A-1 事実関係 ニューヨーク・タイムズ紙「“黒人の命は重要”(運動)は米国歴史で最大の運動(Black Lives Matter May Be the Largest Movement in U.S. History)7月3日
・“黒人の命は重要”抗議は6月6日に頂点に達し、米国国内550か所で50万の人が参加した。抗議は今日も継続している。
・4つの世論調査で、150万人から260万人がデモに参加している。これらの数字は米国歴史の中で最大の運動となっている。
世論調査実施期間 抗議参加者(%) 推定人数(万) 世論調査期間
Kaiser Family Foundation 10% 2600 June 8-14
Civis Analytics 9% 2300 June 12-22
N.O.R.C.
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米国は自由主義競争社会とみている。中国も同じように強権的競争社会とみている。
米国は、人種問題と格差問題で揺れているが、トップの発想・言動は強権的である。
中国は、ウイグルなど人種問題があり、香港・台湾は制度の問題で揺れており、発想・言動は強権的である。
中国は、領土・領海問題で、南アジア、日本などに批判され、インドとは紛争がかなり発展し、中国品排除の動きが出ており、収束の兆しが見えない。
中国の問題は米国の問題である。どちらも人種問題と貧困問題が置き去りにされる強権主義が政治を主導していることである。米国は、選挙でトランプの強権主義の是非が問われることになるが、現在はバイデンが9%ぐらい支持が多いようである。中国は、李克強首相と路線対立しているようであるが、ロシアが憲法改正によってプーチンが2036年まで大統領ができる環境整備した。
中国・ロシアのトップが死ぬまでトップを続けられるように制度変更しており、黒人人種問題の帰趨は米国の盛衰の分かれ道になるのでしょう。だからといって、中国・ロシアが優位に立つというわけでなく人民の声なき声が湧き上がってくれば、現在のトップが安泰とは言えない。国際社会の反発も大きくなっていくのでしょう。
AI・ロボットと人種・格差貧困におかれている人間との共存をどのように図っていくかという議論が米国、中国の壁を乗り越えて議論されていかなければならないのではないか。
MATTERとは言い得て妙。
LONGMANを引くとTO BE IMPORTANT、ESPECIALLY、TO BE IMPORTANT TO YOU PERSONALLYとある。
私みたいな三流の英語使いにはIT DOESN’T MATTER.はよく聞く機会はあるが、肯定して使っている例は今回が初めて。そして、このデモに白人が多く参加しているのに一瞬奇異に見えるが、次のような背景を考慮すれば、納得が行く。
米国は人種の坩堝と言われる。確かにそうだ。白人、黒人、ラテンの三種類。人種間の不信はなかなか解けない。そもそも北米に移住を開始したのは白人。白人に二種類あって、タウンシップという新しい理想郷を目指し、自ら働き村や町を築いて行くものと、広大な土地を確保し、奴隷労働を使い、農園経営や鉱山経営するものである。勿論、この奴隷労働を担ったのが黒人とラテンだ。米国の支配層は奴隷労働を使って代々蓄積した本源的剰余に基礎を置いている。この支配層にとっては黒人やラテンは実質的には今も奴隷だ。エッセンシャル ワーカーとか呼ばれてもいるが、社会的には実質奴隷と呼ばれても仕方ない状態と言えよう。エッセンシャル ワーカーは換言すれば白人(支配層に属してなくとも多くはその自意識がある)にはMATTERである。
米国の市民の構造は血統の切り口で言えば深刻。白人は支配層と支配層に近いと自意識するもので構成され、日本の支配層意識濃厚の自民党系と同様にSTUPIDになっている。米国の有名な映画監督であるマイケル ムーアは米国の黒人暴動が昔から繰り返され全く解決されないのは白人がSTUPIDだからだと断言している。トランプはそのチャンピオンだ。彼は白人、ラテン、黒人が今後長い年月をかけて混血が進み、肌が茶色になるまで人種問題解決に到達しないと言っている。
背景は以上の通りだが、コロナが米国の貧困を抜き差しならぬものにしたら、米国支配層が、私は何度も言うが、中国に戦争を仕掛ける可能性は否定出来ない。中国政府に望むのはそのような米国の爆弾の芯を抜くことにベストを尽くしてもらいたい。「米国がSTUPIDだ」ということを念頭に米国との粘り強いnegotiationに従事して貰いたい。
>>2
米国、中国の壁を乗り越えて議論する主体は誰でしょう?教えて下さい。米国、中国の壁という表現には文学的な示唆に富んでます。主体は国連でしょうか?強面のプーチンさんでしょうか?それとも他に?
black lives materは多くのものを明るみにだした。
米国は「人権」についてとても他国を非難できるような国では
ないこと。
「中国」の人権問題に熱心な人は足元の自国の人権問題には
全く関心ないか、それならいいほうで自国の人権蹂躙に熱心な人であること。
トランプの「銃撃が待っている」発言は保守の、「人権には国境がある」
というご都合主義的人権感覚をあらわにした。
BLM運動でで一番がっかりなのは香港の民主派デモ隊かな。
わたしは救う会の人たちが、拉致被害者のために米国を頼りに
してしばしば訪問して米国の大統領にものを頼むとき、グァンタ
ナモにも実は米軍に拉致されたひとでいっぱいなのは救う会の
ひとたちの頭の中でどう整理されているのかとよく思ったものだ。
> 黒人の命は重要(Black Lives Matter)運動は当初当然ながら黒人の動きであったが、今それを越え、様々な人種が参加している。
'50-60年代に活躍したジャズの巨人、チャールズ・ミンガスやセロニアス・モンクの自伝、評伝にも謂れない黒人差別の描写が度々出てきたと思う。
ポーランドが社会主義真っ只中の時代、最大の敵国である米国の音楽を生業にする者として、彼の地のジャズマン、クシシュトフ・コメダは当局etc.にバッシングされるも、ジャズは黒人の悲鳴であり、彼らの米国に対する抵抗の音楽なのだと怯まず当局らを説得した━とのエピソードもある。
モハメッド・アリが米国の酷い黒人差別と闘い続けたことも良く知られている。
そして今尚 米国の黒人差別は「昔ばなし」どころか、場合によっては よりエスカレートしているのでないか。
しかし、問題の本質は「米国の黒人差別」に留まらない-
「チャーチル、コロンブスとレオポルド、倒れる」(マスコミに載らない海外記事 2020.06.21)
“ベルギーのレオポルド国王像は汚され、撤去さえされた。レオポルドは個人的封建領地として、コンゴ自由国を所有しており、ゴム農園で働くよう強いた約1500万人の人々を殺したのだ。殺人や四肢切断の残酷さは、20年以上の恐怖統治後に暴露された...一人(ヒトラー)の犯罪は広く知られているのに、もう一人は、その犯罪が消し去られたため非難から逃れている。「レオポルド国王は、ゴム農園で働くよう強いた約1500万人の人々を殺害した。」
同じことがウィンストン・チャーチルにも言える...第一次世界大戦後、彼はイギリス支配に反抗するイラク人を毒ガスで殺すよう主張した。「未開の種族に対して毒ガスを使用するのに私は大賛成だ。」...チャーチルは、彼のインド人犠牲者は「うさぎのように繁殖する」と言った。
クリストファー・コロンブスも暴露されている連中の一員だ...南米の一角からアラスカに至るまでの先住民に対し、病気と血まみれの征服をしたのだ。この大量虐殺は、北米や南米中で、アフリカ人を奴隷として苦しめた太西洋横断奴隷貿易の前兆だった...コロンブス像が倒れれば、白人の権利や特権の一部も倒れるかもしれない。大量虐殺の記念碑は取り壊されなくてはならない。世界中で行われている人種差別の核心を攻撃しようと望む誰にとっても、エリートにもたらされる不快は重要ではない。”
このような論には、「オスマン帝国も酷かった」、「戦時中の日本も同罪だ」、等々が必ず出てくるが、「だから現代の人種差別には目を瞑れ」は全くナンセンスだ。
孫崎さんのタイトルに「活動家がソーシャル・メディアで呼びかけ、これに呼応」とある。
このようにネットを活用した抗議運動の嚆矢は、いわゆるチュニジア革命( ジャスミン革命)やエジプト革命だったとおもうが、その後もさまざまな国々にひろがり、ウクライナ紛争もその一環だ。
どの運動でも参加者にはさまざまな思惑や背景があるとおもわれるが、ある種のヒトビトによってよく強調されるのが「新自由主義者による工作」という見方だ。なるほど、そう考えるのには一理あるだろう。
ならばひるがえって、米国における「いま現在の」Black Lives Matter運動も、だれによるどういう工作なのかと考えるのも一理あるだろう。もともとBlack Lives Matter運動は2013年からある運動であり、その前史には黒人の権利運動がある。しかしそういう意味ならチュニジアでもエジプトでもウクライナでも同じような前史があるのであり、「いま現在の」Black Lives Matter運動をそういう文脈だけでとらえるのは(仕掛け人がだれかと考えないのは)、見誤りがあるかもしれないとは言っていいだろう。孫崎さんも「 今それを越え、様々な人種が参加している」と書くように、「いま現在の」Black Lives Matter運動は、もともとの黒人の権利運動からは変質しているのだ。
では、仮にその考察に沿って考えるとして、だれによる何のための工作なのだろうか。何のためというのは、トランプ落選運動としてよいとおもわれる。バイデンがいいかどうかはともかく、トランプが邪魔なのであろう。
ところで、現代世界の基本になっているのは、西欧近代の編み出した政治体系であるが、その基本には、まず「権利」がある。たとえばBlack Lives Matter運動では、黒人は黒人の権利を主張する。非黒人の権利は、極端にいえば知ったことではない。皆がそうすれば、結局は調和するのだとか、もっといえば、そうするのが義務だ(たとえばイェーリング「権利のための闘争」)とすら考える。
もちろんそれだけではうまくいかないので、政治哲学レベルではさまざまな正義論が語られる。「権利」が日本人にはなんとなく身の丈にあわない服のような感じが(明治以来だいぶたつのにまだ)するのに対して、正義論のほうは、仏教的な背景と適合するのか、日本人にも受け入れられやすいし、日本人もある種の正義論を語る(たとえば宮沢賢治「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」)。そしてある種の日本人は反米以外の正義論を語らないし、中国は、多くの日本人にはわかりにくい正義論しか語らない。
アメリカでは、デモに参加した若者が企業の採用で差別を受けない司法システムになっている。デモ参加者が差別を受けたと訴えたならば、差別していないと証明するのは企業の責任となり、それを判断するのは一般の陪審員であって懲罰的な賠償金が科せられる場合がある。
翻って日本を見ると、裁判員制度は凶悪犯罪に対してだけ適用され、企業訴訟や行政訴訟に対する適用はマスコミの話題になったこともない状況です。日本を、若者が自由にデモして自分の意見を表現できる社会にするためにどうすれば良いのか考える必要があると思われます。
>>2
回答するのを躊躇していたのですが、
AIを開発した人間は人間の代わりを作ったのであり、米国・中国を超えるということは、自然淘汰の原則に立ち返って、生命の論理に立ち返ることです。立ち返ることができなければ、人間をウイルスが淘汰するという挑戦でしょう。このウイルスの哲学的挑戦にどのように挑むか、人間の英知が求められているともいえる。免疫低下の人間の生命を医学が延ばすことは良いことか悪いことかの論理が語られてもいいのではないか。
これまで、感染症と戦いは、ウイルスを人間が取り込み人間の一部の働きにしてきた生命の歴史を考えていくとき、日本においても戦後医学の進歩によって50台の命を80台まで伸ばしています。
現在まではっきりしていることは、今回のウイルスは,免疫が極端に低下した高齢化した人の命をみ伸ばすことに対して「NO」と明確に宣言し人間い戦いを挑んでいるとみているのです。
人間はウイルスの新たな挑戦に対抗する治療薬・ワクチンを持ち合わていません。
人間、特に高齢者(免疫のを弱い人)は、免疫が弱いことを自覚して外出を控えるしかないのでしょう。