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今、大岡昇平の『野火』を読んでみないか。作品中の台詞”この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。”
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今、大岡昇平の『野火』を読んでみないか。作品中の台詞”この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。”

2017-08-21 09:29
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A:『野火』の紹介(ウィキペヂア)

・『野火』(のび)は、大岡昇平の小説。1951年に『展望』に発表、翌年に創元社から刊行。作者のフィリピンでの戦争体験を基にする。死の直前における人間の極地を描いた、戦争文学の代表作。。

題名の「野火」とは、春の初めに野原の枯れ草を焼く火のことである。この作品にはカニバリズムが出てくる。

丸谷才一は『文章読本』(中央公論社、1977年)において、修辞技法の個々の技法を説明する際、例文をすべて本作品とシェイクスピアの諸作品に拠った。

・あらすじ

太平洋戦争末期、日本の劣勢が固まりつつある中でのフィリピン戦線が舞台である。 主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なしていた。この状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた田村は熱帯の山

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他4件のコメントを表示

>>1
「北朝鮮の核武装は米国の核使用をほのめかす脅威に対する防衛ということ」という文章にはあなたの思いからはならないのでしょうね。そうなるのであれば、私は賛同します。

北朝鮮は「米国の脅威だ」とはっきり言っていますが、そういう北の発言は信用ならないと思われるのでしょうか?

私は単純な質問で回答を得てその後いろんな方向に議論を展開する荒業を持って居ないし、そのようなひっかけを嫌う性分の男です。答えを得れば、「なるほどそうですか」で終わるのを旨とするシンプルな男です。

あなたの回答をお待ちします。

No.5 88ヶ月前

>>3
大岡昇平が松本清張を批判していたとは知りませんでした。

まあ、レイテ戦記の作者と日本の黒い霧の作者では相性は
悪いでしょうね。

No.6 88ヶ月前

でも、大岡作品のなかでは最も売れた「事件」では
松本清張の影響も感じられます。
(わたしは「事件」は大岡の作品で最も読まれる必要がないと
思うのですが)

そんなに売れたわけでないのに全集が編纂されるほど
の大作家の大岡にしてからが安部や三島ほど知られてもなく
清張が売れまくっているのを見れば心が春の海のようにおだやか
とはいかなかったのかもしれません。

No.7 88ヶ月前

>>3
主義者に違和感は確かにありますが、
それよりも自身を置く党派性に支配されるひとが
嫌いですし苦手です。

さしずめ「日本を悪く言うヤツは敵だ」と考えて
日本の犯した悪事を全部否定して回るような人です。
自分自身が信じてもいないことを、ふれて回るような人が。

こういう人は精神的奴隷です。
自分がこしらえた党派性というくびきの。

No.8 88ヶ月前

これでは政治家など尊敬できるわけありませんね。

No.9 88ヶ月前

>>9
なるほど良く分かります。因みに、大岡昇平氏は「恨」や「うらみ」や「報復」を題材に小説を書くのは良くないと批判したみたいです。辻井喬氏は両者の論争を昔テレビで説明していました。詳細の内容は忘れていますが、辻井氏は松本清張氏のサイドに在った記憶があります。

No.10 88ヶ月前

>>10
辻井なら当然松本清張を支持するはずですね。

わたしだってそうです。
俘虜記を読めば大岡がいかに戦争でひどい目にあったか
わかります。
戦争に駆り出された人が、駆り出したやつを恨まなくてどうします。
生きて帰って物分かりのいい人になってどうします。
それじゃ、死んだ人はどうなります。
物分かりのいい人になりたくともなれない人は。

ともすれば、「時間」とそれに今の「いい暮らし」というものは恨みを
忘れさせる作用があります。
努力してでも恨みを忘れないようにしてそれを語らなくては。
戦争から生還したものの、それができなかったものへの義務でしょう。

大岡は大変に優れた国宝級の大文学者です。
でもわたしは大岡が好きではありません。

No.11 88ヶ月前

>>11
なるほど、良く分かりますよ。

No.12 88ヶ月前

野火は高校二年生の夏休み、ちょうど今くらいに読んだ記憶があります。
そのときぼんやりおもったことを、今の自分の言葉で言えば、
ここに日本人の戦争イメージの原型のひとつがあった、
これと空襲被害(原爆ふくむ)、沖縄戦、それに加害性(「慰安婦」など)をあわせれば、
ほぼ全部じゃなかろうか、ですね。

のちに渥美清の「拝啓天皇陛下様」のシリーズなどを見て、戦後のある時期までは、
戦争はもっと多様なイメージで語られていたが、淘汰され消失したんだなとわかりました。

孫崎さんの引いている(自分はまったく覚えてませんでしたが)
「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺かれたらしい人達を私は理解できない」
という部分ですが、野火が発表された当時は、大岡にも読者層にも「戦争を操る少数の紳士諸君」の意味が明確だったのでしょう。

しかし今のわたしたちは、「朝夕配られて来る新聞」自体が戦争を極端に煽っていたこと、その新聞の背景にはコミンテルンのスパイがいたこと、一方ルーズベルトは日本を戦争に追い込むべく極端な経済制裁をおこなっていたことなどを知っています。とはいいつつも、結局戦争を選んだ日本の指導層が「少数の紳士諸君」なのか?

その一方でいまの北朝鮮をみていると、米の産軍複合体が悪いとか小国が生きていくためにしかたないということで妙に同情するヒトビトがいて、コマに使おうという思惑から援助する大国(ロシアのこと)もいて、なにか免責すらするような雰囲気が感じられることもあります。そうすると、当時の大日本帝国が中途半端に大国であったことが悪いのか?

謎は深まるばかりですが、まあ、謎と感じなければ、お気楽なことです。

No.13 88ヶ月前

>>13
何を言いたいのかな。随分後になってコメントして申し訳ないが、焦点が定まっていないね。日米同盟で嫌な北朝鮮をやっつけたいのかな?

No.14 88ヶ月前
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