A: 私は、最近、講演でしばしば、天皇陛下の言葉を引用する。
1:天皇陛下会見(2013年12月23日朝日)
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」
2:2015年、新年に当たり「天皇陛下のご感想」
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」
B:こうした発言を歓迎し
コメント
コメントを書くどうして天皇陛下のお言葉を引用することがいけないのでしょうか?
天皇の権力を利用しているわけではなく、発言内容に感銘して、それを読者に伝えたいという、極めて純粋な行動だと思います。
昨夜の聴衆の一人のヤジに対し、講師の孫崎先生が対処された厳然たる姿勢に聴衆の多数が拍手を持って応えた事、私もその一人として満腔の敬意を表するものです。
しかし、先生かこのヤジの当人を「左派」に属する人物と判断されたのは、何か根拠があっての事でしょうか?疑問です。私は戦後間もなくからの長い経歴を持つ日本共産党の一員ですが、少なくも共産党関係者ではありえない話で、「左派」とのご判断は誤解だと思います。日本共産党の綱領では、民主革命の徹底をうたっていますが「天皇制廃止」を行動綱領にはしていません。何よりも平和と主権在民を大事にし、天皇制についての異論があっても、現実の政治課題での統一と団結を基本路線としています。「オール沖縄」が象徴するように在来の「右派」「左派」の区分に大きな変化が起きつつある情勢でもあります。誤解がもしあれば是非解消して頂きたくお願い申し上げます。町田市在住・長﨑眞人
憲法に,
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
とある。
とすれば,今の天皇(+皇后)のような方が「象徴」であることは,私個人として大変誇りに思う。マスコミが「象徴」のご発言を,時の政権に迎合して伝えないとすれば,悲しむべきことである。
第二次大戦犠牲者への追悼,被災者に寄り添う態度,国家間についても敬愛の精神,・・・(報道を通してしか知らないが) 敬愛すべき存在だと思うし,天皇のことを思うと,主権者の国民として,今の民主主義の危機への対応が傍観者的であってはならないと思う。
私は孫崎先生のお考えに賛同します。
以前、私がこのブログで「天皇陛下と共に平和憲法を守る」みたいな発言をしたら、「そういうことをすると現政権や右翼が天皇陛下を利用して、神聖化して、天皇陛下のお言葉を神の声として民衆に伝え民衆を政権に隷従させる方向に動くことを促す」という危惧が示されたんです。しかし、それは違うと私は思うのです。昭和天皇は人間宣言された。その御子の平成天皇も人間です。平成天皇が平和憲法がないがしろにされる「非常事態」に人間として危惧を呈されるのは当然の行いだと思います。そしてそのお言葉に啓発された民衆が常軌を逸した政権に軌道修正を求めることは民主主義として当然あるべき姿だと思います。
どこかのジャーナリストと同じで気にしても仕方のないことは気にしないことだな。天皇を毛嫌いする輩を追い出した影響としては、現状プラス面がマイナスを上回っているのは明白だし、ある意味孫崎イヴァンの判断は正しかったわけだ。ただ人生においてはそんな正しさは意味がなく、奪われたものは取り返しにいかなくてはいけない。そのためには変なプライドなど邪魔なだけだ。
天皇などただの人だろ。良いことを言えばえらい人間だし、愚かなことを言えばただのバカだ。蛸が嘘を言えばゆでダコにされるし、イカと喧嘩するようでは知恵が足りない。本質が伴わないやり方で目的を遂げようとしてもうまくいかない。というより蛸の目指しているものって何なのだ?
>>2
younghopeさん。
前回はご意見ありがとう御座いました。
私は、自分が右翼だとも左翼だとも思っておりません。
当時我が国の再建に努力された方々は、たとえ連合国占領下における
指示であったとしても、戦争の悲劇を二度と繰り返させまいとの純粋な
思いで戦後憲法を作られたのでしょう。
しかし、長い年月の間、平和と繁栄を享受することと引き換えに、
日本人の魂は薄れていき、すっかり米国の傀儡国となってしまった。
そして今、米国の傀儡である安部政権によって、先人達が守ろうとした
平和も民主主義も破壊されようとしている。
はたして、この本末転倒な結果が、陛下のご意思なのでしょうか。
敗戦後の日本は、共産主義の脅威から自力で防衛するだけの力はなく、
米国の保護を求めたことは、決して間違った判断ではなかった。
しかし、米国の保護下にあっても日本人としてのアイデンティティは
守らなければならなかったし、また、冷戦の終了と同時に、我が国は、
米国から自立して独自路線を模索しなければならなかった。
現在、世界は、東西冷戦の二極化の時代を経て、米国の一極覇権の時代
が終わろうとしています。今まさに、激動の時代にあります。
以前に私はここで、次のようなコメントを投稿したと思います。
「今の日本に必要な事とは、フットワークを軽くすることである」
今の日本は、第二次大戦と冷戦時代の「負の遺産」に縛られてしまい、
自由に身動きが取れない状態にあり、時代の変化に柔軟に対応できる
ように身軽になるべきだと。
負の遺産とは、歴史問題、領土問題、安保条約、地位協定、そして
戦後憲法であり、これらは現在、我が国の自由な外交・安保政策および
経済政策を束縛し阻害しているもの。
これらを一つ一つ解決、またはその負担を軽減していくことが必要だと。
私はそれこそが、対米自立への道であり、新時代を切り開くのに必要な
ことであると。
戦後憲法と安全保障の見直しとは、その一環として行われるべきこと。
我が国が生存していくのに必要な環境は刻々と変化しています。
脱皮できない蛇は滅びるのです。
孫崎さんの意見に賛成です。これはもう経済至上主義、心を忘れた国民のモラルの低下の問題です。だから右も左もダメなのです。どんな問題も全ては使い手のモラルの問題です。天皇は国民のために皇居で毎日祈りをささげていらっしゃいます。天皇がどういう方なのかもはや理解できる人は少ないでしょう。
>>14
tako2008さんへ
平和と再軍備、この問題が提起されたのが、私の中学1年の時でした。担任の先生が、「戦争で多くのものを失い、他国の多くの方たちに多大の損害を与えました。私たち一人一人が相反する平和と再軍備に向き合わなければならなくなっています」と話され、私はよく理解できなかったが、B29爆撃機爆弾投下によって、少年Hの映画と同じよう空が明るくあちこちで爆弾の落ちる音が心の中に響き渡りました。父が不在で、母が妹を背負い、姉、弟と必死に農道の土管の中で、背を丸めながら朝までじっとして避難していたことを思い出します。父は、学徒動員の生徒と防空壕に避難していましたが、学生を守る形をしていて、焼夷弾の火による大きなやけどが残りました。私は、やけどについて細かいことを知りませんでしたが、60年たってから同級生の女性から聞きました。私たちには、まだまだ戦争というものが、兵士だけでなく、家族を破壊するものであり、世界のあちこちで戦争が絶えないのを思うとき、なんとしても対話によって、戦争は避けるべきだという気持ちが湧いてくるのです。私たちの生命を守る自衛を目的とする自衛隊は絶対に必要でありますが、米国と行動を共にして、世界のどこに行っても攻撃できる攻撃力を備えることは、積極的平和主義といっても、私には欺瞞の言葉であり、9条の意図している平和とは全く次元が違ったものにしかとらえられないのです。軍事力で相手を威圧し攻撃する大国のありかたに対する是非は難しい問題でありますが、少なくとも日米同盟下にある日本は日本より弱い国々を攻撃するなど絶対に避けなければならないことであり、米国と一体化を目指す集団的自衛権には反対です。したがって、体験者の一人として、戦後憲法の見直しには反対なのです。責任論が、日本では個的責任を問うことなく、集団的責任論が支配する特殊な国であり、集団無責任体制がとられてしまうことです。このように民主主義議論の重要性が育っていない国の実態を直視することから始めないと、必ず同じ過ちを犯すのです。
町田市の孫崎さん講演中にヤジが飛び,退席を求めた件はその通りの処置と考えます.出来れば退席を求めるとともに,咄嗟にはなかなか出来ないと思うのですが,このような時「名前を名乗りなさい」とその人物に名前を名乗らせる事が案外に良好な対応方法のことを知っています.単なる悪質なヤジの部類は匿名性がポイントなので名前を名乗れないことがあります.ネット上の匿名投稿や都議会や国会でのセクハラヤジと似ています.名前を名乗ることがあれば判断材料となり,場所とタイミングをわきまえた話の余地も少しはあろうと言うものです.
>>9 の「mahito」 氏
会場参加者に日本共産党の方がいて,その見解の投稿は良いこととですね.左翼・右翼(左派・右派)と言う言葉は,何か特定な固定概念の当てはめ感があり好きではありませんが,もし左翼と表現した場合は,偏見が作用すれば現時点では日本共産党がその代表と受け止められてしまう事となりそうですので,孫崎さんのメールマガジンへの実名コメント投稿は良いことと考えます.可能ならばもし知り合いの方々が当日の会場内にいたならば協力を求め,孫崎さんに退席を求められたヤジ発言者の背景やその心情がわかれば,世の中の状態を理解するひとつの手がかりとなりますので,単発の投稿ではなく是非とも続報をコメント願いたい.
左翼・右翼(左派・右派)などの表現は,表現するその人の立ち位置によって相対的に変化してしまうので,孫崎さんの言われるひとつにまとまらなければならないこの状況下では,その表現を「左派=平和希求派=平和派」「右派=戦争好戦派=戦争派」のように,皆さんが呼び方・概念を変えていただけると,学問的に興味のない者としては,かなり抵抗が軽減してまとまりやすいと考えるのですが如何でしょうか.このコメント欄に投稿する知識水準の高い方々には,その孫崎さんメール内容の論評に加えて,この日本の危機的状況を如何にすれば良い方向に直すことが出来ると考えているのか,例えば辺野古基金のようなその具体的方法・アイデアを一つでも二つでも提案していただけると,より一層楽しくなるのだが如何か.孫崎さんは今出来ることを精一杯提案実行しています.
孫崎さんの言葉の中で少し指摘したいのは「天皇陛下」と表現している点がある.天皇が「陛下」のであれば国民は「臣民」となってしまうので,国民主権の「民主主義」とは少しずれてしまう.特に,この「陛下」とか「○○さま」と言う表現は,一定の意図を持って(持たされて?)マスメディアが国民に浸透させようとして来たものに見えるので,個人的には使用はしたくない.
これまでの職務を考えれば孫崎さんのその用語使用はうなずけるのだが,聡明な孫崎さんが常用的に使用するとしたら??感が生じてしまう.もっとも書籍などを拝見する限りではケースバイケースで使い分けているので,そのように私は受け止めているのだが,もし平和と民主主義を希求する平和派(左派)と言う方が抵抗を感じるとしたら,悲惨な被害を被りその戦争責任を取ることのなかった天皇を,民主主義下の現在でも「陛下」と位置づける,その用語使用の点がひとつの抵抗理由かも知れない事を指摘したい.(2015年5月26日)
>>16
貴重なご体験を聞かせて頂きありがとう御座います。
小さい頃は、私も祖父やその友人から戦争の体験を聞かされました。
しかし、どこか遠い世界の話のようでした。
我が国が再び戦争に関わっていくという現実が身近に近づいてくると、
体験を聞けたことの貴重性を再認識する次第です。
>このように民主主義議論の重要性が育っていない国の実態を
>直視することから始めないと、必ず同じ過ちを犯すのです。
仰る通りです。
原発事故にしても、責任の所在が曖昧にされ、特に政治家は、
誰も責任を取ろうとしなかった。
私は、憲法改正は対米自立のためには不可欠だと考えておりますが、
「順序」を間違えると、大変なことになる、とも危惧しています。
国力の低下した米国は、自分達の世界戦略に日本を利用することを
狙っており、憲法9条はこれを阻止するための防波堤になっています。
しかしその防波堤も、米国の圧力の前に無力化されようとしている。
宗主国の意思が、一国の最高法規をも超えるという、深刻な事態を
まず国民が認識しないといけません。
民主主義、それ以前に立憲主義が機能していない。