特捜部勤務もある元検事、郷原氏は「賄賂系は、公務の廉潔性を損なう犯罪行為で、悪質極まりない。甘利氏のあっせん利得処罰法違反は“ど真ん中のストライク”に近い事案」と言われたが、検察は即動かず、「検察の動きに“検察は、政権側が政治的影響があるから捜査してほしくない”と考えているのではないか」との懸念を表明した。
検察の捜査が始まっても、官邸は政治的配慮で圧力をかけることが懸念された。自民党筋として、TPPへの影響、今後の選挙への影響への懸念が報道された。
しかし、政権の見解を代弁するとみられている読売新聞が12日「甘利氏資金疑惑 捜査で口利きの有無解明を」と題する厳しい社説を掲げた。
今後、どう展開するかはわからないが、少なくとも世論に配慮し、厳しい姿勢をとるポーズの必要性があるところまできた。
*****************************
・不透明な資金提供や口
コメント
コメントを書く読売は、米国の意をくむ先兵であり、高度成長期の日本は、真珠湾攻撃どころか、怒涛のように米国市場を席巻していった。この悪夢は米国民の脳裏から離れない。また、何時か、日本に米国市場を徹底的に荒らされるという潜在意識をぬぐうことができない。TPPのISD条項は、確かに最初は日本に不利に働くかもしれないが、長い目で見れば、米国の優位性は逆転する。そのように米国民は考えているのでしょう。甘利氏は、米国の意に沿わない恫喝的交渉行為をしたのかもしれない。
読売が甘利氏に厳しい社説を書いたのは、「小さな罪」でゴマカシ、もっと大きな罪を隠すためではないか。
「もっと大きな罪」とは、言うまでもなくTPPである。
前回総選挙で、「TPP断固反対・自民党はウソつかない」と叫び、「日本を取り戻す」といっておきながら、日本国の国益をすべて放棄する協定を鵜呑みにさせられたことだ。
「売国奴」なら、どこかの誰かが利益を得ているのだが、TPPで利益を得られる日本人がいるだろうか。日本の農業も、工業も、医療機関も、保険業も、みんな大打撃を受けるのだ。そして日本国の主権さえ、軍産複合体などの巨大な利益組織に奪われるのである。もちろん、この協定の成立に前のめりになっている愚かな安倍晋三クンだって、財産をすべて吸い取られてしまうだろう。
米国で大統領選を戦っているクリントンもサンダースもトランプも、多少とも「政治」を知っている人物がみんな反対しているのは、「国の主権」が利益集団に奪われてしまうからなのだ。
私が最も尊敬する国際政治評論家群の一人であるカナダの元外交官ピータ・デイル・スコットは米国にはワシントンの大統領府と並立して暗黒権力が少なくとも6つあるとしてそのインテグリテイの無さを厳しく糾弾していますが、私は日本にも暗黒権力が正確な数はともかくとして複数あると福一の過酷事故以降固く信じるようになりました。特捜は勿論その一つですが、読売新聞もその一つだと思います。
あっせん利得というのは自民党のコアビジネスです。今回の事件は突然で特捜も読売もうろたえどう動いていいのか迷っていたようですね。このまま進めば国体の護持に悪影響あると懸念して読売は「いいかげんに決着をつけろ」とのシグナルを特捜に出したと思います。
今、世界を騒がしているパナマ・ペイパーズは大金満家のジョージソロスが言うことを聞かない頑固なアイスランドの首長を引きずり降ろすため、そして中国の一部分子(ウオール街によって買収されている)への決起要請だと世界のリベラル・ジャーナリズムでは専らの噂ですが、文春の告発記事で始まったこの事件はあの有名なスノーデンの内部告発型なのか、パナマ・ペイパー型なのかその判別は私にとっては興味深々の課題です。私はとりあえずのところパナマ・ペイパー型ではないかと思っています。自民党の軌道修正を狙って自民党内反主流から出た暴露ではないかと憶測しているわけです。
> 政治は動く。その一例かもしれない。
勝つのはいつも悪い奴-とは限らない。その一例でしょうか。俄かには信じ難いですが...
> こうした流れは、「国民は不信を募らせている」ことからくる。
傲岸不遜政府でも実は本当の世論を絶えずモニタしているとか?
今、僕は、カール・シュミットというドイツの学者の本を読んでいる。彼は、大衆は愚劣と規定し、「任意独裁」の論考を披瀝している。「甘利事件」でもこの「任意独裁」的に、お上(国家)による解決ということになるのだろう。
庶民の日常的風景のなかにさりげなくあらわれていることがらが真相を物語ることが多い。
前に、(集団的自衛権承認後に)創価学会員が、自らの学会員であることをご近所に対してはばかっていることを書いたが、これも、上のやることを下が嫌がっていることを示している例だ。
今朝、街を歩いていたら、以前は安倍の「日本を取り戻す」というポスターを高らかに掲げ、地元選出の議員のポスターを玄関先に掲示していた家のポスターが、いつのまにかはがれかかっている。もっと言えば、一枚は色があせ、半分ほどテープがはげ落ちて、未練たらしく風にゆれたまま。一枚は何と半分がカッターで切られたままになっていた。
さりげない陋巷の一風景は、「今」を雄弁に物語っている。