1:事実関係
1月28日付NHKニュース
「尖閣と竹島は固有の領土」指導要領解説書を改訂(抜粋)
文部科学省は、教科書を作成する際などの指針となる、中学校と高校の「学習指導要領の解説書」を改訂し、沖縄県の尖閣諸島と島根県の竹島を「我が国固有の領土」と明記し、尖閣諸島には解決すべき領有権の問題は存在しないことなどを盛り込みました。
「学習指導要領の解説書」は教科書の作成や授業で指導する際の指針となるもので、北方領土は、中学校の解説書で「我が国固有の領土」と明記され、高校の解説書でも中学校の学習を踏まえて理解を深めさせるよう求めています。
改訂では、尖閣諸島と竹島を「我が国固有の領土」と明記し、「国際法上、正当な根拠に基づいて、日本の領土に編入した経緯に触れる」ことなどを求めています。
そのうえで、尖閣諸島は「我が国が有効に支配し、解決すべき領有権の問題は存在しな
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教育の難しさは、国内政治と外交をどのように教えるかということに尽きるのでしょう。
一方的な見かた考え方に偏向した教え方であれば、マニュアル(指導要領)によって教えればよいのであるから、誰でも出来るということになる。
しかし、現実は、時代によって、国内政治も変わるし、世界情勢も変わるのである。竹島などは、現時点、日本と韓国が争っているときであって、領土問題は紛争中なのである。紛争がなくても、時代によって変わりうるのが、国家間の本来の姿であるのに、あえて、紛争状態にある領土を相手と同じレベルで争うのが、将来的な両国関係にとって得策かどうかである。
最悪の場合は、隣国ではあるが、領土問題は一歩も引かず争うのだという姿勢を貫くというのであれば、紛争を長引かせればよいのである。しかし、イスラエルとアラブの憎しみのみが両国関係を支配する状態は好ましいものといえない他人事は理解できても、自分のこととなると、全く理解出来ない安倍政権の状況は、わが国にとって得策とはいえない。
安倍総理は、どのような環境で育ったか分からないが、ご投稿で取り上げられている言葉、「解決しないことで以って解決とする」とか、「自身への関心が高く、相手に対する関心が低い」とき争いが起きるという本来的日本人なら誰でも感性的に感知できる「日本的霊性」が、完全に欠落し、自我の領域をさまよっているとしか思えない。
綜観的思考を出来る人を育てるのが、本来的教育の使命であるが、時の指導者の思想的裏づけを徹底するために教育を利用するとすれば、国の方向を一時的に偏向させようとするものであり、教育の私物化ともいえます。
一面的に、国粋主義的方向を志向すると同調する人が増える傾向があるが、わが国は、民主主義社会であり、全体主義的方向を志向すると、必ず近隣諸国と摩擦が起こり、何か、ちょっとした衝突が大きな紛争、戦争につながりかねないという教訓を生かすべきではないか。時代と逆方向の「指導要領:わが国の領土化」は、愚かな選択といえる。
教育の基本は、自分で考え、自分で決めて、行動し、その結果に責任を持つことを教えることだ。昨今の政治状況は自らの行動に責任を持たない輩が多すぎる。問題は自分で考えていないこと。マニュアル通りの、上司の、組織の、国の、米国の言うことを聞いていればいい。その方が責任転嫁できるから?教育界からも声を挙げてほしい。
尖閣や竹島の領有権については、日・中・韓いずれの言い分も尤もらしい点を感じる反面、「決定的な証拠」が見られない。あんなチッポケで断崖だらけの島など、石油が天然ガスが埋蔵されていると知らなかった時代には、領土とする価値がなかったのだろう。特に日本にとって、日清・日露の戦争で、戦局が決定的になった時点で「日本領土」と宣言していることは、国際社会からの同意を得にくいと思われる。さらに、第二次大戦に敗戦して、離島を没収された経緯がある。
日本政府は「固有の領土」とか「領土問題は存在しない」と強弁するのではなく、関係国との共同管理について話し合いをもつことが、「アジア最大の先進国」たる態度ではないだろうか。
今の「お坊ちゃま内閣」では無理かな?。
米国を含む国際社会が紛争の存在を認識してるにも関わらず、日中国交回復時の尖閣問題の棚上げ合意(暫定的政治決着)等の歴史を無視し、右翼勢力に媚びる稚拙な政治思想に支配された現政権の一存で一方的主張のみで「学習指導要領の解説書」を改訂し将来を担う若い日本人を教育する事は外交上極めて問題で国際的も孤立を招く。戦後ポツダム宣言を受諾し、このポツダム宣言では領土問題の項目がある事など客観的事実を教え相手国の主張を併記する等が重要で、ドイツの戦後処理等も学ばせるべき。いくら安倍さんが「対話のドアはいつもオープン」などとほざいても、「領土問題は存在しない」では対話に応じないだろう。中国の脅威を騒ぎ立て防衛力や沖等の基地強化等を進めたいのだろうが、そもそも中国は⒙世紀後半に奪われた(と主張している)島を返せと言っているだけで、日本を侵略しよう等と考えている訳でもない。むしろ戦後処理を巡る国際秩序等の歴史認識を持出されて(長年北方領土問題の存在を否定していた)ロシアと連携される始末である。
それにしても不思議なのは国会論戦等で孫崎さんの様な合理的な主張をする議員や政党が皆無に見える事である(少数野党の社民党位?)、自民公明のリベラル派も殆ど発言しない。責任野党とは現政権に媚びる事では無いはず、国際的視野を持った政治家の役割は大きいと思う。「政府が右と言う事を左と言うわけにはいかない」などとほざくNHKの会長も大問題である。
「固有の領土」というなら江戸時代の幕藩体制時に所属した土地にしか「固有」という言葉を冠することが出来ないと小生は思っているので教科書にそのような標記をするのには根本的に違和感を感じます。何だか日本と日本人が世界の常識から遠ざかって矮小化していくのがとても残念で失望しています。
そういう心情から判断して孫崎先生の本文脈には全面的に敬意をもって賛同いたします。
僕は日本を愛していますが、竹島や尖閣の領土争いには全く興味がありません。そういう意味での所有には昔からあまり興味がないのです。同じように古い神社や原始神道には興味がありこれからも参拝もしたいですが、国家神道にはほとんど興味を持てません。不思議と持てないんです。理由はそれがつくりものだからだと思います。不謹慎かもしれませんが、国のために死んでいった人のためにといわれても感情が伴いません。むしろ国のために死ねといった人間は誰なのかと問いたいですが、一人の人間の顔が浮かぶ訳でもありません。それは明治政府が作り出した新興宗教で、あの頃は誰もが自分でものを考えない、あるいは考えることができない状況を作り上げていたのだと思います。
だからといって、日本への愛から遠ざかろうとは少しも思いません。僕はこの国で生まれ、この土地と自然の中で育ちました。他の国のことはあまり知りません。他の国の価値観は尊重したいし、むやみに争いたいとは思わないけれど、この国から僕は離れることはできません。それは新興宗教ではありません。その形は変わっていくかもしれないけれど、稔りあるしっかりしたものに変わっていくなら、風が吹けば飛ばされて消えてしまうものよりはずっと素晴らしいだろうと思います。
「私は教育の最大の目的は、自ら考えることの出来る人材を作ることであると思う。その際重要なことは、さまざまな見方を示す事であり、特定の考え方を植え付けることではない」とは孫崎氏の言葉であるが、それは大筋において間違っていないと思う一方で、現実にはかなり難しい注文である。たとえば、科学を教える上においては、どうしても現時点での主流の仮説を大きく取り上げざるを得ないし、歴史を教える上に於いては、現時点でのある国の教科書がその時点での政権の歴史観を代表するものになることは当然と言わざるを得ない。けだし、PRCの教科書は現在のPRC政府の歴史観を代表し、韓国の教科書は韓国政府の考えを色濃く代表しているのは当然である。「特定の考え方を植え付けることではない」とは、絵に描いた餅、希望にすぎない。日本の教科書だけ、もっと中国寄り、韓国寄りの見方をとりいれよと孫崎氏は希望しているのかも知れないが、無理だろうね。中国や韓国で日本人は歴史を知らないと思っているのは、単に彼らが学校で習った歴史観を日本人が共有していないと言っているに過ぎず、彼らの歴史観が絶対的に中立、公平であるということを主張しているわけではないでしょうね。それとも孫崎氏はそう信じているのだろうか。孫崎氏は日本の外務省に生まれた異端児であり、彼の意見に同意するのは、外務省の現役、OBを通じてごく稀だろう。もちろん、稀だから間違っているとは言わない。