英国「インデペンデント」紙の読書のすすめの引用。
その中に、“全ての読書家は指導者ではない。しかし、全ての指導者は読書家だ”がある。
考えてみれば、日本にもその伝統はあった。
本読まない首相が出てきたのはいつからだろう。森喜朗(2000年)?、小泉純一郎(2001年年)?、安倍晋三(2006年)、麻生太郎(2008年)
12 quotes that explain why we should all be reading more
1:読書位安い娯楽はない(No entertainment is so cheap as reading, nor any pleasur
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
読書は何か?というと、ほとんどの人がまごついてしまう。殆どの人が、学校で得られるような知識を得ることが読書と考えているのではないか。知識など、時、場所、体制が変われば、得ている知識が間違いとなって、その社会では通用しなくなってしまう。特に、表面的に理解するには手っ取り早い漫画などは、一人の作者が描いた世界に過ぎないが、多くの人が同調し、書店コーナーがどんどん広がっている。この現象は、一人の人が声高く叫ぶと、皆がぞゾロゾロ従う世界である。何も考えることなく漫画の世界に浸るように、一人の独裁者にのめり込んでいくようなものです。恐ろしいことです。
本来、読書は、知恵を養うことであり、科学する心を養うことであり、無限の可能性を秘める心を追求し、新しい見方考え方に目覚めることである。知識だけの読書では、己の見方考え方を強化するには役立つかもしれないが、過去を乗り越え新しい時代を求めることはない。どうしても、保守的であり、既得権益者の権益を強化する方向にしか進まない。本来の読書をすれば、生きている皆が同じように平和で豊かな生活する方向に進まなければことが理解できるのであるが、ご指摘の総理のように読書しないと、漫画などでわかりやすい過去の焼き直し、ナチス的独裁体制の強化でしかなくなってしまう。人類が退化の方向に進むことでもある。
日本では米国という不条理に自発的隷従を志願するのであれば、読書は邪魔なんだと思います。お蔭で、森さん、小泉さん、安倍さん、麻生さん、皆さん、とっても幸せそうに見えるじゃないですか。
米国の指導者も軍、イスラエル、お金だけに自発的に隷従するかぎり、指導者自体の安全保障は確保されるようですね。なまじっか、本なんか読むと失脚するリスクが大になるのでしょう。ジョン・ケネデイやロバート・ケネデイみたいにはなりたくないですよね。最近のオバマさんの顔からそれが伺えます。鬱陶しい国際政治の場で安倍さん一人が幸せそう。どうなってんでしょう。
前にも一度書かせていただいたけど、是非もう一度言わせてください。
「日本国憲法」を変えることを自分の使命のように考えて、声高に改憲を叫び国民を扇動している安倍氏。
その彼が、わが国の現代憲法学研究の最高権威者ともいうべき、故芦部信喜氏(東大教授)や佐藤幸治氏(京大教授)らの名前さえ知らなかったとは、驚きであった(参院予算委での答弁で判明)。年代的にも、当然知っていてしかるべきなのに。
本当に彼は大学法学部の卒業生なのだろうか? 学生時代から殆ど勉強をしていなかったに違いない。
こんな首相に、日本国憲法の改正を主導されるのは、まっぴらごです。
情報提供:記録映画 Diaoyu Islands: The true (英語、日本語字幕なし)
https://www.youtube.com/watch?v=4iLDrYIEF8w
米国人(ドイツ系)Chris D.NeBe氏の作品です。是非ご覧下さい。
「わたしは読書の習慣のないひととはなしをするのが苦痛だ」とは
亡くなった翻訳家、矢野徹です。
すこし教養主義的イヤミが感じられることばですが、このことばを
読んだとき、ひざを叩いたものでした。
「おれもそうだ」と。
読書習慣のないひとに共通するのは、好奇心のかなしいまでの欠如です。
だから話していてもいつもおなじ話題になる。
話題の範囲のせまさ。
でも孫崎さん、わたしは今の日本人が新聞を読まなくなったことの
ほうが心配です。
新聞の購読率の絶望的な低さは日本人さきゆきをあやうくするのでは
ありませんか。
わたしのいきつけの喫茶店でもスポーツ紙が3種類9部おいてあるので
すが、一般紙は2種類2部だけ。
それでもラックにのこっているのは一般紙だったりします。
> 本読まない首相が出てきたのはいつからだろう。森喜朗(2000年)?、小泉純一郎(2001年年)?、安倍晋三(2006年)、麻生太郎(2008年)
例の「日本では上に行くほどバカが出てくる」と符合する話ではないでしょうか。
しかし、この国の「指導者」の役回りが米国に尻尾を振るだけなら、読書など必要ないでしょう。
読書も、若い頃にその習慣を身に着けたか否かに大きく左右されると思います。
筒井康隆氏によると、小説読むにもそれなりの訓練が必要で、頭のいい大学教授などであればスラスラ読める、というものでないと。
ずっと本嫌いだった私は後悔先に立たずですが...
かといって、本読まないと この国では即脱落するのかといえば、殆ど影響なしでしょう。
結局、日本社会が読書人を必要としていない。好まれるのは むしろシワのないツルツル脳ミソの人間で、それが陰翳のない薄っぺらな社会との悪循環になっているように見えます。そんな風土から もしも読書家の首相など出てきたら、富士山が噴火するのではないか。
大変な読書家だったゲバラも言ったそうです-
「僕は、ジーンズを買うような若者よりも、本を買う若者が増えるような世界を作りたいんだ」
やはり、自主独立の追求と読書は深く繋がっていると改めて思います。
また、ついでの引用を-
「識字によって形成された「内化されたテクスト」という自己概念が、電子時代に画面というメタファーに置き換えられることによって、人間はこれまでと全く異なったものになる。口承文化の遊び心もしなやかさももたず、識字文化の内省的・批判的
に思考する自己ももたない。新たな人間たちは、良心や罪悪感といったものをもたない」(B.サンダース著/杉本卓-訳「本が死ぬところ 暴力が生まれる」-訳者あとがき より)