今日、民主主義は憲法を基礎としている。憲法とは時の政権の恣意的判断で運用しないことを基本原則とする。当然のことである。もし、政府が自ら憲法の解釈権を持ち、行いたい政策を実施していくなら、最早憲法は機能していない。そのことは当該国の民主主義国家であることを否定するものである。当然の論理である。この当然の論理を無視し、安倍政権は長年の国会でのやり取りを無視し、解釈改憲で突っ走ろうとしている。
当然ながら他の民主主義国家は懸念を持って日本を眺めている。「(日本と締結を進めている)戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張している」状況が出てきた。
そして今度はニューヨーク・タイムズは社説で拳法をめぐる安倍政権の動きを批判する社説を掲げた。
「米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は8日、安倍
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コメントを書く安倍総理を見ていると、どうしても思春期を乗り越えて、社会と同化できる人間性を得ておられないように見えます。自我丸出し、自分のやりたいこと、ほしいものは、親だけでなく、先生が諭しても、隣近所の人が話しても、絶対に曲げない、「正義は我にあり」と考えているようだ。挙句の果てには、社会の制度が己の主張を通すうえで障害になるのであれば、法律どころ、己を縛る憲法を変えようとする。とても民主主国家の教育を受けてきたとは思えない。この傾向が安倍総理独自のものであれば、まだ救われるが、絶対評価教育がこのような異端児を養成するシステムとなっていることに社会が気づくべきでしょう。文部科学省と日教組の責任は極めて大きい。
安倍の根拠のない自信は一体どこからきているのか。
それは「衆参選挙や都知事選挙」において絶対に勝てる仕組みを作ってしまったからだ。孫崎氏も最近お気づきになったようだが、「自民党に献金している、民間選挙関連会社・ムサシ」に重大な選挙不正を働かせているからだ。その結果、衆参のねじれは、いとも簡単に解消。向かうところ敵なし。このような状況を作出出来るなら、誰が総理になろうとも、独裁者になってしまうに違いない。同じ穴のムジナである、独裁者・橋下徹でさえ一国の総理にならねばこの手は使えないのである。このような「ムサシを使っての不正選挙は民主党代表選挙(菅VS小沢)」に始まった。その結果、菅・野田・安倍と戦後最低最悪の首相を生み出すことに繋がった。日本は「法治国家でも民主主義国家」でもないことに、日本人のどれだけの人たちが気づいているのか大いに疑問である。「マスコミ・警察・検察・最高裁(4月から寺田逸郎が長官に就任)・永田町・霞が関・東電・関電」その他枚挙に暇なく違法・脱法を繰り返す、巨悪が存在する。民主主義の危機で済まされないところまで日本社会は腐敗を極め、先進各国はもとより、世界各国のお笑い種になっているのである。<上記記事:敬称略>以上
2月10日の衆院予算委員会で安倍首相は憲法について、7月3日の党首討論会の際に披瀝した持論を再び開陳している。
それはこんな内容だった。
「憲法が権力を縛るためのものだったのは王権の時代。その考え方は古い。今われわれが改正しようとしている憲法は、国家権力を縛るためだけではなく、私たちの理想や国のありかた、未来について語るものにしていきたい。」
要するに、憲法が国民の自由や権利を守る目的で、政府を縛る、いわゆる立憲主義の考え方は王権時代の時代遅れなものであって、憲法には時の政府が自分たちの理想や志向する未来像などを書き込むのが、新しい憲法の考え方だと言うのだ。
ー「ビデオニュース・ドットコム」より抜粋。ー
安倍首相の独特の解釈でとても近代民主主義国家の首長の常識とは思えませんが、そんな勘違いのトップを選んでしまった国民の悲劇を嘆かざるおえません。
安部首相の「理想や志向する未来像」とやらがどんなにも国民を不幸にするおぞましい物なのか、そんな新しい憲法なんて願い下げです。
改憲派にとっては、バラマキにバラマキをして国民が平和ボケしている現在を除いては、改憲できるチャンスはないでしょう。それだけに改憲の進め方は荒っぽい。残念ながら欲にかたまり平和ボケしている国民は、生活が圧迫されてくれば、政府のやることなすことすべて反対になるが、満たされている間は、鷹揚に構えています。それにしても、砦が公明党であるのは情けない。民主党はいつまでたっても、意見の対立する勢力が併存している国民から遊離したな政党であって、今のままでは選びようがないことがわかっていない。自己満足政党に過ぎなくなっています。自民党の高笑いが聞こえるばかり残念な現状です。長島なる議員が自民党の後援活動をしているようだ。これで民主党を選べといったって無理でしょう。
昨日、新橋のホルモン焼き屋で仲間と一杯やりましたが、周囲のサラリーマンやOLたちは昔と変わらず天下泰平でした。
でも世界の情勢は緊迫の度合いを高めています。日本は第三次世界大戦に巻き込まれても止む無しとの覚悟を決めて諸方策を進めているかのようです。安倍内閣はそこまで深く考えていないかもしれませんが、客観的にはそういう方向に向かっていると断じても間違いないでしょう。日本は平和憲法を高らかに掲げ、「何もしない」という政策を取るのが国益に100%合致するのですが。
安倍内閣は誰から世界情勢についてどういう風にブリーフィングを受けているのでしょうか。素人の私にも分かるのです。米国と一緒になって世界中で戦えば尖閣を取り戻すどころか、日本国全体が壊れてしまうリスクを抱え込むことになるのですよ。
米国はウクライナの暫定政権を足掛かりにしてウクライナ危機をロシアの脇腹に今突きつけています。1960年代にキュウバ危機が米国の脇腹に突きつけられたときに第三次大戦をも辞さずと主張した軍産複合体をケネデイ大統領は抑えつけフルシチョフと直接談判して危機を乗り越えましたが、オバマはケネデイみたいな信念の男ではなさそうです。暗殺を恐れる臆病者だという見方もあります。しかし、情勢はただならぬ方向に行きつつあります。米の良識あるジャーナリストは口を揃えてプーチンとの対話を呼びかけています。プーチンもオバマと話したいと言ってます。しかしオバマはプーチンを避けています。日本では殆ど報道がなく天下泰平です。
中国は米国との関係もあるから、wait and seeの態度を維持しているみたいですけど、米国の軍産複合体の邪悪性に鑑み終局的にはプーチンの後押しをすることになるでしょう。
我々日本の大衆は直ちに平和運動を展開するしかありません。安倍内閣の富国強兵策は純粋アナクロです。又、ウクライナへネオナチを送り込んでいるのはロシア人嫌いの東欧諸国だと言われています。ネオナチも時代錯誤です。アナクロと時代錯誤が米国の世界戦略のボーダーで同時に発生しているのは単なる偶然ではないでしょう。
なんというか、民主主義って難しいですよね。old japさんでしたっけ、いままで民主主義などというものは存在したことがないみたいなことを、誰かが言っていましたよね。大体民衆というのは、正確な判断はできないから、上に立つものが民衆のことを考えているかどうかで民衆の幸せが決まる訳で、結局民衆は正しい指導者を選ぶことしかできない。なので自民党と安倍を選んだ時点で失敗な訳です。
時代錯誤というのは確かにそうだと思います。でも同時にこの時期にそういう時代に逆行することが起こるのも偶然じゃないのかもしれないとは思いますね。時代は簡単に前には進まない。不安要因は必ず出てきて問題になります。だからそれはある意味いいことだったのだと思うこともできます。日本が右傾化の愚かさを克服しきれてないのも確かにそうだし、中韓との感情の距離が埋まっていないのもそうなのだと思います。今自分たちのいる位置を再確認することは有意義でした。決して未来がバラ色という訳ではない。
それでも時代は動いているのだと思いますね。いろんなことが昔とは違います。後悔もあるだろうけど、昔はその後悔さえ感じないでいたのかもしれない。どこにも味方がいないとは今は思わない。うまく言えませんがこれでいいのではないでしょうか?安倍がいいといいたいんじゃないけれど、こうでしかありえないというか。
>>6
独り言にコメントするのでなく、独り言を言っていると見てください。
私は、自己否定できない人は、体制批判できない。自己否定して、初めて体制批判ができる。自己否定する人は、新しい見方考え方ができるが、自己否定しない、自己を甘やかせていては、体制がよく見えない。相手がよく見えず、議論が深まらないといえるのではないか。