5月3日朝日は下記の通り報じている。
「安倍首相が、現在の憲法の中でも、とりわけ変えるべきだと強くこだわる のは前文と9条だ。
憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたう。首相は昨年4月の参院予算委で、自民党議員から「戦後レジームからの脱却」の意味を問われ、前文の内容をこう批判した。「自分たちの国民の安全、命を他国の人たちの善意に委ねていいか、このこと自体を疑問に思わない方がおかしい」
この台詞は、あたかも、平和的手段では自分の国を守れず、常に隙をついて武力行使があるような印象を与えるが、第2次大戦以降の国際政治の実態はこのような状況から大きく変わっている。
第二次世界大戦での人的、経済的被害と、核兵器の開発で国際社会はこれまでと、大きく変化した。
国連憲章は第二条で「すべての加盟国は、その国際紛争を平
コメント
コメントを書く安倍総理の内面を覗き見ることはできないので、当然の事ながら、今までの言葉と行動で判断するしかありません。
安倍総理の頭の中は、戦前にアジア諸国を侵略していった強い日本のイメージが頭に植え付けられているのでしょう。実経験なき漫画の世界で、強い日本を前提にして物事を見て考えるから、時代に逆行というより、柔軟性の欠けた硬直化したものの見方しかできないといえます。誰が考えても、これからの時代は、この太平洋を挟んで、米国と中国の均衡状態の中で外交交渉が行われると考えるのが、常識的見方なのですが、安倍総理にとっては、均衡が保たれては、日本が戦前の強い日本を復活できないと、強い危機感を抱いているとしか見えません。強い日本復活の意図なくしては、中国韓国だけでなく国際社会が反対していることがわかっていながら、あえて靖国参拝することはあり得ない。また、尖閣棚上げを継続否定することはあり得ないのです。一番厄介なことは、安倍総理だけでなく、国会議員の多くの人が同調していることです。国民の80%近くが反対しているのに、野党が特定秘密保護法に賛成したように、日本の存在感を高めようとする議員が多いことです。国際情勢、日本の敗戦国としての立場を考えて行動し、本来の外交につながれば問題ないのですが、今までの歴史的事実を直視しないで、日本独自の道を歩もうとしても、挫折することがわからないようであり、体験するしかないのでしょうか。まことに残念ですが、いつか来た道をたどる幼稚性がいつまでも抜けられません。
3日の朝日新聞「憲法を考える」によると、安倍首相が憲法を変えようと、とりわけ強くこだわるのは9条と前文だという。9条は「戦争のできる国」にするためというのは言うまでもないが、前文を変えたい理由が間違っている。
憲法前文の2項目には、「日本国民は恒久の平和を念願し」に続けて「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてある。「平和を愛する諸国民」では、北朝鮮国民も入ってしまう。そんなバカな話があるかと語っていたという。北朝鮮のリーダーについては議論があろうが、一般国民が平和を求めない理由はないだろう。
「戦後レジームからの脱却」をうたう首相が「集団的自衛」と称して、最大の戦後レジームである対米従属を強化し、自衛隊員という日本の若者の命を、人質として米軍に差し出そうとしている。
国民の命や財産を本気で守るのなら、軍事力だけではなく、他国との友好関係を強化したり、自然災害に備えることも大切ではないだろうか。
孫崎先生のご見解に賛同します。
国対国の戦争はあり得ないわけですから、国の全損リスクはない代わりに安倍政権がもたらすものは99%のHAVEーNOTSと1%のHAVESに日本国民が2分されるということでしょう。
国会議員は誰一人として将来の日本国の生き方に関するビジョンを語らなくて久しいです。特に最近はその傾向が顕著です。思うに、国会議員たちが安倍氏が大量に印刷する日銀券に殺到しているからでしょう。その形相はデパートのバーゲンに群がる主婦の顔と同じです。国会議員たちが目指すものはあの明治維新で生まれた三井、岩崎、安田もどき平成生まれの財閥なんでしょう。
戦後の日本の資本主義には人格というか人間臭さがないと友人の中国人が指摘しました。彼は日本が中国みたいだと感じていたのです。つまり、米国のロックフェラーや英国のロスチャイルドが日本にも中国にもいないといった程度の認識に基づく指摘ですけど。1945年、マッカーサーがやってきて、まず日本の財閥をさっさと解体しました。天皇制や軍や官僚制はちゃんと残して磨きまでかけて使った。安倍氏は「取り戻す」と言ったが、その対象に新しい財閥も入っていることは間違いないでしょう。印刷された日銀券で生まれ出てくる平成財閥はケバケバした薄っぺらなものになるのでしょう。ロスチャイルドやロックフェラーは長い長い歴史の修羅から生まれたものなんです。
今の日本はこの程度の国なんです。しかし、我々はあきらめちゃいかん。リベラルフロントを作り直し、行動するしかありません。
軍隊で自国を守るなんて状態にはないということに日本政府は気がつくべきだ。日本は20世紀の拡張路線の失敗の結果、米英のような強力な信頼関係をどの国とも持っていないし、Judeo-Christianityや、イスラム教などの共通宗教を通じてのある程度の理解を保つ関係をもどの国とも持たず、中国、韓国のような近隣諸国には恨まれ、憎まれっぱなし、ロシアには経済の取引以外には取りつく島もなし、と言った状態では、ハリネズミのように軍備をしまくっても、心が休まることは無いし、絶対安全とは言えないだろう。韓国と北朝鮮はいずれ統一され、その暁には充分な原爆保有国となるだろう。日本は米国に従って自衛隊をこれ以上増強せず、自分からは決して手を出すことなく、様子を見るしかない。憲法を改正したり、米国が要求しないのにお先走りをして集団自衛権の実施を測るなんてことは絶対にすべきではない。もし阿部などがそんなことを考えているとすれば、あきれるしかない。その様なプランが実施される前に早く死のう。
毎日のブロマガありがとうございます。新緑は目に美しく、吹く風は肌に心地よい一日でした(関西)。
確かに今となっては鳩山政権は懐かしいですね。もう一度風が吹くことを期待して、starting overとはいかないでしょうかね。ロスチャイルドやロックフェラーといえばまるで陰謀論ですが、陰謀論も何も現実の財閥ですよね。そして年季のはいった財閥。それなりの格調があるのかないのか知りませんが、簡単には崩れない城に住んでいるということですよね。でもどんな物語にも始まりと終わりがあって、永遠に一つの原理が永久機関のように回り続けることはないはずです。我々庶民ができることは、大きな流れに埋没して生きるのではなく、小さな日常ん中でも自分なりの価値観を尊重して生きることだと思います。できることを少しづつ努力したり、愛する人を大切に思ったり、逆風のときは耐えしのぎ、追い風のときは心を解き放して風に導いてもらう。時は流れましたが、そういう日常は続いていくのだと思います。
安倍政権が流れに逆らっているのなら、自爆しているんでしょう。世論に後押しされているのならもうしばらくは阿倍野店かは続くのかもしれません。でもアベノミクスも安倍という人物も10年もつとは思えません。多分、この10年で時代は大きく動いていくのでしょうね。客観からどんな姿に見えても構いません。でもあきらめずにがんばりましょう。
むかし、米国にカール・セーガンという天文物理学者がおりました。
彼の書いたCOSMOSという著作に好戦的なタカ派を批判する文が
あり、わたしの記憶ではこんなふうでした。
「かれらはいつでも特定のある国のひとびとが恐竜の遺伝子を
持っているかのごとく宣伝する」
それはおまえ自身のことだろ、といってやりたいところです。