A-1 事実関係:東京医大、女子受験者を一律減点 受験者側に説明なし(朝日)
東京医科大学が今年2月に実施した医学部医学科の一般入試で、受験者側に説明のないまま女子受験者の点数を一律に減点し、合格者数を調整していたことが関係者への取材でわかった。こういった点数操作は遅くとも2010年ごろから続いていたとみられる。同大は、前理事長らが不正合格をめぐって東京地検特捜部に在宅起訴されており、来週にも入試に関する調査結果を公表する。
同大医学科の今年の一般入試は、1次でマークシート方式の筆記試験を行い、合格ラインを超えた受験者だけが2次の面接と小論文などに進む仕組み。募集要項で男女別の定員は定められていなかった。
関係者によると、同大では1次の結果について、女子の点数に一定の係数をかけて一律に減点。その結果、今年の一般入試の受験者計2614人(男子61%、女子39%)のうち、1
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大学受験が「私塾の先生方の教習次第」(塾インダストリは国民所得のかなりの部分を占めている)だということになってしまっている現在では「素直さ」で男性を遥かに抜く女性が優位に立つのは想像するに難くない。私の周辺や縁者、縁類をざっと概括しても女の子のパーフォーマンスは良い。お医者さんや学校の先生、弁護士等は試験で得られる資格が生計を保証するのだから、これからも女性が多くなって行くのは当然だ。
これは趨勢ですから、受け入れざるを得ないでしょう。減点して頭数を減らそうとする陰謀は許せません。
最近若者に顕著であるが、個人、集団主義が跋扈し、公共性の主義思想が欠如していることでしょう。最近の事件を事例を列挙してみる。
①やまゆり事件の、役に立たない人間を抹殺する優性思想。慈愛もなければ、共生意識のかけらもない。
②森友、加計問題における権力者の無関与強調、官僚に責任転嫁。行政の長としての意識のかけらもない。
③国会議員の人間「生産性問題」。人間の差別化であり、国会議員の発言する言葉ではない。
④医師資格の手前勝手な限定判断。選別する側のおごった差別化選別意識
最近の街の一斉清掃を見ていると、参加しているのは、65歳以上の高齢者ばかり。若者の姿を見つけるのに苦労する。自分にメリットのない社会活動は行政がやるのが当たり前という意識が強く働いている。
今後は、趣味とか、共通の話題を持てる人の集まりは活発化していき、無気力で行動力のない人、障害などでハンディーを負っている人は、絶えず声をあげない限り見捨てられていくのでしょう。
これがアメリカ、フランスなどでやられたらジャーナリズム(「メディア」ではない)がここぞと叩くのではないか。すでに「日本人」として西欧に行くことに引け目を感じるここ10年だったが、もはや後進国なんだなあと、これであきらめがつく。今の「日本人」は、辺見庸が言うように「ぬっぽん人」なのだった。また、このようなことを思考し、かつ、実行する人は入試では合格しても(暗記と知識の組み合わせ)本質的には判断力がないことがよくわかる事例である。
怖いのは、これから若い人が無気力になり、勉強しなくなることだ。経済成長の本質は、エズラ・ヴォーゲルが正しく指摘しているように国民の知的水準である。
先達て親鴨一羽に子鴨の大群が連なっている写真をアップされましたが、あの子鴨こそが日本国民の姿だ。
森友・加計疑惑、山口某の強姦にまともに対処しない検察、警察である。それでもって、文科省絡みの こんな問題を「親鴨」に仕立ててきた。山頂目指して登山している時、「この辺に魚屋ありませんか」と訊いてくる者を まともな人間は相手にしない。それでも「子鴨」扱いされているこの国の国民は まんまと反応するのである。
一方、係る「評価」については、普遍的原則を頭だけでなく、外国生活含め、実体験として体でも「正しい」と理解するに至った孫崎さんならではの論と思う。この手の事柄は「体で覚える」ことが肝要だが、そんな教育はこの国にはない。キューバなどとは大違いだ。社会の現実がそれを証明している。先ずは憲法で「本音と建前を分けてはいけない」とでも謳わなければダメでないか。
東京大学が入学者の男子への偏りを気にして
女子をもっと呼び込もうと、地方の優秀な女子高生に
対して、東京での住居費を補助するとの記事を読んだ。
東大生の男女比は5対1なのだそうだ。
本当かな、と思ったものだった。
だって、男子学生のほうが将来社会に出て出世して
母校の名声を高めるポテンシャルが高いもの。
東大は本当に女子学生比率を高めたいなんて思っているのかな。
眉唾だぞ。
そう思ったものだ。
地方の優秀な高校生の京大志向が年々高まり、男子のほうが
多いものの、、京大の女子比率は東大よりかなり多い。
他方、東大の首都圏ローカル大学化は止まらず
わたしの住む県でもわたしの若い頃は東大と京大では
進学者が50%50%くらいだったのが、今では40%60%と
20ポイントの大差がついている。
女子学生はもっと広がる。
要するに地方の優秀な女子高生を京大に取られるのが
面白くない。
それだけのことだろう。
そうでなければ男女別に定員をもうければいいだけのこと。
本当は男子のほうが多いことに満足してるのさ。
この問題は、受験生に対する説明義務違反の違法性の問題と、男女平等違反の問題とにわかれる。前者の違法性は明らかである。孫崎さんの引用する文科省もその立場のようにみえる。
しかし、男女平等違反なのだろうか?
孫崎さんは「日本は何時から、男女平等を踏みにじっていい国になったのか。」と糾弾するが、その「男女平等」は、現行の憲法学上すでに機械的・絶対的平等ではないことに注意する必要がある。
【14条の平等は、事実上の差異を考慮して、合理的理由があれば(注)法律上違った扱いが許される相対的平等である】というのが、現行憲法学の到達点である。その考えに立って、「女性専用車両」をはじめ様々な女性優遇策が、合理的な理由があるとして認められてきている。ならば男性優遇策が認められてはならない理由は理論的にはないはずである。
そして実際に「東京女子医科大学」という、女性しか入学を許されない大学が存在している。そうであれば、男性の入学を優遇する大学が許されないかどうかは、合理的理由の有無にかかっているのであって、14条を示せばそれで終わりなのではない。14条は逆に議論の出発点なのである。
孫崎さんの議論は乱暴である。
医療という現実的問題を解決しなければならない責任者のひとびとにとって、男性を優遇するのはやむにやまれぬ事情があった可能性もある。それを男女平等違反として上から杓子定規に糾弾するのは簡単ではあろうが、典型的な役人根性ともいえよう。現場の怨嗟のうめき声があるのかないのか。もう少し、事実を集めてから、判断しても遅くはないだろう。
注)合理的理由の必要性の程度は問題に応じて様々で、それは結局違憲性判定基準のちがいというかたちであらわれる。また、東京医大と受験生とは私人どうしなので、憲法は直接は適用されない。いまは立ち入らないが、こうした問題もあることを指摘しておく。
書き忘れたが、医学部入学「サベツ」といえば、群馬大医学部不合格事件がある。
http://d.hatena.ne.jp/misola/20061027
これは56歳主婦が「筆記試験や面接などの総得点が合格者の平均点を約10点上回っていた」のに群馬大学に入学を許されなかったのは、差別にあたるとして群馬大学への入学許可を求めた事件である。
わたしなどから見れば、「高齢であること」を理由に入学が許可されなかったのであろうことは明らかにみえるが、裁判では、差別そのものが証明できないとして、主婦の訴えはしりぞけられた。
わたしの個人的見解としては、高齢であるからといって医者として活躍できない理由はないとおもうが、担当者が説明したという『医師の育成には多額の費用と10年の年月がかかり、その医師を社会に貢献させるという国立大の使命を考えると年齢が問題』というのは、それなりに説得力があるだろう。それに世の中には、公務員はじめ、参入に年齢制限がある職業は多々ある。
今回の事件を考えるのに、多少参考になるのではないかとおもい、紹介した。