一九三三年熱河作戦(張学良の拠点を叩く作戦)の時に、天皇がこの作戦の中止を指示しようとした際に、奈良侍従武官長は「陛下の御命令にて之を中止せしめんとすれば大なる紛擾を惹起し政変の因とならざるを保ち難し」と述べました。天皇の中止への動きを止めています(「奈良日記」)。「大なる紛擾を惹起し政変」は天皇の排除も意味します。この言葉で天皇は中止の指示を取りやめました。
天皇と軍部の最大の危機は勿論、日米開戦直前です。
『昭和天皇独白録』で天皇は次を述べています。
「私が主戦論を抑えたならば、陸海の与論は必ず沸騰し、クーデターが起こったであろう」
更に、『昭和天皇独白録』は(注)として次をとして加筆しています。
「(上記の発言に加え)ジョン・ガンサーの『マッカーサーの謎』に奇妙なほど一致する一節がある。真偽を確かめるべきもないが、戦後の昭和20年9月27日天皇が初めてマッカーサー元帥に会った時
コメント
コメントを書くわたしの昭和天皇裕仁にたいする感想はただひとつ
なさけない男、につきます。
今回紹介された事実は知りませんでしたが、絶対権力を
欲しいままにした男が、敗戦の後でこんな話をこしらえて責任を
のがれ命乞いをしていたなんて。
ほんとに情けない男。
陛下の御ためにひとつしかない命をなげだした「英霊」たちは
どんな思いでこのヒレツ漢の処世術をみるだろう。
ああ、なさけなや。
戦前の軍部独走は無産者の絶対的困窮から生じた、有産者に対するルサンチマンが政治的な力を得た結果だと私は見て居るんです。2.26事件の青年将校たちの精神には財界、議会人、大臣、首相らのブルジョア意識に対しての反感が横溢しています。そういったルサンチマンはロシアで10月革命を起こし、中国大陸で毛沢東の中国共産党を生みだしました。
私はそう考えていますので、マッカーサーの前に出て昭和天皇が話したことは真実ではないでしょうか。昭和天皇は満鉄の株や台湾製糖の株を大量保有し、莫大な土地を所有する日本で最大のブルジョアジーでしたし、イギリスやオランダの王族、米国のモルガン財閥とブルジョアジーとしての深い親交がありましたが、同じブルジョアジーでも独立性と自由という意味では随分違うことを感じられていた筈です。帝国陸軍の海の親であるあの山形有朋、パリ遊学でパリコミューンの闘士だったクレマンソーに師事した西園寺公望は粗野な軍部に非常なる不快感を抱いていました。
続く
>>8
続き
今のネトウヨ、在特会の運動は単なる東アジア人嫌い症候群に由来するものだと思います。安倍氏も不思議なことに同じ症状にあると思います。その病的傾向を米国のネオコンが熱く支持しているものだから、事態が複雑になっているだけだと思うのです。片や、近隣諸国、ロシア、中国、韓国が理性的に対応しているので一触即発は免れています。世界は中国を中心に少しずつ動き始めました。もうしばらくすれば、日本の大メデイアは安倍体制から離れて行くでしょう。私は楽観しています。
>>2
>>2
全くその通りですね。
過日、ロスアンジェルスを観光中の日本人ツアーに米国人がコーラのビンを投げつけた事件がありました。だからと言って、東京では米国人にコーラのビンを投げつける者はいません。しかし、この事件がロスでは無くソウルだったらどうでしょう。東京や大阪などでは韓国人に対して報復事件がおきる可能性は大です。嫌中・嫌韓は対米隷属の裏返しです。
でもね、孫崎さん。
事態はまだそこまできてません。まだね。
言いたいことを言っても、危害をくわえられたりしません。
まだ。
いま、言わなければいけないことを言うはずの人が言わないのは、
単純に腰抜けだからです。
優勢な側に身を寄せていたい、と思っているからです。
そのほうが楽ですから。
現在はまだ、そうです。
この先はわかりませんが。
だから
私は昭和天皇は1人の人間として、あれ以上の芸当はできなかったと思うだけ。たまたま天皇家に生まれたために、いわれるままに軍服をきてくれというから軍服を着て、白馬に乗って閲兵したり、勅語を発行した役者さんですから。「天皇陛下万歳」と叫んで死んだ人がいても、天皇を責めるわけにもいかないでしょう。天皇が「おまえはわしのために死ぬべし」と言ったわけではないですから。要は、大方の日本人が、清国、ロシアと戦い、満州を属国にすることに賛成し、果ては独、伊と協定を結んでその他のほとんどの国と戦うことを決断したのですから。官僚と軍部だけが、と言うのは逃げ口上であり、その点では天皇と同罪。しかし、罪というのは、定義が難しい。2つの国が交戦するとき、どっちにも罪はない。戦争とはヤクザの出入りと同じで、要は両方とも自己の権益の拡大を望む活動にすぎないから。早い話が、いつも人間に殺され人間どもの餌食となっている、動物(鶏、牛、豚など)や魚類(イワシ、マグロなど)からみて、日本と中国とどっちが善でどっちが悪なんていう設問は無意味。要は一方の戦争国から見て自分のやっていることは善、ないし正義の戦いというにすぎない、なぜなら、善とは自国が更に権益を増す行為にすぎないから。善悪の定義はそれにつきる。要は、自分が生きることが善であり、自分の生を止めようとする相手の行為を悪と呼んでいるにすぎない。
>>12
全面的に同意です。他人の言葉にとらわれるoldjapさんは、どうかと思いますが、ご自分の言葉で語られる本コメントは納得できます。あなたのお話の通り、良い悪いは乗り越えて、自己主張しあいながら、議論を深めることは大切ではないでしょうか。
なるほどoldjapさん。
では、ある日とつぜん人民解放軍の大軍が日本列島におしよせて
殺戮をほしいままにして日本を占領支配しても、けしからんこと
というのは間違いなわけですね。
抵抗する日本と攻撃する中国、どっちにも罪はない。
いやはや。
あなたの論理は日本の過去の罪をなかったことにしたい右翼
言論人の手垢がついていますよ。
oldjapさんともあろうかたが。
全面的に賛成などというひともいるようですが、わたしはかなしい。
>>14
悲しいことですが、国の備えをしなければ、侵略される可能性、危険性は常に存在します。戦争自体に発展しないように近隣諸国との外交交渉が欠かせない。戦争をすれば、どちらが正しくどちらが間違いということはなく、勝者がすべてを決めてしまう。それが現実の姿です。米国の傲慢な態度がすべてを物語っています。敗戦国の日本が終戦と言ってみたり、戦犯が祭られている靖国神社を参拝するなどをさまざまな理由づけをしても、言い訳を言っているにすぎず、見苦しく、「勝ってから言え」と、相手国から言われかねない。戦争を避けるのが政治家の使命であるのに、米国に従って、戦争に加担しようとする今の政権は自主性が欠けた従属国政権にしか見えません。為政者は、高見の見物で済むが、前線で戦う兵士は、生死がいつも頭をよぎることになる。犠牲者はいつも国民です。