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中國との関係でNHKと日本の主要新聞の何を伝えたいかの傾向について私は出来るだけ丹念にフォローすることを日課にしています。何故なら、戦前の経験から言って、戦争に国民を動員するには全国画一的な宣伝が不可欠だからです。
現在、SNSの出現で新聞の発行部数が減ってきたとはいえ、我が日本の宗主国たる米国からニューヨークタイムスやワシントンポスト、ウオールストリートジャーナル等の権威をまざまざと日々見せつけられていると、その影響力は無視出来ないなとつくずく思うのです。
一年前、トランプがバイデンの不正選挙をツイーッターで糾弾しアリゾナやペンシルバニア州無効に基づき副大統領ペンスにトランプ勝利の宣言をさせようとしたが、味方であるべきフォックスニュースが認めてくれなかったので、トランプは泣く泣くホワイトハウスから出ざるを得ませんでした。
新聞の販売部数が減少したとは言え、依然、隆々たる力を持ち、独裁者自民党も新聞をないがしろには扱えないと私は考えてます。
>>2
でそこから貴殿は何を捉えているのですか?
私、知りたいな。CHANGEさん。
いやはや、なんといういうタイミングだろう。
ほんの少し前に我が家に読売の拡販員がた来たばかり。
読売の拡販員といえば30年かそこら前はうるさいくらいにやってきて
どこの家庭もおなじみだったはずだが、部数トップの座を確立した頃から
めっきり姿を見せなかったのに。
久しぶりに顔を見た。
とにかく腰が低い。
昔はもっと柄が悪かった。
盛んに泣き落としをかけてくる。
このままじゃ読売は潰れるかもしれない...
わたしは紙媒体の新聞はとても価値があると考えているので
読売や産経といえども潰れて欲しいとは思わない。
わたしは応援していた野球チームが日本シリーズで完全試合を
しそうな投手を降板させた監督に腹を立て、この監督の在任中は
ファンをやめると決意した。
ところがそ翌日球団オーナーがその監督采配を激賞していたので
激怒してその経営する新聞の購読をやめることにして、物心ついて
から続いていた野球チームのファンと購読新聞と縁を切った。
それが今でも続いているので新聞は他紙を購読するしかない。
以来いろいろな新聞を読んだがどれも一長一短で代わり映えしない。
新聞はやはり地元紙がよい。
今は朝日だが、拡材につられてのこと。
今回、読売はそれを上回る拡材を用意してきたのでそちらにする。
朝日なんて、右は親の仇のようにいうがその程度のもの。
久しぶりの読売だなあ。
蛇足だが、中日はどれだけ拡材を持ってきてもダメ。
あの時の恨みはそれほど深い。
望月記者にお願いしますとでも言われりゃ、そりゃ...
> ニュースはネットで受領する...短絡的な情報となる。社会は危うさを増大していく。
社会はその方向で進んでいるが、新聞がダメになったこともその一因なのか、そんな社会になったから新聞がダメになったのか。両方でないか。手間の掛かる日本の伝統的家庭料理が廃れ、ファースト ジャンクフードが席巻している現況と同様だ。ジャンクフード中毒になれば、健康でなくなるばかりか、尚もジャンクフードを欲するようになる。手間の掛かる良質料理は益々消滅し、社会はジャンクフードと不健康な人間で溢れ返る次第。国のあるべき姿をロクに考えない政治が招いた当然の結果だ。つまりは、日本の民度がその程度という話である。岩波ホールの閉館もその延長線上にある。先日「デジタル馬鹿」の著者、ミシェル・デミュルジェ氏が「子供達への教育のデジタル化」について曰く、「『デジタル化』自体に異論はない。問題は その実態だ。子供達は あてがわれたデジタル端末をどう利用しているか。大半はゲーム、娯楽動画、通販に費やしている。本来の目的、プログラミング、IT等のデジタル技術習得に割かれる時間は殆ど無い。現場の多くの教師達も同様に危惧していることだ」━ことに日本では、バブル期にイージーマネーを謳歌し、その後も勝ち組に残り続けた者達が、今日日 社会のあらゆる分野で実権を握っているため、この甘ったれスカタン脳による刹那的視点で物事が全て決まってしまう。全くどうしようもない連中である。
もうひとつ、書きもらしたことを。
わたしが長年購読した中日新聞の購読をやめたのは、
オーナーが大噴飯ものの監督采配を激賞したからだと書いたが
よく思い返してみるとそうではない。
多分オーナーは物議をかもす問題采配をした監督を、オーナーとして
守ってやらねばという意図の発言だったと思う。
わたしの周辺のファンは0監督の采配を非難する人で満ちていた。
オーナーのように擁護する人など一人もいなかった。
ところがだ、中日新聞はそんな圧倒的なファンの声を無視する
紙面作りをした。
0監督のあの采配をどう思うか、
賛成する声ばかりを集めた紙面を作った。
情けない奴らめ、そんなにオーナーの意向に反するのが
こわいか。
恥を知れ。
中日新聞の記者に対してそう思い、読みなれた新聞と決別した。
皆さん、「大阪府(維新)」と「読売新聞」の「包括連携協定」について、問題にしないのだろう?
「読売」が「維新」の広報紙になり下がったという、衝撃的な話なのに!
>>9
この問題は、地方自治体と新聞社だけでなく、地方自治体と企業の問題でもある。現実的にいくつかの例が出ている。大阪の問題だけではない。根本的に考えなければならない課題です。
この連携が出てきた必然性は、①大規模な自然災害の頻発、②少子高齢化、③新しい行政サービスニーズが高まり、限られた行政機関の人材では対処できなくなっている。
根本的には自治体任せでなく、国家として考えていかなければならない。これからは特に地方の時代であり、民間企業に頼られても収益性が低くなかなか協力が得られないから国の支援が欠かせないのでしょう。
「新聞」問題というよりは、「新聞社」問題なのだろうとおもっている。購読者数減により新聞社にはいる広告収入が減少し(購読料減よりもそっちの影響が大きいとおもわれる)、以前ほど各「新聞社」が言論や政治にハバをきかせることができなくなった。そこにアセりを感じているヒトビトがいるのだろうと見受ける。
なおかつ、孫崎さんが「高度経済成長以前の水準にまで落ち込むのも時間の問題」と明記していることからわかるように、いまだ高度経済成長以前の水準にまでは落ち込んではいないのだ。いつだったかこれを知ったとき、わたしはこの問題をそれ以前ほどマジメに考えるのがバカバカしくなった。高度経済成長以前でも、各新聞社は経営できていたではないか。そのころの初心にもどって誠実な取材をしろとおもう。
朝日新聞などは政治にクチをだせると増長しきった結果、慰安婦問題の嘘報道をしたのではないのか。
孫崎さんは「ニュースはネットで受領する。その際選択は読者の嗜好が一段と強くなる。かつ短絡的な情報となる」と書いているが、とくに実証データは出していない。トランプ現象の例にしても、そう思うというだけのことだ。実際は双方向の利点をいかして熱心な討論がおこなわれている例もあるし、手軽に発信できる利点をいかして職業的な記者でない人々がニュースやニュース解説を発信して人々に喜ばれている例が多くみられる。ニュースを「新聞社」の記者が取材して一方的に「角度をつけて報道」(朝日新聞の内部用語と聞いた)していた時代に比べて、よほど健全だとおもう。
なにより、「新聞社」の報道は、ひとびとを賢くしたのだろうか?
「新聞社」のバブルが高度経済成長にともなってはじまったのだとすると、池田内閣は1960年からなので、ものごころついてからの人生全部を、その最後まで、ほぼ「新聞社」の報道を読んですごすことになったヒトビトもいることだろう。彼は賢いだろうか?それとも、某「新聞社」の記者のように、視点において偏狭、態度において横柄だろうか。
わたしの予想では、このスレッドの次のスレッドで、その答えがわかるような気がする 笑