんか変だな」と思うことに対して大人ができることは「変だな」ということをやっている企業にひとり1人がお金を使わないこと、これに尽きると思います。
>>4
紀州ですか。うらやましいです。僕もいっそのこともっともっと田舎に移住してしまいたいな、とこのところ思うようになりました。仕事柄なかなか現実的な話ではないのですが。
>>5
全く同感です。世の中に「共通の常識」というようなものがどんどん無くなっていると感じています。数からすればごく一部の人たちだと思いますが、過剰なクレームで大騒ぎする一部の人たち(教育の場だと「モンスターペアレント」なる言葉もありますよね)によって、ごく普通の常識的な(そしてサイレント・マジョリティ的な)人たちの楽しみや生活をどんどん残念なものにしていってしまっていることがとても悲しいです。