9月9日に「昭和天皇実録」が公開された。
全部で61巻、ページ数はおよそ1万2000頁にのぼっているという。現在は宮内庁で公開していると言うので、一般の人はわざわざ出かけることはまずないであろう。
従って、「記載されてない部分」が本当に記載されていないか、自らチェックした訳ではない。「テレビ愛知」で10月4日昭和史の真実をパネル・ヂスカッションし、その時、担当者にどのように記載されているか尋ね、記載されていないと聞いたものである。従って、最低、「実録でどのように記載されているか特に注目される点」と考えてもらっていい。
次は私の『戦後史の正体』での記載部分です。次の記述は「昭和天皇実録」には出ていなくて、私の『戦後史の正体』に記載されているとすれば、それだけで、この本の価値があるというものですと自負してます。
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コメント
コメントを書く米国、天皇、為政者、国民の関係を読み解くうえで、大切な記録なのでしょう。
二つの支配関係が読み取れる。
① 米国=天皇のもとに日本国民がある。
② 米国の施政権を日本の政府が代行する。
日本政府の二面性があり、米国と日本国民の両方を満足させる政治を行わなければならない。過去の為政者は、この両者の間にあっていかに日本立場を主張していくかが重要であり、自己犠牲の上に、政治を行ってきたといえる。中曽根政治から変質は始まっているのであるが、安倍総理は露骨に米国に対して背反二面的立場を明確化している。集団的自衛権は、米国の要求に合わせ表面的には協力姿勢を見せながら、実行面では協力しないということである。靖国参拝問題も然り、中国と対立する姿勢を示しながら、集団的自衛権の米国に対する義理が確保できれば、中国との友好関係を促進しようとしています。米国としては日本との関係が極めてやりにくくなっていると見ることができないだろうか。日本の政治家としての姿勢が問われているともいえます。
日本の最大の間違いは、憲法九十九条違反の公務員を、全く裁かないこと。
これが日本腐敗の決定定期原因。しかも、この国はドイツの様に、戦犯を自国民の手で裁かなかった。
日本人は、先の戦争がなぜ防げなかったかの反省が全くない。
天皇はスルーパス。戦犯は刑務所から出してもらって首相に復帰。追放者も五年から十年して政界復帰、ありとあらゆるところに復帰。どんどん国は戦前化。
日本人民は、なぜあの戦争が防げなかったかの反省を全くしていない。そして、裁かれるべき人間が憲法九十九条で言及されている公務員につき、憲法違反にもかかわらずまったく与論もメディアもそれを裁こうとしない。
完全に腐敗している。
たとえば日本共産党も戦争に反対しただけで、なぜ戦争を防げなかったのかの反省が全くない。いまだにない。党の綱領を読めばいい。まったくその反省はない。だから今度も日本人民も日本共産党も戦争を防げない。現にそうなっている。
「この世の全ては解釈次第だ」とニーチェは言っていますが、私はこの格言を性質の悪い虚無として排除します。
それはさておき、昭和天皇にあられては明治の憲法と戦後の平和憲法の区別意識は無かったのではないでしょうか。つまり、昭和天皇はご自身の安全を第一に考えられた極めて人間的な生涯政治家であられたともろもろの記述から私は解釈しています。幾多の研究書に従えば、連合軍によりポツダム宣言が発せられてから、昭和天皇にとってマッカーサーが自分の命をどう扱うのかが大きな恐怖となっています。マッカーサーが厚木に着陸した後は側近を通じて探りを入れ、そしてマッカーサーの心証を損なわないようにとても心配りなさっています。そして、いよいよマッカーサーにお会いになって、自分の安全をお知りになって、心底安堵されたそうです。つまり、昭和天皇は始めから終わりまで一貫してご自身の安全保障第一でお努めなさったと思います。しかし、こんなことはやはり書けるもんじゃありませんね。
今回出版されたものは作者の意思に基づく解釈で文章が作成されたものでしょう。あの古事記は藤原不比等の意思と解釈で創作されたという有力な学説があります。私はこの学説を支持しています。私にとっては権力が考えることは昔も今も同じだということです。
「昭和天皇はGHQ側に対して、「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えているのです。」何故だろう?読み始めてそう感じたが、その後でフレディタン氏のコメントを読んでやっぱりそうなのかと思い、ボイス氏の「日本人は先の戦争がなぜ防げなかったかの反省が全くない」との指摘にその通りだと思う様になりました。そして沖縄の現実はいまでも基本的にこの昭和天皇の要望通りになっている事を見るにつけ暗澹たる気分になります。今生天皇も現皇族方もある意味沖縄の犠牲の上に存在し未だに国民から尊崇されている。こんなコメントを書きながら心の片隅で誰かに(勿論日本人に)「不敬者」と誹られる事を恐れている自分を感じて何か日本国民である事が嫌になってくる。日本は立憲君主制に基づく民主主義国家で主権は国民にあり、天皇は国民の総意に基づく「象徴」の筈ですよね。
最近,ある国への観光パックツアーで年配の夫婦とご一緒した.そのご主人が観光国の歴史的出来事やその歴史年にとても詳しい.話すところによれば特に日本の近代史に興味を持っていて詳しく,また日本の近代史を研究する会(教授していた人の集まりとの説明を受けた)で研究をしていて,その会のオーサーと記載された名刺も拝見した.
たまたま話題が沖縄の基地問題に及んだことから,現在の沖縄基地問題のおおもとに,孫崎さん「戦後史の正体」書籍中に記述のあった昭和天皇の沖縄戦後処理の考え方発言(p87~p88),寺崎英成氏を通じて昭和天皇がGHQ側に伝えた「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」要旨の要望メッセージも関係しているようだ,との発言をしたところ,「ほぉーそれは初めて聞いた新説だ」と,ウソを言うなとばかりの強い否定をされた.
1979年に進藤栄一氏(当時・筑波大学助教授)が,アメリカの公文書館から昭和天皇の極秘メッセージ「マッカーサー元帥のための覚書(1947年9月20日)」の文書を発掘して,文書が残っているらしいのでかなり確実な歴史資料ではなかろうかとも伝えたが,聞く耳なく話題そのものの全否定を受けた.
日本の近代史・戦後史の研究から考えれば,新憲法下で象徴天皇となった後の昭和天皇の政治関与・発言は,現在の日本と沖縄を考える上でも歴史的にも非常に興味深いものと素人的にも考えるが,どうやらこの歴史資料・文書は孫崎さんの言われる「不都合な事実には反論しない。あたかもそれがなんの意味も持たないように黙殺する」日本のメディアや学会などの対応をそのもの,その実態の一端を実感・垣間見た気がした(2014年10月5日).
基本的に人は自由であり、君を縛るものは何も存在しない。ただ生きるために守らなければならないいくつかの事柄があったり、自分の信念からどうしてもできないことがあったりする。それはその人間の選択ということになる。日本が生き延びるために、沖縄を犠牲にするというのは一つの選択だが、それ以外の選択がなかったのか、それがベストな選択だったかという問いには疑問が残る。生きるために乞食をするのは一つの選択で、それ以外生きる術がなかったのか、それがベストな選択だったのかという問いと同じことだ。日本書紀は明らかに権力の影響を受けていて、それは対外的な正式な書物であることにも由来する。鎌足の暗殺劇では蘇我氏は必要以上に悪者にされているし、聖徳太子は仏教普及のために必要以上に美化されている。歴史とはいつも真実と虚構の間にある物語だ。ただものの見方には深さというものがある。二つのものの見方が対立したときにはどちらか強いものが生き残る。死んでしまえばそこであなたの物語はそこで終わる。終わっていないのならあなたはまだ夢を見る。もう一つのものの見方がそれを夢という名を与える。けれど殺しきれないからこそ夢を見る。そしてもう一つの君を追いつめていくだろう。そのためには夢と呼ばれる「それ」は現実の力を持たなければならない。
敗戦後、マッカーサーに対する天皇はじめ直接的、間接的の差はあるにしても戦犯者たちが、どのように対応したか。対応の差がどのように結果として差が出てきたかが、大きな問題であるが、あまり掘り下げることが無いようである。米国は戦犯者を厚遇して、どうしたら、敗戦国日本が米国に敵意を持たないようにさせられるかに腐心したと想像できる。米国に対する協力者に対しては軽い処罰ですまし、非協力者(情報を提供しない者)に対しては処罰の対象にしていったのではないでしょうか。非協力者を尊崇する勢力が、靖国参拝などの行動に出るなどは、国内的には多くの人の理解が得られるが、国際的には認められることはないでしょう。いずれにしろ、詳細をつまびらかにしない、また、できない状況では、日本国民がわりきるのはむずかしい。ここに海外諸国と認識の差が大きく出ているといえないか。
20年ほど前だが、上海の遊覧船上で米国のジャーナリストと話す機会があった。「日本では天皇制や原発は言論上の聖域なんだよね。英国では王制について結構自由に記事を書くことが出来ているようだし、米国にいたってはそんな聖域がなくて羨ましい」と言ったら、そのジャーナリストは即座に「それは誤解だ。ユダヤ人の悪口は言えないんだよ」と小さい声で答えた。
民主主義の政治の基本の一つは聖域に頼らないことだと思う。しかし、難しい。何故なら、大衆を支配するには聖域に頼る方が簡単だからだ。マッカーサーはそのことをよく知っていた。彼は横浜のニューグランドホテル、東京の丸の内界隈、皇居には爆弾を落とさなかった。彼にとってこの三つは聖域だったのだ。そしてそれらを日本支配に使った。
私は、昭和天皇という人を理解出来ない。理由は、「天皇陛下、万歳!」と死んでいった人の遺族などを前に、戦後「手を振っている姿を見て」、「確かに普通の神経の人じゃないな」と思いました。保身に長けているというか、「心」があるのかも疑問です。私なら「自分の子供をあんな窮屈な人生を強いる」ような立場を受け入れずに、私天皇は自分で生きていく、という選択をする。その後、美智子さんや雅子さんが宮内庁の中、他の元皇族(一体何人いるんだか)から、どのように扱いを受けているか察しがつく。沖縄のことにしても、自分には関係なく、且つ、アメリカにとって良い話しを提供したと見る。「私は忠誠心があるの、みてください」か「このアイデア、いかがです?」どう考えても、「人の立場に立ってものを考える人ではない」=「自分さえよかったら、いい」という心ない人柄だったのではと思います。
スイスに銀行の口座を持っていた(おそらく、現在も)は、本当なんでしょうかねえ。