ハフィントン・ポスト紙は「2015年、米国で最も力のある50名(The 50 Most Powerful Americans 50 Or Older In 2015)の論評を掲げているところ、米国を理解する上で貴重な資料であり、以下主要点。
ただ、ハフィントン・ポスト紙はリベラル的傾向があり、その主張をする人間を重視している、通常NO1となる大統領がこのリストに見えない。政治・経済界の比重が高くない等の問題より、このランキングの賛同しない人は多いとみられるが、テレビ出演者を多く評価するなど、外国人には気付かぬものがあるので、米国を見る者には参考となる。
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「力」とは何か。つまりは影響力だ。
もしあなたの存在、言葉、支持、が社会の考え方や社会の動きや言論界、法の制定、経済の動き、改革などを動かすならあなたは力がある。
コメント
コメントを書くジョン・F・ケネデイーは米国にはフロンテイアが無くなったので新しいフロンテイアとして文化を提唱しました。しかし、彼は暗殺され、米国は旧来のフロンテイア拡大のモードに戻りました。そして、50年以上も過ぎた今も同じモードで世界をフロンテイア扱いして拡大しています。この地球に住む人間を米国に屈服すれば良いインデイアンであり、屈服しなければ、反抗したアパッチ族同様に駆逐されるのです。米国にとってYESかNOかが他者に対する行動律なのです。
このことは国内外問わず一貫しています。しかし、支配される絶対的多数の人々にとって息抜きは必要です。その一つが衰えたとは言えまだ健在のアメリカン・ドリームです。そしてもう一つが猥褻文化です。
どうも、感じとして、ハフィントンが伝える50名の人々はアメリカン・ドリームという幻想に関連する人々か、それとも猥褻文化に直接タッチする人たちですね。
米国の攻勢に抵抗しているアラブ社会、イラン、ロシア、中国には大義がないと非難して西側の大メデイアは毎日大騒ぎしていますけど、アメリカン・ドリームと猥褻文化が世界を席捲すべきVALUEと言えるのでしょうか?私はそう思いません。幻想が空疎であることの認識と猥褻文化への節度や限度の設定は必要で不可欠であると思います。ジョージ・オーウエルの「1984」は今の米国そのものじゃないでしょうか。
世界的多国籍企業の枠を超越し、慈善事業などを行うことによってしか、事業を維持できないようなマイクロソフトのビル ゲーツ氏などよく理解できる。西郷南洲の言葉ではないが、「地位、名誉、お金」のいらない現世利益を超越された政治家リストが日本人の中で選択作成できないのであろうか。米国の属国でないのに、日本のことは度外視され、米国の話しか聞かれない状況は残念です。
打ち砕かれる思想がどちらなのか現在でははっきりしませんね。何で米国だのビッグブラザーだのになるのかもわからない。誰も強制してないし、出入り自由でしょ。気に入らなければ出ていく。それだけなのにヒステリアとしかいえない。