「ISD条項で主権を売り渡すTPP」
日本外交の歴史を簡単に振り返ってみよう。
外国との交渉で、国益を著しく犯した時は何時であったか。
多分多くの人は幕末時の交渉を想起すると思う。
日本は1858年日米修好通商条約を結び、ついで、イギリス・オランダ・ロシア、フランスと相次ぎ条約を締結した。ここでは、列強諸国の治外法権を認め、関税の自主権を放棄した。明治の外交においてこの撤廃を最大の眼目としたが、その完全な撤廃は日清戦争後の1899年日米通商航海条約の発行まで待たざるをえなかった。是正に約40年かかっている。
ついで、1945年日本が第2次大戦に負け、ポツダム宣言を受諾し、9月2日降伏文書を結んだ時であろう。
戦後の基本的枠組みを決めたものであるが、日本ではほとんど、その内容を知っていない。
降伏文書に署名したのは、「大日本帝国天皇陛下及日本国政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ重光葵」と「日本帝
コメント
コメントを書く孫崎先生のご指摘の通り、TPPは主権を売り渡す国事行為だと思います。
ロシアと中国は一貫して主権の尊重こそが国際関係で国家間の緊張を緩め平和をもたらす基本だと主張しており、私もそれを正論として高く評価しています。米国が狂気じみて急ぐTPPは両大国の主張と真っ向対立するものです。ですが、幸い、両大国はTPPを潰そうという野心を持っていません。TPPの成立によって国際関係の緊張が高まることはないでしょう。
問題はTPPの主権者がウオール街にアジトを置く国境なき巨大資本ですから、TPP傘下の諸国の民衆の利益に対しては一考さえしないということになります。言い換えれば、TPPという巨大準国家が成立するが、民衆の労働、福祉問題の解決は決定的におざなりになるということになります。
続く
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続き
TPP巨大準国家はウオール街の利益優先で中国やロシアという巨大国家を相手に経済、金融、貿易を調整していくことになりますから、TPP参加の国家に所属する民衆の苦境の度合いが更に深刻になるのではないかと恐れるわけです。さりとて、TPPという巨大準国家がロシア・中国に対して鎖国化することはオーストラリア、ニュージーランド、カナダみたいな資源、農産物輸出国には耐えられない。又、観光資源を輸出する日本もこれまた致命的な打撃を蒙るのは必定です。こんなことは絶対ありえない。
TPP締結そして実施の結果、日本の民衆の状況は限りなくカリフォルニアの民衆と同じ境遇に収斂していくのです。カリフォルニアの民衆は47州に可能性を見出すことが出来ますが、日本の民衆はこの列島に閉じ込められ逼塞を強いられることになる。日本は国を捨て州になりさがり、折角入った国際的枠組みの恩恵を受ける能力を持つのは一部の国民だけで民衆の大半は困窮することになろう。
こんなことは断じて許されない。批准阻止に向けて頑張らなくてはならない。辺野古阻止で頑張っている沖縄人をどこかで冷やかに見て居た一部の本土の民衆にも今度は直接自分らに火の粉が飛んでくるのだ。他人事ではなくなるのだ。
TPPには自分も反対です。ただEUがヨーロッパの経済圏をつくり、アメリカが環太平洋の経済圏をつくる。中国も同じような動きをするでしょう。グルーバル化の是非はともかく、国境というものが昔より希薄になっていくのは、避けられない方向ではないかと思う。ただいまの所、経済を統治しているのは孫崎さん指摘の国際資本だ。その支配する経済圏に自らの身を投げ入れるということになる。ただ支配するものが国際資本ではないものであれば、悪いことばかりではない。いずれにしろ、国のエゴにとらわれずに一つの地球としての視点を入れていく必要は大いにある。そうすれば戦争に必要も基本的になくなる。
痛い目にあった。でも出会ったものが前と同じだとは限らない。日本も第二次世界大戦前の愚かな日本ではないことを望む。
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確かに、支配するものが国際資本でなければ、悪いことばかりではないと私も思います。今在る国連が徐々に改善され国際法に基づく国際政治が行われるようになればかなり理想に近づくと思います。でも、米国や日本は国連を離れて有志連合を強化して侵略を第一義に考えているからとても恐ろしい状況だと思います。
私はホモサピエンスの生活の基盤は家庭だと思うのです。家庭が集まって国家が出来上がり。国家が集まって国際社会が出来上がる。そこに通じるものは人間の魂であるべきです。ある種の宗教と言っても良い。或いはヒューマニズムと言っても良い。その魂を否定するのが、国際資本です。回教徒、ロシア人、中国人が国際資本に絶対なびかないのは国際資本に魂を否定する邪悪性があるからだと私は思っています。
フレディ・サンの言っていることはよくわかります。資本が魂を否定する。資本の原理が世界を支配するためには、「魂」などというものはあってはいけない。「精神」といってもいいし、「愛」といってもいい。現実生活に役に立たないけれど、人間が最も大切だと考えるものを無価値だという烙印を押したいのです。そこに人間は「魂」などというものから自由になり、この世のすべてのものを手に入れる「お金」と「名声」を手に入れることができるのです。それが今現在起きていることです。逆に地下の帝国ではこれとは逆の流れを目指しています。魂にとって「お金」も「名声」も生活に困らない程度にあればいいものです。魂はそこから離れようとするのです。そして人間がその選択をするのかと言う、根本課題があります。あなたに、そして現代人に突きつけられた大きな問いかけなのかもしれません。