第306号 2019.3.5発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
「つくる会」界隈の話に出てくるのが、「学級民主主義」です。小林よしのりはいまでも使っています。ようするに、学校で教えられる理想主義的で「お花畑」な政治観をこの言葉で批判しています。
学校カルチャーにおいて戦後主流とされていた知識だとか権威だとかに対する逆張りとか反抗とか抵抗という思想が、小林らの思想の中心にあります。
すなわち、教育における権威と規範に満ちた物言いは、実践的なレベルでもちいることができるようなものではなく、無用である。教育者の言っていることなど、そもそも地に足のついていないものだ。そういった小林の判断が透けて見えます。
現在の風潮で言うと、学者というものを権威として見なしていて、権威を叩くという名目で学者の説や議論を叩く人がいます。まあ、その権威は学者でも日教組でも左翼でもよいのでしょうけれど。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
本編の内容と異なる書き込みばかりで、申し訳ありません。
本日の道場、少し遅れてしまいますが、どうぞ宜しくお願い致します。
本日の道場(第80回ゴー宣道場)お疲れ様でした。
石破茂氏の考えに賛同するところ、なるほどと思うところ、
いやそれは違うと思うところ、
いろいろとありましたが、
石破氏は真摯に語ってくださいましたし、
質問された方々の質問も、
予定調和になっていなくて斬り込んでいて、
石破氏もそれに対して真摯に答えようとされていて、
その応対を見ていて、いろいろと新たに考えることも出来ました。
願わくば石破氏のような力量を持った政治家がもっと増えて欲しいですね。
本日、仕事が休みになったので、自宅で生中継を視聴しておりました。
大変勉強になりました。
石破茂氏が長尺の基調講演をされている中、様々な統計データや憲法の文言などを、全く視線を落とすことなくスラスラと諳んじられておられたのが印象的でした。
常日頃から問題意識をお持ちなのだ、ということが伝わってきました。
何より論理とリアリズムに則った言論であったことが、政治家として信頼できる、と感じました。
一方、「脱原発」や「集団的自衛権」など、これまでの『ゴー宣』の議論の内容とは異なる見解を提示されておられましたが、これは木蘭先生が言われたように、それぞれ個別のテーマでまた深く議論を交わしていただければ、こちらの理解も深まるのだろうと思いました。
自民党に在籍し続ける理由、民主主義国家の「国民」と封建主義国家の「領民」の違いなど、目からウロコのお話もありました。
また、テレビでは見られない、ユーモア(時にブラックな)をまじえて語られているのを見て、石破茂という政治家のイメージがかなり一新されました。
私は大阪府民なので、維新の「クロス選挙」という暴挙と、それに対して自民党府議連が府知事候補として俳優(というか、インテリ芸能人)の辰巳琢郎に打診、という出来事に接して、毎日がトカトントン状態だったのですが、少し勇気が出てきました。
「勇気と真心を持って、真実を語る」「賛成させられなくてもよいから、納得させなければいけない」というフレーズは、多くの政治家に噛みしめていただきたいと思います。
本日は、関西ゴー宣道場、どうもありがとうございました。
とても楽しく、勉強になる時間でした☆☆☆
(^-^)
石破茂さんは、魅力のある方ですね☆♪
師範の皆様、スタッフの皆様、基調な体験をさせて下さって、どうもありがとうございました☆☆☆
設営隊の皆様、居心地の良い時間を過ごさせて頂き、どうもありがとうございました☆☆☆
『下敷きがあるよ』と教えて下さった方、どうもありがとうございました♪☆ 非常に助かりました。
1番ガタイの良い設営隊の方に、お返し致しました。
石破さんの地方再生の話、高森さんの女性皇族方および敬宮様の話、小林先生の若者の賃金の安さの話、笹先生の本音トークなど、とても印象に残りました。
今号の感想です。あまり時間も取れないので、簡単に。
ゴーマニズム宣言・第315回「権威主義批判を批判する権威主義者」
前回も述べましたが、「出典」とか「参考文献」と聞くと拒否反応を起こす自分ですが、肝腎なのはその書が真に自分の思考形成に役立ったかであって(あるいは楽しめたかであって)、「出藍の誉れ」になっていなければ無価値だろうと言えるでしょう。先生の言ったことがどうのこうのということについては、「坊ちゃん」の「先生だって知らないことはあるんだ」というセリフが思い起こされます。赴任先の生徒が、坊ちゃんを試そうとして、わざと高等数学のような質問をしたという下りだと覚えていますが、よんだ当時は新鮮に感じました。先生も人間なので、間違えるのであり、金科玉条のように一言一句を丸暗記するのではなく、自分の頭の中で再構成し、さらにそれが客観的に見てひとりよがりではないか、というようなプロセスが要るのであって、これは読書の場合も同じだろうと思うのです。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第117回「そもそも、芸術って危険です!」
またマイナーな小説の話をしてもよろしいでしょうか。芸術が危ないものだというと、江戸川乱歩の『盲獣』という話を思い出します。乱歩の話は『パノラマ島奇譚』・『大暗室』も含めて、危ないものばかりですが、表題作は食事前には決してよめないような話で、はっきり言って、乱歩初心者にはあまりおすすめできません。ミステリーやスリラーにすらなっておらず、ただ犯罪者が犯行をし、それをどのように世間に見せびらかしたか、というだけの話です。しかし、この犯罪者は最後に究極の、文字通りの「芸術作品」を残します。それだけは本物だったので、人の心を打ったのです。決して是認してはならない話なのですが、この事例だけをとっても、芸術作品は狂気と紙一重なのだ、ということがよく分かります。ほかにも挙げられるのですが、今回はこの位にします。
この会田というかたはグロいものを制作したのかも知れませんが、見たくなければ『盲獣』の物語もそうですが、見なければ良いだけで、排除するのは間違っていると思います。それをあれこれ言うのは、その人たちが本心では、『バッコスの信女』のギリシャ悲劇のように、山上での女たちのディオニュソス信仰の有様を見たいにも関わらず、風紀上のいいわけをかこつけて弾圧し、封印していい子ぶりたいという、虚栄心にも似た感情なのではないのでしょうか(『バッコスの信女』についても説明しないといけないのですが、長くなるので、また気が向いたらにします)。
以上です。
なお、本日の道場、石破氏の冒頭の話もなかなか興味深かったですし、最後の高森先生の皇統政策の出遅れの話を聞いていても、少子化の問題もそうですが、どうして人は先んじて何かをすることができず、その現象が如実に顕著になってからしか対策を立てられないのだろうと、人間の限界を感じさせられました(それとも、これは日本人特有の性格なのでしょうか)。
それでは、また次回を期待します。
追記:しゃべクリ、今回は本当に何も思いつきませんでしたが、他の人の投稿をよんで、非常に参考になりました(茶魔がお金を持っているのって、当たり前なんですよね。そこから先へ進めませんでした)。
ライジングの配信、ありがとうございます。
また、私の質問にご回答いただきありがとうございました。
この質問に対してコメントをいただいたので、少し補足させていただきます。数日遅れとなってすいません。
私がこの件でまず気になったのは、「やっぱり」という言葉に対する反応が過剰に思えたことでした。
日常で「やっぱり」といいながら質問するときは、(確かに相手を挑発するときにも使いますが、)普通は、自分の本意ではないけど、時勢を踏まえ、相手が持っていそうな感覚に沿って訊くときだと思います。
「やっぱり、政治にはあまり関心無い?」みたいな感じで。
トヨタも女性を蔑む意図は無く、「女性は運転が苦手」といわれているけど実際はどうなのか意識調査をしたくて、その上で質問文に親しみを持たせるために、このような表現を選んだのではないかと思います。それで叩かれちゃ元も子も無いという話ですが、そこまで怒るようなことかなあ…と疑問を抱きました。
私自身は、AT車・軽自動車・諸々の運転補助機能が普及した現在、少なくとも日常の運転技術に男女差は無いと思っています。
女性の車に乗せてもらうこともありますが、女性だからといって不安に思うことはありません。
ですが、一昔前ですが「女性の運転って怖い?」と女性に訊かれたことがあり、「女性は運転が苦手」という偏見が社会にはあるのだと感じました。
そしてそれを明確に覆す事実も無いから、潜在的にその偏見は今も残っているのではないでしょうか。
今回の調査がうまくいけば、女性の運転に関する実態をつかめたかもしれないし、本当に苦手ならその対策を講じることもできたでしょうが、その可能性もいったん消えてしまいました。
特定個人・企業の表現を攻撃して抑圧しても、それで本当の意味で偏見を取り去ることはできないし、社会全体を委縮させることにしかならないのでおかしいのではないかと思い、質問させていただいた次第です。
とはいえ、不特定多数への質問、それも相手自身に関する質問として、誤解を生みやすい表現だったのも確かなので、トヨタももっと注意すべきだったのかもしれません。今後同じような問題に接したときに、考える参考にしたいと思います。
昨日は広い会場ぎっしりの方々にご参加いただきました。
議論の内容はさておきまして、
まずは師範方の出で立ち!?につきましてご報告させていただきます。
石破議員は、「テレビほど怖くないでしょう」と言っておられ、参加者も「表情が豊か」などと言われていましたが、なんのなんの。
横を通られたときに、ただ者ではないこわ~い雰囲気がひしひしと伝わってきました。
後ろのもくれんさんも影響されたのか、私の勘違いなのか、オーラが前回と何か違う。
我らがイケメン弁護士は今回は高森師範から突っ込まれることもなく、ビシッとしたスーツでした。
笹師範はスーツでなくシックなお召し物、
高森師範は明るい色のハンカチーフを胸ポケットに忍ばされていて、
もくれん師範は遠目からは分からない小さな模様がちりばめられたお召し物でした。
そしてよしりん先生はピシッとしたグレーのスーツにワインレット(?)のベスト、白のカッターシャツの襟元には細かなお飾りがちりばめられていて、お足元は絶対に普通の人では買えない感じの高級感あふれる靴でした。
とても私などでは表現しきれませんが、別世界にいるような出で立ちの方々を間近で見られただけでも行った甲斐があると思える道場でした。
こんにチワワ!
もくれん師匠のトンデモ見聞録を読みまして。
自分自身も芸術に対する造詣は深くなく、
「見たまんま」に解釈しようとしてしまいます。
もくれん師匠の解説で「なるほど!そういう見方があったのか!」という有様です。
ゲージュツ家の人たちが「見たまんま」ではなく作品になんらかのものを込める、というのは考えれば当たり前のことなのに。
それを訴えるとかはあり得ません。
ゲージュツ家の創造力を蔑ろにして自分の好き嫌いで、ましてや訴えたのは芸大で勉強した人なんですよね?
なにをどう学んだんだろうか?
今更ながらライジングの感想を。
今回のゴー宣を読んで、権威主義は昔に世間で
よく言われていた「いい大学を出て一流企業に
入れば将来安泰」に似てる印象を抱きました。
昔読んだ芸術の歴史を綴った学習漫画などには
「昔は芸術は迫害されてきたけど、今は広く
受け入れられている」なんて進歩主義的な
書かれ方をしてましたが、今回のトンデモ見聞録を
読んで、そんなことはないなと実感しました。