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「泣いたりしないで」
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「泣いたりしないで」

2017-01-18 07:00
  • 10

 今もこの日を忘れないのは、25歳だったあの朝と、この記憶が地続きであることを噛みしめる為でもあるのかもしれない。

 
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おはようございます。

毎年、色んな思いでこの日の朝を迎えているのだろうなと思います。あの日、あけてくる神戸の町並みを
ただただ見つめていたテレビの映像。
今でもはっきり覚えています。

学校でどんな話をしているのかと、子供達にきいたところ、中学校でも小学校でもその話がでなかったとのこと。

被災した人、被災しなかった人、それぞれですが、
あの日のことはしっかり話続けていたいし、思い出し話すことで後生に伝わっていくと思います。

深夜ラジオで、リクエストに答えて被災地に
歌を届けていたことが昨日のことのようです。
流れてくる歌を一緒に口ずさみながら
願いを込めていました。

忘れないことが大事ですね。

No.1 95ヶ月前

22年前の朝、
いつものように起きて、
TVをつけたら目に飛び込んできた
見たことのない景色、
同時に後ろから聞こえた
「関西で大きな地震があったみたいよ」
という母の声、
なぜか昨日のことのようにはっきりと覚えています。

1/16深夜の放送はタイマー録音に失敗し、状況を知らなかったので、
翌週の放送を聴き、驚いたことも。

「当たり前の日常」が奇跡であること、
自然の中で生かされていること、
それを忘れずに過ごしたいな、と毎年思います。

No.2 95ヶ月前

阪神淡路大震災から22年。
私にとって1月17日という日は福山さんのラジオとともにありました。
それと同時に小原さんが綴られる、この日の日記を読みながら
私なりに感じてきました。

その中で、神戸のあのタクシー運転手さんとの
何かに導かれるかのような出逢いがとても印象に残っていて。
毎年、この日になると、あのタクシー運転手さんの、
その後のことを気にかけておりました。

そんな中で、
今年もお元気でいらっしゃるということに
今も小原さんと繋がっていらっしゃるということに
ホッと胸をなでおろしながら。。
穏やかな朝を迎えることができました。
ありがとうございます。

そして。。
いつも思っていること。
小原さんのこの場所にくると
あぁ…つながっているなぁ…って。

いろいろなものが。
いろいろなことが。

そんな目に見えない不思議な縁。
つながりがあって
今、こうして生かされていることに感謝しながら。。

この1月17日という日を
私なりに思い考え
これからも過ごしていけたらと思います。^^

No.3 95ヶ月前

今年も1月17日が来ました。22年前、高校生だった私も今や社会人17年目のこの日を迎えました。
私は大阪でしたので、地鳴りの轟音が聴こえてすぐ上下左右に激しく揺れた、あの日の朝。地震後テレビで見た神戸の衝撃の映像。全てが未だに脳裏に焼き付いています。
社会人になり、神戸で震災に遭われた方のお話を聴いたときの衝撃。家族、親戚、婚約者、亡くした方のお話も聴きました。震災直後から反社会勢力と呼ばれる方々が、大掛かりな炊き出し、物資の支援をしてくださったとも聴きました。
震災で失ったもの、得たものいろいろ聴きました。

あれから22年。
人々は日々の生活を取り戻し新たな1ページを日々刻んでいます。
「泣いたりしないで」の最後に
「ねえ、笑って」とありますが、人々が笑顔を取り戻すことが復興への1歩でもあるのでしょうね。

No.4 95ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>1
人それぞれだと思いますが知らない世代に「何を」伝えていくかが大事ですよね。知っている世代としては。

No.5 95ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>2
あの時思い知らされた「自然の中で生かされていること」がどこまで伝え続けられているのか。経済活動を見ていると疑問に思うこともありますよね。

No.6 95ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>3
ありがとうございます。気に掛けて下さっている方がいること、いつか運転手さんに伝えられたらいいなと思いました。

No.7 95ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>4
多くの人が1年のうちの364日は笑顔を取り戻していてもやっぱりこの1日だけはという人が神戸には多いんじゃないかなと、この22年、神戸や大阪で出逢った方々の顔を思い浮かべながら書いてます。

No.8 95ヶ月前

未だに「忘れられない恋のうた」がフィクションなのかノンフィクションなのか分からない。
この本に出逢ったのが2011年4月。東日本大震災後、連日の報道に萎え無性に本が読みたくなった時だった。まさか、阪神淡路大震災が舞台とは知らなかった。時間をかけて読むつもりが一気に読み終えてしまった。その後まさか登場する女性と同姓同名の方と会うとは鳥肌がたった。
22年…早いのか遅いのか人それぞれだけど、忘れられない月曜日の朝だった。

No.9 95ヶ月前
userPhoto 小原信治(著者)

>>9
お読み頂きありがとうございます。忘れられない人ともう一度繋がる検索サイト「8251net.com」に「震災で亡くなった恋人ともう一度つながりたい」という方からのメールが届いたのは事実です。その方に届けばいいなという思いだけで書いた物語です。

No.10 95ヶ月前
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