A:事実関係
2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。中央5紙の長期低落傾向には、まったく歯止めがかからず、新聞産業が奈落の底へ一直線に進んでいる実態が明らかになった。具体的な数字は次の通りである。(括弧)内は、対前年同月差である。
朝日新聞 6,783,437 (-468,840)
読売新聞 9,101,798(-132,046)
毎日新聞 3,248,393(- 55,430)
日経新聞 2,726,561 (- 37,422)
産経新聞 1,599,127 (- 1,865)
1年の間に朝日は約47万部、読売は約13万部を減らしている。(出典「メディア黒書」
http://www.kokusyo.jp/shinbun04/9174/
B評価
・新聞のデジタル化、ソーシアル・メディアの発展で新聞の販売が落ちることは予想さ
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3Kの減少がとても少ないですね。
我が世の春かな。
それにしてもあの新聞というか、新聞のようなものを
購読する世帯が160万もあるのが驚き。
品のない「ナベツネ」に発行部数競争を煽られ且つアベにひれふした「朝日」は大量の減紙。アナログからデジタルへの変遷もあろうが、庶民の側にたったスタンスを権力者側に変えたことが災いしていることもあるのだろう。
自身も今年、40年の「朝日」購読を止めて、東京新聞に切り替えた。
政権の監視をしない新聞は、歌を忘れたカナリアも同然のこと。しかし、歌を想い出して欲しいと言う庶民が居ることを忘れずに、再起を祈念する。
家人は隅から隅まで朝日を読んでいる。私は殆ど見ない。見ると気分悪くなる。私みたいな人が多いのじゃないのかな。
選択新聞として「朝日新聞」を選択するなど、現在の私には考えられない。せいぜい、公民館、図書館、ホテルなどで見る程度ある。
小沢事件前までは購読していたが、事件後やめてしまった。止めた当時は、妻の不満があったが、読みたければ自分の小遣いで見たらと言ったら、もともとがしまり屋であり、読む価値がないのでしょうか,やめてしまった。女性は現実的であるから、惰性で生きているわれわれ「爺、おじさん」がやめる気になれば、一気に購読が減るでしょう。我々が、やめる気になることが一番大切であり、新聞の大きな脅威になるのではないか。
私も、1/47の一人である。
購読をやめる前に社長宛に、偏向報道の実例を書いた抗議文と、改善の要求を書き連ね、92円の切手を貼った手紙を数回送ったが、未だに何の返事も来ない。社長が目を通したか否かも不明である。
単なる誹謗や中傷ではなく、具体的な事例を書いた長文の手紙に対しても、感謝の意も表さない。これだけでも読者を無視している証拠だろう。現社長は、就任のあいさつで「読者と共に作る」と述べていたが、それもウソだった。報道機関の使命を忘れた新聞社が、社会から淘汰されるのは当然であり、経営者はその責任を負わなくてはならない。
“Journalism is printing what someone else does not want printed: everything else is public relations.”
― George Orwell
「ジャーナリズムは他の誰かが記事にしてほしくないことを記事にすることだ。他はすべて宣伝活動である。」
――ジョージ・オーウェル
皆さんの知り合いに、テレビ、新聞関係の仕事をしている人がいたら、その人たちに尊敬できるような人がめったにいないことに気づいているはずだ。彼らも、役人や先生の場合とまったく同じ程度に、自分の生活さえよければいいと思っているのである。
そんな人の書いたものを誰がありがたがって、お金を出して買いますかね。
新聞関係+テレビ関係(いわゆるマスコミ)、先生、役人は、たいてい、何の説得力もない言葉しかもっていない。
ゆえに、新聞+テレビ→見る価値なし。学校→できる子だけ優遇。役所→いわずもなが・・・。