。A-1:事実関係 朝日digital9月8日21時
首相官邸報道室は、東京新聞記者が菅義偉官房長官の記者会見で、学校法人「加計学園」の獣医学部新設の可否を検討する「大学設置・学校法人審議会」の答申をめぐって不適切な質問をしたとして、東京新聞に抗議した。記者会見での個別の質問に文書で抗議するのは異例だ。
8月25日の官房長官会見で、東京新聞記者が質問で「今回、学校の認可の保留という決定が出た」と言及。質問した時点では政府が正式に結果を公表していなかったため、官邸報道室は9月1日、「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」との書面を同社に出した。
菅氏の8日の記者会見で、他メディアの記者が、東京新聞の質問時点では各社が認可保留の見通しを報じていたと指摘し、「東京新聞記者だけが厳しく注意されるのか」と質問。菅氏は
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>>11
おっしゃることに同感です。
権力側がジャーナリズムの口を封じたいのは当たり前
といえば当たり前の話で、菅のしたことは、うちのネコが
かつおぶしの袋がバリバリと音を立てると部屋のどこで
何をしていても飛んでくるのが当たり前であるのと同じくらい
当たり前です。
問題はジャーナリズムの側です。
この行動、いや行動しないことを見る限り、彼らにはジャーナリスト
としての本能をいちじるく書いています。
菅は本能ムキだしなのに。
三省堂ウェブディクショナリーより
うそ 1 ▲嘘]
事実でないこと. (以下略)
https://www.sanseido.biz/User/Dic/Index.aspx?TWords=%u30a6%u30bd&st=0&DORDER=&DailyJJ=checkbox&DailyEJ=checkbox&DailyJE=checkbox
ほんっと、○○じゃなかろうか。いや、○○だ。
使わないと決めたので、伏せ字。
私以外、だれも、望月記者の質問を検証しようとしない。これは本当にゆゆしき事態だとおもう。
>>11
こんにちは。
「認可保留が未発表なら「正式な決定はまだですが、そういう報道もあり、その方向です」と素直に応えて、本筋の質問、設計図、建築単価の異常など、にきちんと説明。見解を述べるべきだろう。」
そのとおりです。だから、望月氏は、みずからのウソを認め、以後気をつけるといった上で、逆にそう反撃すれば何も問題はなかったのです。しかし、ウソまで含めて擁護するのは、おかしなはなしです。
基本にあるのは、新聞記者観のちがいなんでしょうね。
私の感じ方では、かの新聞記者は別に自分たちが選んだわけでもないし、東京新聞を購読しているわけでもないし、自分と関係のない女性がしつこく官房長官に食い下がっているだけ、という受け取めですね。もちろん真逆に感じている人もいるでしょう。そこで質問について、どの記者に適用されてもOKなルールというものが必要になるとおもうんですが、そうすると、私の言ってるようなことに落ち着くのではないかと。
ところで、ロジックでかなわないとみると、自分基準の勝手な感情的なレッテル貼りをして、相手を人格攻撃し、悦に入る。こういうクセを、あの人はいったい人生のどこで身につけたんだろうとおもいます。死ぬまでかわらないんでしょうが、
死ぬ前にぜひ、古代朝鮮語の発音が日本語の漢字の読みに影響を与えたという主張の証拠をだしてほしいものです。嘘つきでないならね。
もうひとつ、背景として考慮すべきは、
ウェブ視聴の発展にともない記者会見自体がニュース的価値をもつようになっている
という事実だとおもいます。
私はわりあい官房長官会見をニコニコやyoutubeでみます。そういう人は多数います。
そこで聞いた内容は後日新聞で確認しないこともおおいし、もし新聞を読んだとしても質疑のすべてについて
掲載されているわけではありません。
そういう事情のもとでは、会見自体がニュースに準じるものとして、新聞記者等質疑する者は、
まさに「国民に誤解を生じさせ」ないようにすべきという議論がなりたつとおもいます。
「しかし、設置審が開かれたのは8月9日であり、同じ日にNHKが〈実習計画などが不十分で課題があるとして、認可の判断を保留する方針が決まり、今月末に予定されていた大臣への答申は延期される見通し〉と報道。NHKのみならず新聞・テレビは一斉に同様の報道をおこなっている。この官邸の注意喚起を嬉々として伝えている産経だって、8月10日付朝刊一面で「設置審、加計獣医学部の判断保留」と報道していた。」(引用)
とあるように、望月記者質問の前に、各報道機関が”判断保留”を伝えている。いわば公知の事実に近い。この背景には政府筋や関係者からの特定おマスコミにリークした可能性が高いし、いわば、先行した情報操作のにおいも強い。
このような状況で、「決まっていない事実」と言い、官邸から東京新聞社に抗議文書まで送り付けるとは正気の沙汰ではない。いわば、難癖付けて萎縮させようとする”ワナ”としか思えない。こういうことにひるむなら、国民の眼は奪われてしまう。また、これを見逃す、ジャーナリズムは存在の価値がない。各社、猛然と抗議すべきだ。国民も怒り狂うぐらいの内容だ!この事実は、広く多くの国民に知らせないといけない。ゆゆしきことだ!!
>>18
上で書いたのですが、産経は「判断保留へ」と書いたのであって、
「判断保留」と書いたのではありません。ふたつの意味は違います。
ここを仮に意図的にリテラがごまかしてるのだとすれば、
フェイクニュースというほかありません。
それから、「秘密のリーク」というようなものではなく、「内定」というものだったようですよ。それは別に隠されていた
ものではなく、しかし、内定は決定とは違うということです。
考えて欲しいのは、
「新聞記者の報道の自由は国民の知る権利に奉仕するためにある」ということです。
したがって、報道の正確性については、新聞記者が国民に負う
職業的責任であるということになります。
ですから、望月記者は報道の正確性について、
管官房長官や官邸に責任を負うのではなく、国民に責任を
負うんですよ。←ここがものすごく大事です。
しかも、これは新聞記者の職業的責任なので、管官房長官には
肩代わりできません。中国のように記者と政府が一体ならそういう
議論もありえましょうが。
今回の望月記者の間違いそのものは実際に軽微なものなので、
彼女は【【権力側にではなく国民に対して】】「間違いでした、以後気をつけます」と軽く言って、
ふたたび権力を追い詰めるような質疑に邁進すれば良いのでは
なかったでしょうか。どうしてたったこれだけのことが彼女には
できないのか本当に不思議です。上で言ったことをまた言いますが、彼女は、間違いを認めたら死ぬ病気にでもかかっているのでしょうか。
ところでこういう記事があります。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170909-00000020-sasahi-pol&p=1
記事全体のトーンは、孫崎さんの議論に近いのですが、
そのなかで望月記者の発言として
「ただし文科省の正式発表であるかのような印象を与えたとすれば、私の落ち度といえるでしょうが……」
と言ったとあります。つまり、望月さんも、内心では自分の
落ち度がわかっているんですよ。印象を与えたとすれば、
なんて条件をつけていますが、国民全員に聞くわけにもいかないし、今回は明らかに正式発表ではなかったのだから、
間違いでしたと国民に言えば、それですんだ話です。
官邸が難癖付けて萎縮させようとする、というのは、実質的にそういう機能がないとは確かに言えません。
しかし、別になにか罰とか強制とかが課されるわけではなく(そんなもの課したらそれこそ報道の自由に対する
権力の介入で大問題)、注意喚起にすぎず、しかもその注意喚起自体正当な内容で、今回は官邸報道室のほうの理がまさるのです。理は理として認めた上で「いっそう権力に厳しく対峙します」くらいいえばいいのです。
その理を無視すると、望月記者は、あとあとまでいつまでも理を無視した記者だという汚名がついてまわると
おもうのですが。こんな小さな事実の間違いも認められないなら、大きな間違いは絶対みとめないよね、
なんておもわれかねないとおもいます。ま、私はそうおもいますね。
まーここまで書いてきて結論的に言いたいのは、
「権力とたたかっているワタシ」は、なにか間違いをおかしたときの免罪符にはならない
ということですね。孫崎さんもそういうことに気づいてくれればね。
応用範囲広いですよ。「米帝とたたかう北朝鮮が何をやってもいいとは限らない」だとか。「しばき隊はだれかれかまわずレイシストとレッテルはって攻撃していいわけじゃない」とか。