「万葉集」は日本最高の歌集、キーン
・万葉集は日本最古の歌集、ほとんどの日本文学研究者の意見では日本最高の歌集p141
・吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを与えている。p141
・さまざまな社会階層の歌人が名を連ねている点でも、後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりを集めている歌集とは異なる。p141
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ドナルド・キーンは一九二二年生まれ。米国出身の日本文学者。一九五三年来日。ドナル
ド・キーン著『日本文学の歴史1』(中央公論社一九九四年)において、後世の詩歌との異なりを指摘している。
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詩型と題材が豊富な歌集はほかにない、
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さまざまな社会階層の歌人が名を連ね、後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりと異なる、
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何よりも、吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを与えている。和歌や俳句といった短詩型では、明言できることが
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629年(舒明天皇)から759年淳仁天皇時代の大伴家持を指している書物が多い。
1歳未満の乳児死亡率が、1,000人に対し300~400人ぐらいの時代であり、この当時の平均年齢は、30歳ぐらいと言っている書物が多い。万葉集4,536首のうち、230~240首が挽歌のようである。
いつも「死」と直面し、「死」と切り離した日常生活がないわけであり、「雑歌」とか「相聞歌」も極めて日常的なことであり、日常と直結していたといえる。
現在は平和な時代であり、「平均年齢」は医学の進歩によって極めて高いし、生活上必要な物資の需給も安定し、不安定な国に対しては、援助支援する体制が整っており、直截的な表現が少なくなっているといえば、当然の帰趨とみなすこともできる。
言葉と時代の推移は、考察すると面白いが、万葉集と現在社会を間文化的に比較対象とすることは難しいといえるのではないか。生活する環境が違えば、全く違った社会になるのは、現代社会でも理解できることである。
ドナルド・キーンさんの万葉集礼賛に私も同意します。
散る桜より死体の方が読者が受ける衝撃の度合いは格段に大きい、ですね。私も万葉の文体が好きです。
ドナルド・キーンさんは川端康成の文学より三島由紀夫の文学を高く評価していて、三島がノーベル賞取るものとばかり思っていたらしい。キーンさんは川端の文学に古今集の風を感じて居たんでしょうかね。
>>2
キーン氏はノーベル文学賞が文学的評価の高さの反映だと
本当に考えていたのでしょうかね。
そこまでナイーブではなかったと思いますよ。
仲の良い三島がノーベル賞を熱望するような俗物だったので
それを応援する気持ちくらいはあったでしょうけど。
ノーベル文学賞の評価などチェーホフには与えられず、
チャーチルが自慢話を書きつらねた駄本を一冊書いたら与えられた。
そんな代物です。
ちなみに私が最も高く評価する日本の小説家は松本清張。
読んで、最も感銘を受けた小説はドストエフスキーの
カラマーゾフの兄弟。
それに、サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、かな。
どちらも高校時代に読みました。
どれもノーベル文学賞なんかに汚されず何よりでした。
>>4
「三島の俗物」 私にも異論はありません。
松本清張、ドストエフスキー、サリンジャー、いいですね。
確かにチャーチルの自慢話に賞を与えるのは噴飯ものです。
三島がノーベル賞逃した理由が「三島が左翼過激派だ」というから、笑っちゃいますよ。