今日、通夜に出かけた。
霊前には、「戦略的思考とは何か」が置いてあった。1983年に作品である。
自分の人生の華を「戦略的思考とは何か」と見ていたのであろう。
岡崎氏には思索家としての面と、官僚の面がある。後者は、中国の古典にのっとり、「三顧の礼」を持って迎えられるのを理想とした。多分安倍首相との関係がそれであろう。
通夜の席上でいろいろ振り返った。
振り返れば振り返るほど、実は世話になった。
奥様にご挨拶した。主人は「天才坊や」と大事にしていましたよと懐かしんでくれた。奥様との面識はあまりない。
本当にお世話になったのだ。
私が外務省と縁が消えた頃も心配してくれていた。
防衛省退官する時、当然、外務省は退職後のポストを用意しなかった。それだけではなくて、一流企業に外務省外の人が顧問の世話をして社長までOKであ
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読んでいて涙が出ました。
私は社会に出てこれまでそんな上司に出会ったことはありません。
それも普通だと思っています。
孫崎さんと岡崎さんの思想の違いは第三者としてわかりすぎるほどですが、それでもそんな結びつきがある。
私の世代では、また現在の日本ではほぼあり得ない関係です。
すばらしいレクイエム。思想上の大きな違いはそれとして、人間関係の絆が見えてきます。一水会の鈴木邦夫さんとの共著といい、立体的に考え生きた思想でものごとを捉えることこそ、人としてももっとも大事な在り方だと感動しております。
最近は岩上氏と青山のスタジオに来られる事がなくなりましたが、いつもTwitterやメルマガは読ませて頂いております。Facebookもやっておりますのでときどき転載させていただいてもおります。断りもなく失礼しております。こんど11月6日の八木啓代さんの集まりには参加させていただく予定でおります。ますますのご活躍期待しております。初沢克利
本来独立国の外務省であれば、世界各地の情報を集め、日本外交方針を決めていくのが当たり前のあり方である。残念ながら、独立国と言っても、特別な治外法権を持った米国基地が全国に点在しており、日本の政治が米国と敵対する国々との友好関係を結ぶことに目を光らせています。世界的なスケールで戦略的思考のできる孫崎さんたちのような外交官は、世界各地から、様々な情報を報告しても東京は握りつぶしてしまう、左遷させる、体よく外部に移籍させてしまう、解雇してしまうなど様々な人材をつぶしてしまう体制にあるのでしょう。皆これではいけないとわかっていながら、反旗を翻すことができない。岡崎さんは、日本の進むべき道が米国に従属するといういき方には必ずしも満足していたわけではなかったのでしょう。一面では、自由に発言される孫崎さんを羨ましがっていたとも思えます。
どうやら孫崎さんと岡崎氏とは俗に言う腐れ縁のようで、マスコミで晩年の発言を見聞きしていただけの私のような読者がとやかく言ったところで始まらないのだろうとの感を強めます。そうは言っても、
> 私も、岡崎氏も主張が180度違う
その主張というのが日本の在り様を大きく左右する問題に関してですから、つい何かひとこと言いたくなる次第です。
恐らく恩返しの一つとして岡崎氏の知られざる一面を紹介されたのだ-と読みました。
しかし、岡崎氏の方も主張が水と油となった孫崎さんを潰すどころか助け舟を出すというのは、これは国同士でもあり得る話ではないかと思いました。それだけの外交努力があれば。
『大事にしていましたよ』
お二人のやりとりと、過ぎた時間を思い涙がでました
お話につまされました。
とりわけ、奥様にご挨拶されたとき「主人は天才坊やと大事にしていましたよ。というくだり。
私事で申し訳ないですが、同じような状況で「主人は家では貴方のことばかり話していました。主人は貴方のことをとても好きだったんですよ」と亡くなった上司の奥さんから言われたことを思い出しました。葬儀の帰路、「信じられない」というのが私のつぶやきでした。
なるほどね。
亡くなった有名な漫才師が取り巻きによく語ったそうだ。
「やくざでもかめへん」「おれにだけよくしてくれたら
それでええ、よそでどんな悪いことしてたかてかめへん」
「おれにとってはいいひとや」
自分にいい思いをさせてくれた人にはみなさん弱いんだなあ。
孫崎さん
あなたが陽の当たる場所から遠ざからざるを得なくなっても
守り抜いたあなたの信念を岡崎久彦のそれと相対化しては
いけません。
主張が180度ちがうなどと表現するのはどうでしょう。
やくざと警官の主張だって90度くらいはちがうでしょう。
あなたの主張はその人間にそなわる誠実さ、善良さから
くるものです。
岡崎久彦のそれはそうではない。
岡崎にとってときにあなたがまぶしかったのではないでしょうか。