私達は誰もが幸せになることを望んでいる。幸せへの道を説く人多くいる。宗教家はその一つだ。米国では心理学の分野で「どうしたら幸せになれるか」を学問的に研究している人達人がいる。それらをみてみたい。次は「幸福の教授」と称されるキャサリン・サンダーソン・アマースト大学教授の講演・対話の一部である。
1:切断:特定の話題が不安を引き起こすことがわかっている場合は、その話題を避ける。
2:参加。私たちのほとんどは、自分がコントロールできない状況では気分が悪くなる。しかし、実際に状況を変えるために今すぐに何かをすることができることがある。
3:与える。我々はしばしば、不特定な親切をする機会がある。ドライブインで次の列に並んでいる人のためにコーヒーを買う、カバンを運ぶ人やベビーカーを押す人のためにドアを開けておく、近所の人のために用事をするなど、これらの小さな計画外の善行が、自分の幸せを増すのであろうか?学術
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
田舎育ちの私は大学の入学式で学長が「朝昼晩の挨拶は大事だ」と説かれたのに大いに納得し見知らぬ人にも出来るだけ目があえば挨拶することにしてます。哲学者の梅原猛氏は「菩薩業の第一歩は微笑、つまりスマイルすることだ」と言ってます。
ビジネスで米国を旅すると宿舎のエレベーターで全くの他人と目が合うことがあります。私はそういう時出来るだけ会釈あるいは微笑することしてました。白人は男女ともに総じて微笑と会釈を返して来ますが、非白人は大体において警戒の眼差しを返して来ました。特にアジア系は不愛想でした。
私は挨拶、時により微笑が他人と自然に交わされた時に至福を感じます。
個人的には、今、我が人生史上、一番、気楽かもしれない。これを幸せというのかどうなのか、それは分からない。ただ、気楽である、あまり大きな心配の種がない、というのは当然ストレスは少ない。
元々物欲的なものはすくなかったから、趣味(収集癖)もなかったので、個人的な嗜好のために散財することはなかった。必要最低限の生活資源(衣食住)は、今、全て安定的に確保出来ている。この先、債務超過にもなることはないだろう。
今のところ、高血圧やらなんやら、細かい数値上の問題を抱えているが、年相応と割りきっているし、要治療の問題は高血圧のみである。
若い頃は様々なプレッシャーと向き合わなければならなかったが、今はプレッシャーというものがほぼなくなり、惰性というか、日々のルーティンだけである。
不満といえば、日々流れてくるメディアからの偏向報道くらいである。
一方、個人的な境涯はともかく、世間を見渡してみれば、少子高齢化により社会の活力は低下の一途ではないか?地方から人が減り、自治体の消滅可能性も言われている。街を歩けば、空き家はアチコチに見えるようになった。商店街はシャッターばかり。オマケに円安で日本国の富はどんどん毀損しているし、GDPも下がる一方。政府債務残高は増大するばかりで、もはや後戻りできない水準になっていて、インフレにより債務を帳消しにするしかない状態。だから、これからインフレはズーッと続くのではないか?
そんな世相を見るにつけ、縮小日本というか、自滅しつつある日本において、どう日本人が「幸せ」を見つけるのかは実は大きなテーマなのだろう。特に、これからの若い世代は、日本人としてどのように生き、暮らしていくのか、シッカリとした見極めをしないといけないだろう。
私は、これからの日本人に必要な考え方としては、まずはアメリカ帝国や西欧と距離を置くことを推奨したい。その点は、ここでは展開しないが、インフレの終息が見通せないとすると、貧困の問題がますます深刻化する可能性がある。
湯浅誠氏は「溜め」という概念を使用して、貧困とはなにかを説明している。
-----------引用ここから-------------
私は「お金だけでなく、頼れる人間関係もなく、精神的にも疲弊し、自信を失い、自分の尊厳を守れなくなってしまう状態」と言っています。そして、それらをすべてひっくるめた概念として「溜め」という言葉を“発明”しました。人間関係や自信・尊厳といった精神的なものも含めた「溜め」があれば、多少のトラブルにはへこたれない。しかし、たとえ少々お金があっても、他の要素が伴わず、全体としての「溜め」が小さければ、ちょっとしたことでもくじけてしまう。それはお金だけの問題ではありません。お金は、貧困に陥らないための重要な要素の一つですが、そのすべてではない。
-----------引用ここまで------------
https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/500/115837.html
本文にある「幸せになる方法」ということは、貧困に陥らないための方策を別の角度から述べたことのように思える。
思い出したが、数十年前に、中野孝次氏の『清貧の思想』を呼んで非常に感銘を受けた。個人的には資本主義へのアンチテーゼを見いだした書であった。
しかし、今やグローバル資本主義の中で、ホントに自滅、没落しつつある日本である。その中にあって、日本人にとっての「幸せ」とはなにかを考える上で、特に若い人に一読を薦めたい。
https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E8%B2%A7%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-161939
孫崎先生のXへのお取り上げ、とても嬉しいです。
若い人には感じないが、同じ高齢者であると、顔の表情が大きく作用し、こちらの気持ちも暗くなりそうな人がいれば、自然と気分が晴れやかになる人がいる。
高齢になると常日頃の言動が顔にはっきりと出てくるのが顕著である。日常生活が満足できていれば自ずから顔の表情が柔らかいが、不満足なことが多ければ自ずから近づきがたい表情になるのでしょう。
他人を教師にして己の心構えを正していくことが大切なのでしょう。
年配者の幸福のひとつに、わかいものに説教するというものがあるとおもう。
しかし本人は良い助言とおもっていることが多い。
男女ともに見られる現象だが、どちらかというと男、つまりおじいさんに多い。
参考になる場合がないわけではないが、どっちかというと、迷惑な場合が多い。
あくまで一般例として、「そういうの」の一例を出そう。
いま米国等の大学で紛争が起きている。
昔ならどうだったか知らないが、いまどきの大学生やわかいものは、
よほどのボンクラでない限りは、第一報に接した時点で、具体的情報がなくても、
魑魅魍魎がウラにいると想像する。
純粋な正義感で単なるデモや集会を超えて違法行為に参加した米国学生はいないわけではなかろうが、
そうしたひとびとも、どっちかというとボンクラだろう。
まず「そういうの」がこれがわかってない時点で、わかいものは互いに目くばせをはじめる。
次に、「そういうの」は、うすっぺらい法ではなく、倫理が大事なのだと言い出す。
そこそこ勉強しているわかいものは、誰でも使える、
いわば数学の「定理」みたいになっている基準の背景に、実はいろんな流血事件があり、
さまざまな葛藤を経て「定理」がつくられたのだと知っているから、
法がうすっぺらいなどと聞いた時点で、笑いをかみこらえるのに必死だ。
だいいち、イスラエルもパレスチナもそれぞれの倫理が大事だとおもっているから、
妥協できないのではないか。
最後に「そういうの」は、わかいものを励ます。最高に気分がいい瞬間かもしれない。
しかし、わかいものは、「そういうの」がかつて警官隊と厳しく対峙したことなどない
とわかった時点で、退屈なはなしとしかおもわない。
そしておもう、いや、将来にたいして心配もないうえに、そこそこ健康なのなら、
いま、おまえがやれよと。
まあこんなふうなのだが、「そういうの」が鏡にうつる自分の姿に気づかない限りは、
良い幸福法であり、良い健康法なのかもしれない。健康に生きてくれれば、
わかいものにかかる医療保険料も少なくてすみ、それはそれでOKなのだろう。
>>6
いやはや、便所の落書き、お疲れさま。親パレスチナ学生の爪のアカ煎じて飲んだら?
>参加した米国学生はいないわけではなかろうが、
そうしたひとびとも、どっちかというとボンクラだろう。
オマエ、歳いくつだ?説教どころか、自らの薄っぺらいアタマで、若者達をバカにしているではないか。人として、いかがなものだろうか?
それに、オマエ、ヒトサマをボンクラと呼べる立場か?まるでジブンが見えてないな。
爆笑だ。コリャ。
因みに、『清貧の思想』は小学生向けの書物ではないから、オマエにはムリだぞ。
>そこそこ健康なのなら、いま、おまえがやれよと。
ハイハイ、じゃ、ウクライナ応援団のオマエは今すぐ、ウクライナのアゾフにでも志願しろよ。ま、どーせ、口先だけの便所の落書きしかかけないネトウヨだろうがな。
>>6
1.若い者に説教する幸福は組織の上にいる人間が組織の下にいる人間に限られる現象で、タテ社会の日本に於いてだけ顕著に見られる現象です。
2.米国の大学紛争の構造は実にシンプル。学生たちが米国支配層の米国支配理念がシオニズムにあることにガザで明確に認識することに至り、激しいデモ行為に発展しているのです。ボンクラとは失礼な!
3.イスラエルはパレスチナ征服を試みる侵略者であり、パレスチナはその侵略と戦っているのです。そこには倫理はありません。
上記がポイントだと私は思います。そのポイントを外したあなたの文章は支離滅裂な駄文となるのです。