• このエントリーをはてなブックマークに追加
「震災前にどんな気持ちでこの海を見ていたのかを思い出すことはもうできないのかもしれないけれど」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

「震災前にどんな気持ちでこの海を見ていたのかを思い出すことはもうできないのかもしれないけれど」

2016-03-11 07:00
  • 8

 海の見える家を手に入れたのは6年前の3月のことだ。その11ヶ月後に結婚を決めた。2011年の2月だった。晴れ渡る冬空と澄んだ海を一望できる134号線沿いの小さなビストロで家族と白ワインを飲みながら、8ヶ月後に入籍し、この家で一緒に暮らしていくことを確認し合った。その日に撮ったのがこの写真だ。

 
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
ニコニコポイントで購入

続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

入会して購読

この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

コメント コメントを書く

あの日を境に、価値観か変わらなかった人の方が少ないかもしれませんね。

自然の力には逆らえないし、
この地球に生かされて、住まわせてもらっている以上、避けられないものですが、
自分や身の回りの人が実際大きな影響を受けたら……と考えると、なんとも言えなくなります。

ラジオの力、は本当にあの時感じました。
テレビでずっと流される同じ様な映像に、
どんどん心が苦しくなり、
電気を節約するために、リビングにいて、
イヤフォンでラジオを聴きながら、本を読んで、
ホッとすることができたのを覚えています。
こんな形で、大好きなラジオというメディアの力を実感するとは思わなかったですけど。

No.1 105ヶ月前

おはようございます。

今年は雨空。毎年この日は空を見上げ、海を眺めます。去年までは突き抜けるような青空が毎年続いていましたが、今年はまだ悲しみの中にいる人たちの気持ちを表すような雨空ですね。

海が恐ろしく、悲しく、憎かった。
大好きだった海の深い闇を知った日でした。

あの日もラジオを握りしめ、都内の仕事先から、帰れない焦りを胸に、家族のこと友人のこと、海の近くのすべての人たちのことの無事を祈っていました。

ずっーとずっーとラジオを聞きつづけていました。

ラジオ世代のわたしにとって、いつも身近にあったもの。テレビやネット中心になっても、ラジオはすぐそばに人を感じられる唯一無二のツールだと思います。

ラジオを聞かなかった世代も、あの日からきっとラジオは身近に人を感じられるツールになった気がします。

あの日以降、ラジオから流れるたくさんの音楽で、被災した人たちや、全国の人たちに、元気と笑顔と力をくれました。今日はそのラジオから流れてきた音楽をききながら、1日思いを馳せたいと思います。

No.2 105ヶ月前

こんばんは。5年前のこの時間、主人にまだ会えず、子ども3人とマンションの駐車場の車の中で怖くて怖くて震えながら待っていたのを思い出しました。家から布団やお菓子を持ち込み主人と会えた時はひと安心、友人からの連絡で小学校に行きました。でも体育館はすでにいっぱい。私達はふた晩校庭の車の中で過ごしました。数日後実家に移動することを決め暫く実家にお世話になりました。怖さでTVもラジオの内容が何も頭に入って来なかった私はもっとしっかりしていなくちゃ、という気持ちは強く、数日間引き込もってしまいました。今は思い出すとまだ涙が出ますがご家族を失った方や未だ行方不明の方、ご自宅を失った方、皆様のことを考え、今後も自分の出来る事は何かを考えて過ごしていきたいと思います。

No.4 105ヶ月前

5年前の3月11日、私は体調を崩して寝込んでいました。そんなとき、母に震災が起きたことを教えられテレビで惨事を知りました。阪神大震災を経験したとはいえ、海の豹変ぶりに驚き、恐怖を覚えました。また、福島の原発の悲劇は、学生の時に学んだ原子炉や放射能の知識が全く活かせない自分にもどかしさを感じました。そして今も何の役にも立てていない自分がいることにも複雑な心境ではあるのですが。

ラジオ、ホントに大事だと思います。貴重な情報源であり、辛い日々に明かりを照らしてくれたり。

3.11、この日だけ震災を考えるのではなく、経験を日々活かすことが大切なのだと思います。

No.5 105ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>1
震災時に限らず、元気がなくてテレビを見るのがしんどいってときがあると思うんです(テレビの仕事もしているのに何ですケけど)。ネットという情報の洪水にも耐えられない。それでもつながっていたい。そういうとき人はラジオを選ぶんじゃないかなと思いましたし、今もそう思っています。

No.6 105ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>2
今も海が見られないという人もいるんだろうなといつも思いながら海を見ています。いつか心に海が必要になったらまた必ず海を見に来るときが訪れると信じています。

No.7 105ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>4
自分よりも辛い人がいるはずだから自分は頑張らなきゃという強さに触れるたびにじゃあ僕はもっと頑張らなきゃと思います。もちろんそれで踏ん張り続けられれば一番だと思いますけど、キレイごとだけじゃ立ち続けられない夜もあるのが人間だし、1年に一度くらい「もう無理!」みたいな夜があってもいいんじゃないかなと思ったりします。

No.8 105ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>5
被害に遭った町全体を高台に移転することや40年続く廃炉作業など復興の仕方が阪神淡路大震災とは全く異なる東日本大震災ですが「心のケア」という部分ではきっと参考にできることも多いんじゃないかと思います。少しずつ状況の違うひとり一人に対して個別のきめ細やかな対応が必要な問題だとも思いますが、それでも何か伝えられることがあるんじゃないかなあと僕自身も考えるところです。

No.9 105ヶ月前
コメントを書く
コメントをするにはログインして下さい。