作品における性差別をチェックするテストで、
1.ふたり以上の名前のついた女性が登場するか
2.女性同士が直接会話をするか
3.その会話の内容が男性以外のことであるか
こちらが基準になっています。とても単純なテストですが、パスするのは意外に難しく、そして映画業界において重要なのだそうです。
【大きな画像や動画はこちら】
今日は、io9のチャーリー・ジェーン・アンダース記者が掘り下げたベクデルテストに関するコラムを紹介したいと思います。
ベクデルテストは、1985年にアリソン・ベクデルが描いた『Dykes to Watch Out For』というコミックから始まりました。そのコミックの中で、ふたりの女性がこのような内容を話しています。
---------------------------------------
女性1:「ねぇ、映画見ながらポップコーン食べない?」
女性2:「どうしようかなぁ。私、3つの基準を満たした映画しか見ないようにしてるんだよね。まず、女性が最低でもふたり出てくる事、その女性が会話すること、そしてその内容が男性以外ってこと。」
女性1:「その基準って厳しすぎない? 良いアイディアだと思うけど。」
女性2:「でしょ。最後に見た映画は、『エイリアン』だったわ。ふたりの女性がモンスターに付いて話すのよ。」
女性1:「そっかー。じゃあ、家に帰って一緒にポップコーン作んない?」
女性2:「それが良いわ。」
---------------------------------------
以前は、自分の名前が付いたテストや、意図せず注目を集めてしまったことに困惑していたアリソン・ベクデルでしたが、最近になって、彼女はこのアイディアによりオープンになってきていることを自身のブログに書いています。
---------------------------------------
常日頃から、私は自分の名前が付いたテストがバイラルのように広まることに何とも言えない感情を抱いていました。しかし、ここ数年、私はこの現象を受け入れるように務めているんです。最終的に、このテストを私のキャリアにすることに決めたのです。女性がモノではなく重要なものであるということを広めようと思います。
---------------------------------------
いまや、ベクデルテストはスウェーデンの映画のレーティング・システムを決める上での基準になるほど重要視されています。また、ベクデルテストをクリアしているかどうかを定めるウェブサイトなども存在します。
また、Five Thirty-Eightは、このテストをクリアしている映画の方が興行的に成功しているという記事を発表しています。ベクデルテストは、私たちが考えているよりも影響力を持っているようなのです。
しかしこのテストは、単純にパスしている、いないからと言って性差別のある映画である、ないと判断できない節がいくつかあります。
例えば、第86回アカデミー賞を総なめにした『ゼロ・グラビティ』は、女性が主役の上に興行成績的にも大成功を収めていますが、ベクデルテストに至ってはパスしていません。何故こうも多くの映画や本がベクデルテストをパスしにくいのかという原因は、もう少し深く掘り下げる必要があるようです。
【テストをパスしにくい理由】
ベクデルテストには、女性の役がどれくらい目立つべきかという明確な基準や、登場すべき女性の人数が具体的に定められていません。どのような立場であろうと、名の或る女性がふたりで男性以外の話題を口にすればいいのです。先に述べたようにファッションであろうと、自分語りであろうと、モンスターであろうと何でも良いのです。
しかし、これが視聴者が考えているよりもずっとテストのハードルを高くしています。というのも、女性キャラクターが準主役や脇役であれば、話題は必然的に主役(主に男性であることが多い)に関連することになりやすいのです。
また、多くの映画に、名前の与えられた女性キャラクターが2人以上登場はしません。名前のついた女性キャラクターはひとりの場合が多く、しかもヒーローと恋愛関係になるか相棒役、もしくは、グループの中の姫的存在であることが一般的です。
仮に名前の付いた女性キャラ複数登場したとしても、女性同士が全く話さないというのは珍しい事ではありません。それは、その女性達が男性キャラクターとの絡みの場面で使われるケースが多いからと言えます。そして、そのような使われ方をされている女性たちの主な関心事は、男性キャラクターへの何らかの精神/感情か、恋愛である場合が大半なのです。
そうなると、例え女性がふたりで会話をする場面があったとしても、その話題は、男性に関連するものにならざる終えないのです。
では反対に、男性キャラクターが女性以外の話題をするときは、どんな内容なのでしょうか? 彼らは自分の気持ちや、なにか抽象的なアイディアについて話す傾向があるようです。また、サイエンス・フィクションやファンタジーでは、最も重要なパートでもあるプロットについても頻繁に話しているようです。
ベクデルテストの元となったコミックに、「最後に見たのはエイリアン。ふたりの女性がモンスターのことを話しているから」というセリフがありますが、映画の女性キャラクター同士がモンスターについて話すというのは、かなり限られた状況だと言えるでしょう。
当然、その映画のジャンルがホラーやモンスターパニックもの、ゾンビものであれば、話題の中心が自分を攻撃してくる怪物やアンデッドであることは至極当然です。
しかし、そのようなジャンルの映画でなかった場合はどうなるのでしょうか? 仮にベクデルテストを意識して、女性同士の男性ネタ以外の会話を入れたとしても、編集段階でカットされてしまう可能性があるということは考えられないでしょうか。
映画の場合(本でもその他でも)、ストーリーのリズムや雰囲気、緊張感を維持するために、余分と思われるシーンや箇所は編集の段階でカットすることがあります。例え、ふたりの女性が自分自身について語っているシーンがあったとしても、それがストーリーに上手く組み込まれていない限り、編集段階で削るべきシーンだと判断される可能性は、決して低いとは言えないはずです。
ただ、ラッセル・T・デイヴィスの『ドクター・フー』のように、女性同士に会話させることで、キャラクターやストーリーを構築していく手法を使えば、自然な形でベクデルテストをパスさせることが出来ます。しかし、これは数週間、数シーズンに渡ってキャラクターを動かせるドラマだからこそ可能なのかもしれません。
今後、ハリウッドがベクデルテストを今よりもっと重要視し始めたら、『エイリアン』のような女性が主役のSF映画やアクション映画が量産されたり、プロットを語るのは女性という傾向が高くなるかもしれません。
また、性差別だけでなく、人種差別にも明確なテスト項目が現れ、性差別フリー、人種差別フリーのレーティング・システムも出現する可能性も否定できません。そうなると、映画やドラマ、本といったものは、単純な娯楽ではなくなってしまいます。差別フリーな作品よりも、純粋に楽しい作品を見たいものですね。
Why The Bechdel Test Is More Important Than You Realize[via io9]
(中川真知子)
関連記事
- しりとり格闘「口先番長」でマニアックしりとりすっから夜露死苦ゥ!
- A型野郎が『クラッシュ・オブ・クラン』にハマると、整理欲がハンパじゃない
- 震えるパワーを秘めた手乗りスピーカー。スマホと相性抜群のソニー『SRS-X3』