日本の社会で、不思議な現象が起こっている。
一般的に、官界、経済界。メディア等上に行けば。知的水準が高いと思われる。しかし、官界、経済界。メディア等上に行けばいくほど、日本社会の持つ問題について、本質論を避ける。そして本質から外れた詭弁を守り、集団的自衛権、TPP原発再稼働、消費税等を支持する。原発であれば、最大の問題は地震に対する安全性であるが、この論は必ず避ける。集団的自衛権では、自衛隊を米国戦略に使う事の是非であるがこれは避ける。TPPであれば ,国家主権を侵すISD条項は避ける。どうしてこんな現象が起こるのか。
これを見事に札名するのが、米国の心理学者フェスティンガーが持ち出した認知的不協和論である。
代表的ケースに「喫煙者の不協和」がある。
認知A:Xは喫煙をしている認知B:「煙草を吸うと肺ガン等病気になりやすい」という説がある。
Xは「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」こ
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集団的自衛権も同じことが言える。悪平等の地位協定が認知症に罹っています。
米国が日本を守り、日本が米国を守らないのはおかしいという。米国のトランプ氏などは本質を知って言っているのか疑わしいが、日米安保は、不平等な地位協定のもとに成立している、日本を守るための条約である。米国を守るというのであれば、悪平等の上に悪平等を重ねることは、つじつまが合わない。悪平等を解消することなく悪平等を認知症化し、米国を守ることが当たり前の論理とするのであるが、国会議員も認知症化しており、一切発言しない。理屈に合わない米国の要求を跳ね返すことができないほど、認知症が進み政治家の理念信念が欠如しています。
政治家が、己を捨てることがなく、「地位、名誉、お金」に眼がくらめば、日本の独立国としての地位が失われ、米国日本州が現実化することになる。完全に韓国朴大統領に率いられる韓国に後れを取っています。韓国は、米国と関係を維持しながら、中国との関係も深めるしたたかな外交は、ち密に計算された中に行われているとみるべきでしょう。支持率も50%を超えたようである。政治家はじめ、日本のトップリーダーたちは、日本の「和」の伝統的精神をどこに置き忘れたのでしょうか。
「認知的不協和理論」の応用分野の活用でヴエトナム戦争が行われた」はとても面白い話です。応用編の詳細が分からないので的外れかもしれませんが、ウクライナの内政干渉から内乱まで発展している現在の事件やシリア政府の転覆工作にも認知的不協和理論の応用がなされているのじゃないかと疑いたくなってしまいます。更に妄想を逞しくすれば、今の安倍とその取り巻きを核にして日本全体を揺り動かしている戦後最大の政治騒動も「認知的不協和理論の応用編」ではないかと思ってしまいます。
だとしても、ヴエトナム戦争は米国の惨敗でした。ウクライナ問題、シリヤ問題、安倍政権の問題も周囲に毒をまき散らすだけで成功はまずあり得ない。何故なら、理論の応用分野の活用者の動機が単なる強欲ですから。
官界、経済界、メディア等の上層部の方々の言動を分析するとき、「認知的不協和論」の説も有効かと思いますが、私はそれ以前に「お金」の問題だと思います。多分、彼等は「謝礼」の様に時々お金を貰っているのでは無いのでしょう。長く慣習化された状態の中でアメリカや原発と深く深く結びつき、まさに毎月の重要な収入源と化しているのだと思います。分不相応な家を購入し、それなりの家柄の女房をもらい、子どもを幼稚園から有名私立校へ通わせ、ついでに留学させる事ができる等、彼等の生活そのもの存在そのものの基盤になっており、本来自分が属している組織の収入だけではとてもとても実現する事のできない豊かな生活を手に入れているのでしょう。女房、子どもが当たり前だと信じて疑わない今の生活をなんとしてでも死守したい...それが彼等の一番の理由だと思います。
「認知的不協和論」が現実に起こっていることは事実だが、「なぜ、そうなるのか」は理解不能である。
ただ、安倍政権に暗黙の支持を与えているアーミテージらのネオコンは、白人至上主義者であり、公言はしなものの、有色人種排除を考えている。アフリカや中東で内戦を画策しているのもそのためである。そして、有色人種の中で、白人社会の独占を脅かす国=日本を抹殺するために、科学技術レベルの高さなどで自尊心をくすぐって、地震が多発し火山が多い土地に原発、とりわけ核融合炉やプルトニウム路を造らせたのではないか。集団的自衛権の論議では、後方支援と言っていても、実際に派遣されたら司令官の命令で最前線に行かされるに違いない。それで多数の自衛官が死んだら「司令官が勘違いしていた」でおしまいだ。国会審議では「危険を感じたら撤退する」と言っても、現実には不可能なことがTPPでも実証済みだ。
> 一つは煙草を吸う行動を止めること。
> 今一つは...「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」論を否定するように動く。
前者は面倒で、後者は楽なのは明らか。
肺ガンになるリスクはあっても、今直ぐ発症するわけでない。
楽な方を採っても今直ぐ「天に唾」が顔にかかるわけでない。
ましてや、支配層に至っては「天に唾」が顔に落ちてくるまでには時間も相当に掛かり、更には あの手この手で吹き飛ばし、「天に唾」も決して顔にかからないのである。そのようなシステムを連中は構築してきた。
NHKや大手新聞のデタラメ政治報道に頭にきたからといって、せいぜい末端の対応者にクレームつけられる程度。
「本丸」は痛くも痒くも無い。
だからこそ、支配層にとって有難いこの「常識」に風穴を開けたアサンジュ、スノーデン氏などは命を狙われる。
勇気とアイディア次第で、日本の支配層の裏をかく術はまだまだあるだろう。連中にはどちらも皆無だからだ。
僕はタバコなど人生で一本も吸ったことがないが、人が煙草を吸っているのを見るのは嫌いではない。テレビやパソコンを通せば煙害もない。煙草を吸っている姿を見ると、煙草を吸いたくなるとか、肺がんになるとか言うこともない。極めて合理的で何が悪いのかわからない。まあでも森は動かさなければならない。そのための喫煙かも知れない。
天に唾は簡単にはかからない。どうせなら虹でも架けたらどうだろうか?虹なら天も嫌がらないかも知れない。とにかく唾など吐くような人間は相手にされない。森が動けばいなくなるだろう。
学者と言うのは、現象に対して仮説を立て、その妥当性を証明することにより、世間に認められ、それによって職を得て、生活するという、1つの職業である。世の中には「掃いて捨てる」ほど、仮説があり、学者が存在している。仮説が原理として認められることは稀である。学者や仮説を知ることがどうしてそんなに嬉しいのだろうか。「認知的不協和論」なんて改めて恐ろしげな名称を聴けば何か全く新しい知恵かと思うが、そんなことは昔からほとんどの人が知っていたことである。政治家、官僚、メディアのお兄ちゃんたちが、あることに目をつぶり、他のことだけを大げさに説くのは保身上の自衛手段だろう。ある種のメディアは、政府に反対するデモに12万人集まったと言情報を、明らかに誇張であると知りながら、「主催者がそう言っている」という形で責任逃れしながら、報道する。それも「認知的不協和論」で説明できるね。別にびっくりするほど、ユニークな理論でも何でもないけど。そんなことを紹介して、孫崎氏は彼の本が売れたり、講演依頼が増えたりすることを期待しているのだろうか。ペーソスを感じるね。人生の終わりが彼にも近づいているということに過ぎないけど。
投稿が遅れたが,これまでの投稿を拝見するとやや高尚な学術的な見地からの論で,少し的がずれているように感じたので遅ればせながら投稿.
少し生臭く現実的に考えれば,認知的不協和論の応用は,多分,戦争の前線に立つ兵士が,平気で人々をためらい無く殺戮出来るようにするような,人間改造のトレーニングに応用されたのではなかろうか.普通の神経の持ち主であればそう簡単に人を殺す残虐なことは出来ない筈だが,認知的不協和論の応用で,相手は害悪を及ぼす虫けらであって,それを退治することで全世界に我々は平和をもたらす事が出来るのだ.
と言うような観念を精神に強く植え付ける事で認知的不協和を解消させ,兵士を殺人ロボットへ改造する方法に応用したのでなかろうか.アベ政権が日本を戦争出来る国に変えれば,まず自衛隊からこの悲惨な状況・障害・問題が生じる気がする.そのような事を生じさせない為にも,憲法違反の「戦争法案」は廃案しかない.(2015年9月7日)
孫崎さんのツイッター、ブログ、そして、著作をいつも拝読していますが、本当に勉強になりますね。そして、このすごい時代にあって、主張に一貫したものがあります。こういう一貫性は、他に類を見ないですね。そして、これだけが、歴史の試練を越えて、残っていく言説だと思う。こういう貧困国にあって、孫崎さんのような稀有な言論家をもてていることは、まさに僥倖だと思っております。
今回のお話しもためになります。本当の学者というものが、どれほど鋭い感性と良心を持っているかということ。これに対して、利害関係のなかにどっぷりとつかっている人間はいくらでも変節し、自らの知性さえ喪失できるということ。こういう「人間」というものをえぐるような考察はとても重要であり、また、理解の窓になります。
世界を変えたり、「良い方向」へ向かわせたり、ということを語る人間は、いったん権力につくと必ず利害のために権力を濫用するものですが、そのメカニズムを解明するには認知的不協和の理論は非常に切れ味がよいということが今回よく分かりました。
早い話し、人間は、自分の都合のよい話しは受け容れたがるということですが、この傾向を乗り切れる人だけが、真の自立、自尊、自由を得られるのでしょう。
利害はいくらでも人を残虐にかえるのです。