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第14回文化レクリエーション…没後50年 鏑木清方展/オンライン感想会及び新旧年度事業案内
前回の文化レクリエーション(以下、文化レク)を開催後、実に2年半の時間が経ってしまいました。今も世界でコロナ禍が去っていない現実を私たちは過ごしています。また、ウクライナへの侵攻が社会に暗い影を落としていますが誰がこのような事態を想像し得たでしょうか。人の一生を考える時、我々の前に横たわる偶有性を意識しないわけにはいかなくなりました。
漫然と今日の延長に明日があるような感覚で暮らしてきていた日々でしたが、それも何かしらの再構築が迫られているような気がしてなりません。事実、筆者はその思案に明け暮れていて思索メモが積み重なっています。「何があるか分からないのだから1日を大切に」といった形而上的なスローガンでは満たし得ない心境が胸に去来しており具体的で手ごたえのある事象を求める一方で、社会をどのように評価・判断するかという「自らの機軸」を一層に磨いていく必要があるやに思われるのです。
さて、MAAの公式行事である文化レクがしばらく中断を余儀なくされていましたが、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の全国解除を受けて久々の設定となりました。解除されたとはいえ「安全」ということはなく、文化施設にしろ交通機関にしろ感染防止の徹底が図られることが大前提の社会の動きです。MAAとしても慎重に開催是非の判断を事務局で行っての案内となっています。
会として東京国立近代美術館を訪問するのは初めてのことです。竹橋駅すぐ近くの場所で皇居に面する立地。当日は快晴となり集った会員でレク再開を喜び合いました。「遠足の前日の様なワクワク感でなかなか眠れなかった」といった話も出て、文化レクが計画通りに開かれていた頃が懐かしくも感じられました。これも決して「当たり前」ではなかったのだと今になって強く思うのでした。訪問施設を評価する「MAAアセスメント」を行えたのも久しぶりのことで、会の原点に立ち返った気持ちにもなりましたね。考えてみたらこの日は会の創立記念日でもあったのです。
-エントランスBS-
本展示は「鏑木清方(かぶらききよかた)」という日本画家の没後50年を記念する催しです。この後、京都でも展示が行われるようです。日本画の性質上、特定作品への損耗を防ぐ意味合いで展示作品が入れ替わるとアナウンスがありました。東京と京都で味わいの異なる鑑賞が出来ることを楽しみに思われる方も少なくないのではないでしょうか。私自身は画心がなく、また、論評し得る見識も感性も持ち合わせていないのですが「自分には出来ないからこそ強く敬意を抱く」といった立場は堅持しており、今回もそうした心情を十分に補強する鑑賞となりました。
鏑木清方と言えば「美人画」という世評が一般的であるようですが、確かに今回展示されていた作品の多くがその系統で占められていました。不思議とどの絵も表情に一貫性があって、あまり画からは個別の感情を汲み取らせない描き方であるように受け止めました。「生活と共にある人」というテーマを重視する作画スタイルだったと展示に説明がありましたが、浮世離れしない鏑木清方の地に足のついた方針には好感を抱くことしきりでした。
-集合写真-
常設展「美術館の春祭り」
-菊池芳文『小雨ふる吉野』-
-川合玉堂『行く春』-
鑑賞後、幾人もの「皇居ランナー」とすれ違いつつ、東京駅方面へ徒歩移動。途中のビル街地下休憩スペースでテイクアウトコーヒーを片手にしばしの談笑。こうしてリアルに会って語り合うこと自体を貴重な時間と思われた方が大半ではなかったかと考えます。以前ならここから食事コースですが夜にオンラインでの第2部を控えている関係上、日のある間に一旦解散の運びに。
オンライン感想会には日中参加できなかった会員も合流し、現地参加者の言に耳を傾けていました。まだ開催期間中なので個別に訪問することもできますから、その際の参考になるような話ができたのではないかと思います。
本来は総会が設定される日程ですが社会事情を鑑みて下半期に延期をしています。この日は昨年度の事業報告と今年度の事業計画を一通りアナウンス。コロナの状況次第ではあるものの、秋の全国レクリエーションの展望も示しました。会としても事業開始から6年目に入ることとなり、これまでの会員各位のご厚情と支援について感謝・御礼を理事長として述べさせて頂きました。創立10年に向けて一層の質的向上を目指して前進していけたら幸いに思います。
記:PlaAri -
第17・19・21回インターバルレクリエーション…TM NETWORK 再起動「How Do You Crash It! one~three」
文化鑑賞団体として創立された本会。
その母体は私がTM NETWORKに関わるニコニコ生放送を行ったり、YouTube動画投稿を通して知己になった方々の緩やかな人間関係の集まりでした。特にニコ生に関しては通算1,000回を超える配信となって、その記念として新宿ニコバーで大交流会(オフ会)を催したりするほどには広がりが見られました。事業構想・準備期間を経てMAAの立ち上げはちょうどその1年後からとなったのです。
こうした経緯もあり本会の各種レクリエーションにいつかはTM NETWORK絡みの企画が組まれることも自然な成り行きであると会員各自も認識があったようですが、TM自体の活動が二転三転するようになり実現しない状況が続いておりました。(これまでにもEXPOピアノ見学企画はやりましたが。)
そして既報の通り小室哲哉さんの音楽活動復帰が実現し、TMの再起動が無観客オンラインライブとして開催されるアナウンスが出た段階で本会のインターバルレクリエーションが設定されることとなりました。
2024年でTMもデビュー40周年という歴史を刻みます。本会会員が若かりし頃(語弊感…)、自分にとっての大スターだった3人の存在。この40年ほどを俯瞰すると数々のアーティストが不仲になったり、活動停止したり、解散したり、他の何らかの事情で表舞台から去っていたり、あるいは亡くなったりと、人間故の状況変化は避けようもなく見受けられています。
そうした現状もある中で今回の再起動ライブはTM NETWORKの3人が今日もなお、その更新され続ける姿をファンの前に見せてくれることへの感慨を深くしたライブとなった気がしています。
3回に分けての配信となった本ライブで新曲は1曲。これはNHKの新番組のテーマ曲として採用されたようです。バックバンドもなく「3人だけ」のステージ。原初感も漂う中で新しさも垣間見させるような印象を受けました。たとえ世の毀誉褒貶に晒されても、拠って立つ場所があるというのは素晴らしいことだなと感じます。
あと、以前からそうでしたがTMに関しては新しいことを厭わないという点も魅力的に映りますね。人であれ組織であれ40年近いキャリアを積んでくると硬直した仕組みが温存されたりするものでしょうけれど、TMに関してはあまりそうした固さは見られないようです。時流を見つつ判断を洗練していく営みはファンである私たちのライフスタイルにも十二分に参考になるとも思えるところです。
TMの音楽制作の形についてはDAW(デジタルオーディオワークステーション)全盛の時代にある昨今、その活用が顕著になっていますね。ライブを構成する要素としても不可欠になっていますし、使用されている音源も現代のテクノロジーを反映したものになっていました。アルペジオパターンやシーケンスフレーズが機材の各種プリセットでほぼ使い物になってしまう今日、「完全なる独創」という領域は極めて狭い概念になったと言えなくもありません。DAWや音源開発者の創作物の上に乗って楽曲が成り立つ構造なのですから当然のことです。
今回のライブにもそうした状況がはっきりと表出していましたが、これは決してネガティブな論評ではありません。プリセット(あるいはそれを編集したもの)の組み合わせの上に3人の歌・演奏が重なる時、やはりそれは唯一無二の「TM NETWORK」になるのですから不思議です。
無観客ライブ配信という形式を採った試み、TMには親和性がありそうだなとも感じます。デジタルミュージックを基軸ともしていた3人組ですしね。有観客でライブする場合よりも会場選定に自由度があるでしょうし、舞台セットにも自在なハンドリングが期待されるでしょう。もちろん、有観客ならではの楽しみや喜びがあることは揺るぎない大前提ではありますけれどね。
MAAとしては3回あったライブの度にZoomを通して感想会を開きました。3人の容姿、曲順、機材構成、演奏、演出や今後のTMの活動についてなど、ワイワイと会員の意見が飛び交う楽しい時間となったのが印象的です。その時点ではまだライブを視聴していない方もいて、セットリストを想像しながら皆との会話を味わうシーンもあったりしたのも興味深かったですね。
コロナ禍で各種レクリエーションがオンライン化する中にあって、TMに関する企画が成立したことは嬉しいことでした。ただ、なかなかライブ配信日程が明らかにならなかったことが悩ましくて、会員へのレク周知のハードルがそれなりに高かったのも思い起こされます。今後こうした配信が催される時には、もう少し早いタイミングで公表されると視聴者サイドも助かることでしょう。
ここで一つ、勝手な提案です。
TM NETWORKによる有料限定コミュニティを開設してもらって、過去の映像作品や未発表物を余すことなくサブスクで提供するのはどうでしょうか。事実上のファンクラブとして機能する仕掛け。時に3人に降臨してもらって生放送イベントを開催したり、彼らに関わるゲストを呼んで対談をやったり、業界人のインタビューを流したり、色々なことができそうではありませんか。複雑な権利関係を整理統合して是非とも実現してもらいたいものです。多少高額だって構わないです、私としては。
DVDやBDを発売していくこと自体はもちろん良いと思うのですが、もう現代ではそれを再生するデバイスが頭打ちになっていて所有していない人も少なくありません。5Gが徐々に拡大していく今日、モバイルデバイスで映像作品を視聴することがメインストリームになるのは間違いありません。新しい世代への関心喚起の上でも必要な手立てでありましょう。
私たちの青春のヒーローだった3人が、現代の若者にもまたヒーローであって欲しいという素朴な願いです。
記:PlaAri -
第16回インターバルレクリエーション…芥川賞受賞作感想会
MAAでは現在、新型コロナウイルス感染防止のために対面でのリアルなレクリエーション開催が控えられ、インターネットで配信される企画を視聴したあとにZoomで感想会を行う「ネットレク」が活動の中心となっています。自宅で鑑賞できる多種多様なコンテンツが、美術館や博物館、劇場をはじめ、多くの人が現地に赴くことを前提にしているはずの機関からオンラインで提供されていることは非常にありがたく、視聴することがほんの少しでもそういった機関の運営継続に繋がるのであればという思いもあって、私も楽しみながら参加しています。
今回のレク「芥川賞受賞作感想会」は、2021年上半期の芥川龍之介賞受賞作について感想を語り合うというものでした。
上述したレクの流れで言うと受賞作を読むことが配信コンテンツ視聴にあたり、オンラインではなくオフラインの活動となります。そのため、各自が受賞作を自分のペースで読んでおき、Zoom感想会の部分のみが日時設定されるという、それまでの構成とは少し違う開催形式になりました。
また、MAAが創立されて以来、美術、歴史、科学、音楽、舞台芸術などさまざまな分野に触れてきた中、5年目にして初めて文学がメインテーマになった点にも、ほんのり新しさが感じられます。
しかも、文学の中でも芥川賞といえば純文学。しかもしかも、受賞作発表の7月14日から感想会の9月4日まで1か月半というスケジュール。コロナ禍以前のリアル開催レクで博物館や寄席などを訪れていたころは「大人の遠足みたい」などと暢気に考えていたのが、突然先生から夏休みに読書感想文の宿題を出された小学生の気持ちになりました……(先生いないけど)。
その課題図書、いえ、今回(第165回)の受賞作は、石沢麻依氏の「貝に続く場所にて」と李琴峰氏の「彼岸花が咲く島」の2作品です。
2作同時受賞は珍しいことではありませんが、え、これは、両方読まなきゃダメっていうことでしょうか、先生?
芥川賞については、同時に発表される直木賞とあわせてこちらにわかりやすく紹介されています。発表当日のニュースでは受賞者や選者のコメントなども読むことができ、作品を味わう手掛かりになりました。
そしていよいよ、夏休みが明けて、じゃなくて、レク当日の9月。
感想会は、受賞作それぞれについての感想を順番に話していく形で行われました。なんだか本当に国語の授業みたいで、特に私は思っていることを口頭で簡潔に説明するのが苦手なこともあり、話しているうちに「あれ? 伝えたいのはこれだったっけ」と自分でもわからなくなることがあるので、ちょっと緊張してしまいます。でも、皆さんがお互いの感想に興味をもって耳を傾けていらっしゃる様子がZoomの画面からも感じられてほっとしました。
作者が暗示するものが何かを考察したり、舞台となっている街の景色をネットで見てみたりと、一人ひとりが異なる視点からの読書体験を通して感じたことを共有でき、自分では読み飛ばしていた気づきや発見がたくさんありました。それは、皆さんから新しい栞を受け取り、読み終えた本に改めて挟み込んでいるようで、もう一度そのページをたどってみたいと感じる、豊かで心地よい時間でした。
あ、感想会にあたっては2冊読了している必要はなく、途中まで読んで感じたことを伝えるだけでもまったく問題ありませんでした。ありがとう、先生!
先生といえば、遠足のときに「おうちに帰るまでが遠足ですよ」というのが学校の先生のお約束。これをリアル開催のレクにあてはめてみると、作品に向き合うメインの活動だけでなく、集合場所への道中で目にした木々の葉の色から、感想会で食事を共にしながら乾杯したときのグラスの音、皆さんの感想を思い返しつつ帰る道で見上げた夜空の高さまで、すべてがレクの一部となっていることに気づきます。そう考えると、リアルに集える機会が減ってしまった寂しさはとても大きなものです。
でも、リアル開催だとどうしても場所や日時が限られてしまい、距離やスケジュールの関係で参加しにくい方がいらっしゃることが残念に思われるときもあったので、どこからでも繋がりやすいオンラインの良さを活用し、今回のような開催形式がさらに洗練されていくといいなとも感じています。
この先の状況を読み解くのはまだ難しい状況ですが、本の目次に例えるなら、コロナ禍以前のリアルだった時期が第1章、オンライン中心の今が第2章、というところでしょうか。
次のページをめくるとどんな展開が広がっていくのか、これからの物語が楽しみです。
記:パピルス
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