昨年であったか、ウーマンラッシュアワー村本大輔がアベマTVで、「飲み会等で貴方は出身地どこ」と聞かれると、「福井県」という。で、「福井県のどこ」と言われるので、「おおい町」という。
すると、途端に「そんな重い話、ここでしないで」と言われる。何も「おおい町に原発がある」と言っていない、ただ、出身地がどこだといわれるので、「おおい町」と言ったのにそんなこと言わないでという。
「熊本に入ってきた」というと、「何で」というので、「被災地を見に行きました」というと、「そんな重い話しないで」と言われる。
多くの若者の間で、原発や地震災害に話をするのはタブー視されているようだ。
まして、会社に勤めている人々は、仲間内で、原発や地震災害について話することはない。
一時女性誌が原発や憲法を、男性週刊誌より多く記事にした。
講演に行って「今や男性は原発や地震災害や憲法な
コメント
コメントを書く物事を肯定、否定することは、現実的に直面する問題である。
どちらかというと、肯定は「現実的」であり、否定は「理想的」である。
現実社会は、肯定と否定が複雑に入り組み、物事が処理されていく。この現実は否定できない。
問題1は、理想的否定社会をどのように組み立てていくかであるが、民主党政権が無残な姿で崩壊した。大きな体制変換の
バックボーンである政権構成員が対立し、無様な姿を国民の前にさらけ出した。国民の信頼を失ったというより、野党に絶望感を抱いたのです。
問題2は、不景気の時、野党は、大学を出たが職が全くないという時、ワークセアリングなどで、新卒を見捨てたが、その世代が、現在の社会の中枢を占めだしている。野党など支持するわけがない。
問題3は、小泉改革で、格差がどんどん増え、労働者がどんどん減っていくのに有効な手段を打たず、成り行きに任せてきた。仲間を見捨ててきたのです。
現在社会を構成する人たちの問題というより、野党が、仲間を救うというより、自分たちの仲間が団結することばかりに注力し、多くに仲間を見捨ててきたことを謙虚に見つめるべきであるが、自民党が悪い、政権が悪い、社会が悪いといって他人のせいに転嫁した、己の醜い姿が見えなくては致し方ない。野党の批判というより、問題点を指摘すれば、総攻撃しようとする野党勢力では支持者が減っていくばかりでしょう。
>>1訂正
「ワークシェアリングなどで」を「ワークシェアリングなどお互いに救いあう方策を取らず」に訂正します。
欧米では、小学校から「ディベート」という授業があり、身近な問題から国際政治などについて、賛成派と反対派に別れて議論する教育が行われていると聞く。それにより人々は立場の相違などで考え方が異なることを知るのだという。
それに対して我が国では、日本史の授業でも明治維新以後は教えない。そのため日清・日露戦争や二度の世界大戦の経緯も、戦後政治の本質を知らない人間が多くなっている。この結果、日本は中国や北朝鮮以上に「情報の閉鎖された国家」なのかもしれない。
モリ・カケ事件で首相夫妻の関与がこれほど明らかになったのに、政権の座にしがみつく首相にも、かばい続ける与党にも批判が及ばないのはそのためだろう。
やっぱり、そうですか。若い連中の飲み会なんかがそんなふうになっているんですね。つまらんですね。気の抜けたビールを飲み合って、どこが面白いんでしょうね。
私は日本のテレビはスポーツの実況以外は見ません。韓国のテレビドラマを面白く拝見しております。そのドラマが提供する権力の邪悪性の暴露はスゴイ。私はCIAの邪悪性と手口を素人研究していますが、韓国のテレビドラマはその一端をも見せてくれていてとても重宝です。そういうテレビドラマの制作傾向から韓国の人々には星条旗に対して日本人が持つ畏怖的なものが無いことが分かります。そういうテレビ制作を韓国権力と社会が積極的に受け入れ支えている実情に韓国にこそ真の自由と民主主義を目指す根性の存在を私は観るのです。
安倍政権は、この5年、韓国社会が抱く傾向とは正反対のものに支えられ、星条旗を高々と掲げ、ファシズム化に余念が無い。皮肉なことに、韓国の北の朝鮮と大陸の中国が安倍政権のこのファシズム現象を先取りしているかの如く核ミサイルで絶対デフェンスを確立したことは我々にとって幸いだった。さもなければ、日本は戦争を始めたかもしれない。
更に皮肉なことに頼みの米国が大衆の貧困化に取り組まなければならない状況に置かれている。日本国民がどう政治的に無能であっても、日本の政治が対外的にどう邪悪になろうとしても不能を強いられ、通じない状況にある。ほっといても何も出来ない。そういう状況を日本の若者は肌で感じ取り、親父たちより賢く振る舞っていると考えてあげましょうや。
同じ考えを持つ集団内では威勢のよい(時には問題発言も)ことをいうが、意見の異なる集団との間では、何も接点がないか、反目しあう。。。 このような状況で、民主主義国家が育つわけがない。
意見の異なる者の間で建設的な議論ができ、互いの立場を尊重できるようになる教育が疎んじられるようでは、この国の未来はないだろう。我々年寄りの間では、政治的な議論ができる仲間も少しはいるが、職場などではタブーだな、やはり。
まるで弱肉強食に生きる野生動物の世界だ。
天敵に逆らうのはタブー。接近してきたら とにかく死に物狂いで逃げる。仲間で結束して立ち向かったりはしない。理屈でない。生まれた時からそうするようプログラムされている。食べてクソして寝るだけの存在なら、そんなものだろう。
精神上の理想が何も無い者だらけになった日本の、当然の帰結だ。
>>7
「過剰な一般化」であればよいが、現実は孫崎先生の仰るとおりだと思いますよ。うちの家内なども、町内や女性会などあちこちの役員をしていますが、今の政権の批判などあれこれ思うことはあっても、会員にはさまざま人が居て、意見も実にさまざまため、うっかり発言すると全体の和を壊してしまうので、政治がらみの発言はタブーだと言います。いくらそれではダメだと諭しても、そこだけは譲れないと言ってまったく聞いてくれません。