バートランド・ラッセルは1950年ノーベル平和賞を受賞した。他方アインシュタインはノーベル物理学賞を受賞している。1950年代の代表的知識人が世界の呼びかけの宣言を行っている。最重要な呼びかけは、「私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。」
安全保障を考える際、まさに今日でも考えなければならない切り口である。
「ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)」
人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るの
コメント
コメントを書く核戦力問題は米国の支配層が心を入れ替え廃絶に向かって音頭を取れば、ロシアも中国も朝鮮もイランもイスラエルも廃絶に向かって進むし、世界から核問題がなくなるのも必然となるでしょう。
米国の支配層は植民地から脱却して以降、ネイテイブの土地を暴力で略奪し、南北アメリカを手中に収め、今や世界にその支配力を水平展開しているのです。彼らの水平展開を可能にしているのは、核で他国を脅すことです。日本は核で広島、長崎を攻撃され、米国の植民地なりました。その味は米国の支配層の舌にきっちり記憶されているのです。
そのような米国の支配層ですから、核を手放すことはありません。しかも、米国と言う国には民族という概念もありません。民族の共同体としての価値も意義もありません。従って、米国民の殆どが日本の幕末に流行った「勝てば官軍」を信奉し、犯罪を犯しても逮捕されずに大金持ちになってしまえば、「泥棒男爵」と呼ばれこそすれ、軽蔑されることはないのです。そういうおめでたい米国と米国民ですから、益々、核を廃絶する大義からは米国は離れて行くのです。
そういう米国ですから、ロシア、中国、朝鮮、イランには民族の生存と主権を守るための核保有は肯定されるのです。これらの国に抑止力として核保有があればこそ、米国やイスラエルは手出しが出来なくなり、中東と東アジアとヨーロッパの平和が保たれると私は考えてます。
賢人の核に関する呼びかけは非の打ちどころがないのですが、米国の強欲な支配層が存在する限り、この地球に核無しの楽園は単なる幻想だと言えましょう。
1950年代の科学者がいうことは、自分たちが開発した原子爆弾・水素爆弾に対する反省というか、自己弁護でこのようなことを言わざるをえなかった。「覆水盆に返らず」の基本的原理を無視しているところが面白い。
65~70年後の現代科学の問題点は、直接的に人を殺害するという野蛮な事でなく間接的に人間が仕事を奪われ、人間の存在が脅かされることになり始めたことです。
最近、テレビで報道されるようになったが、AI社会の到来である。単純作業はもちろんのこと、複雑な知識が要求される職業も、さまざまな条件を入力しシステム化すれば、回答が導き出されれば、人間の仕事の多くはAI・ロボットに奪われていくのでしょう。
人口減少社会で、他国から人材を受け入れ始めたが、現在の一時的人手不足が、そろそろ人余り現象が出始め、採用人員を絞り始めた企業が出始めた。このような時代背景を見ていくと、戦争・テロ・原発が怖いのでなく、AI・ロボットに仕事を奪われ仕事がなくなっていく現実的対処の方が重要になっている。また、この問題は政治家だけでなく、個々人が考えていかなければならない。
基本的に見つめなければならないことは、自分はなぜ生きているのか、生きている間何をしなければならないかという「生死」を見つめることです。教育が必要であるし、宗教も必要になってくるのではないか。政治は後追い後追いになるが、生活保障するベイシックインカムなども議論もどころか場所を決めて試していかなければならないでしょう。
イデオロギー色の強い反対反対もいいけれども、生きるということに視点を置いた前向きな建設的議論が必要な時代になっている。
>>2
米国が戦略核兵器の更なる開発を目指し大幅な予算を計上し、片や、米国の言うことを聞かない国、イランや朝鮮に対して核兵器の使用をも臭わし脅しを掛けているのですが、そのへんの危険な現象が目の前で展開されているのが貴殿には見えないですか?
何かと言うと、イデオロギー色の強い反対とぼかした言い方、変ですよ。CHANGEさん。
何だか、ネトウヨみたいですね。