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庭について:その80(1,748字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
無鄰菴について書きたい。無鄰菴は現代人にも人気だが、一方でそれはありふれた庭にも見える。なぜ人気かといえば理由は二つで、一つはそれが街中にありながら、街中にはないように感じる「箱庭感」「異世界感」「異化効果」である。つまり、「市中山居」の系統を受け継いでいるのだ。もう一つは東山の借景の使い方が上...
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庭について:その79(1,898字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 5ヶ月前
京都東山の麓、琵琶湖疎水の出口、南禅寺の参道入口のところにある「無鄰案」は、庭師小川治兵衛の代表作であると共に、近代日本庭園の代表作、大傑作でもある。治兵衛のほとんどデビュー作といっても差し支えないが、彼が残したいくつもの名庭園のうち、真っ先に名前が挙がるのがこの無鄰菴だ。ただ、ややこしいことに...
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石原莞爾と東條英機:その39(1,824字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
当時の陸軍将校には有り体にいって「バカ」と「ずる賢いやつ」しかいなかった。ちなみにここでいう「バカ」とは、勉強はできるが考える力がない者のことだ。バカは皇道派になり、ずる賢いやつは統制派になった。そして、バカとずる賢いやつは相性が悪い。文字通り犬猿の仲である。ぼくもずる賢い人間だが、バカがこの世...
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石原莞爾と東條英機:その24(1,750字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
一夕会はほとんど偶然にできた組織だったが、時の流れが味方して、信じられないくらいに勢力、そして権力を拡大していった。これはひとえに一夕会をリードした永田鉄山のリーダーシップ(時代の読みの確かさと求心力)もあるが、たまたまその周りに優秀なエリート将校が集まり、互いに切磋琢磨していったことの結果でも...
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石原莞爾と東條英機:その23(1,604字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
二葉会と木曜会の両勉強会が合流する形で、1929年に一夕会が結成される。ただし両会は、合流後も解散はされず各々継続していた。一夕会の中心になったのはやっぱり永田鉄山で、彼はこの頃から陸軍人事の「使い方」をほぼ完璧に掌握するようになり、陸軍内での「静かなるクーデター――乗っ取り」を密かに決行し始める。そ...
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石原莞爾と東條英機:その22(1,842字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
永田鉄山の作った勉強会(軍閥)である「二葉会」は、主に「陸軍人事」についての研究をしていた。陸軍人事の仕組みを解明して、どうすれば山県有朋の権力を希釈化できるか、またどうすれば自分たちの権勢を強めていけるのか、綿密に戦略が練られたのだ。一方、鈴木貞一が作った勉強会「木曜会」は、石原莞爾が参加して...
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石原莞爾と東條英機:その21(1,801字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 12ヶ月前
「1920年代」はどういう時代だったのか?今が2023年なのでちょうど100年前である。1920年は、大正9年である。そして大正は15年――つまり1926年までだ。そこから昭和が始まる。そのため1920年代は、前半が大正、後半が昭和という形になる。だから、「大正から昭和に移り変わった時代」だといえよう。石原莞爾は1889年の生...
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石原莞爾と東條英機:その15(1,938字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 14ヶ月前
帝国陸軍の秘密結社を最初に作ったのは山縣有朋だ。しかしはじめ、それは秘密結社というより単なる「藩閥」だった。長州閥だ。山縣は、長州出身者を依怙贔屓し、要職に引き立てていったのだ。しかし当たり前のことだが、その動きは他藩出身者の反感を買う。それを敏感に察してから、山縣は表立った行動を控えるようにな...
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石原莞爾と東條英機:その5(1,491字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
宮中某重大事件は1921年に収束する。新聞で大々的に報じられ、山縣有朋の敗北は全国民に知られるところとなった。その心労もあってか、翌1922年に83歳で山縣有朋は死ぬ。国会で国葬が提案されたが、山縣有朋を良く思わない数多くの議員から反対意見が遠慮なく出た。それでも、これまでの功績を鑑みると国葬をしないわけ...
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石原莞爾と東條英機:その4(1,504字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 16ヶ月前
東條英機の父・英教は、1888年に陸大を卒業した後、ドイツ・ベルリンに留学する。このとき33歳。そこへヨーロッパを視察旅行に訪れていた山縣有朋が来る。すると英教は、同じく留学していた陸大の同期・井口省吾とともに山縣有朋をホテルに訪ね、陸軍の長州閥をあらためるよう、かなり強い口調で詰め寄った。このとき、...
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発売開始 『日本国の正体 「異国の眼」で見た真実の歴史』目次紹介
コメ7 孫崎享のつぶやき 62ヶ月前
日本国の正体 「異国の眼」で見た真実の歴史内容紹介――「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」(孫子) 私たちは何者なのか――。 令和の日本人は「己」について知っているだろうか? 『戦後史の正体』の著者が、「複数の外国人の目=フェイクのない客観的な」日 本通史を通じて、「日本人とは何か」という難問に挑む。日本...
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明治、山縣有朋に明確な戦略。「外交政略論」国家独立自衛の道二つあり。一に日く主権線を守禦し他人の侵害を容れず、二
コメ2 孫崎享のつぶやき 67ヶ月前
山縣有朋は1873年初代の陸軍卿となり、明治政府においては「国軍の父」とか、「日本軍閥の祖」と称された。彼の軍思想は様々な形に変遷するが、次第に攻撃的な色彩を強め、「外交政略論」(明治二十三年)で明確化する。特徴は「利益線」の防護にある。 「今列国の際に立て国家の独立を維持せんとせば、独り主権線を守...
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死神[名人戦第1局]
コメ0 オレたち将棋ん族ZOKU 80ヶ月前
いよいよ始まった将棋名人戦。第1局は恒例となった椿山荘。桜の時期に重なる時もあるのだが、今回は完全に散った後の対局となった。明治の元勲山縣有朋公ゆかりの深き庭園、何が出て来ても不思議じゃない。咲く前に散った怨霊だって。
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貴族のホーム[名人戦第1局]
コメ0 オレたち将棋ん族ZOKU 92ヶ月前
恒例春爛漫桜満開椿山荘対局名人戦第1局。明治の大物山県有朋ゆかりの椿山荘で、勝利の女神が微笑むのは、若貴族アマヒコ名人か?関西の若剛腕イナバか?敗者には?
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田中良紹:米国の洗脳を忘れて「愛国教育」を叫ぶのはお門違い
コメ0 THE JOURNAL 93ヶ月前
安倍総理夫人が名誉校長を辞任した「瑞穂の國記念小学院」は愛国教育で知られる学校法人森友学園が経営する。森友学園の教育方針は「先人から伝承された日本人としての礼節を尊び、それに裏打ちされた愛国心と誇りを育てる」ことにあるという。誠に立派な教育方針である。しかし問題はその先にある。そのため森友学園が...