12日、朝6時半から55分、NHKTVでインタビュー ここから「歌手・加藤登紀子~“時代”を歌い続ける~」[という番組があった。
百万本のバラ」や「時には昔の話を」などで知られる歌手の加藤登紀子さん、71歳。小学生時代を京都で過ごしベトナム反戦や学生運動が盛んだった1960年代、大学在学中に歌手デビューしますが、時代に翻弄される中で「対立のもっと奥にある、人の心に届く歌」を歌いたいと、自らの言葉で歌を作り始めました。戦後70年、常に時代に向き合い歌を紡いできた加藤さんに、今を生きる人たちへのメッセージを伺います。京都局制作
私は通常6時半、まだ寝ている時間である。
10月28日夜8時から、・加藤登紀子さんに自宅で「ニコニコ動画」で話してもらうことになっているので、昨日、これに向けて、事務所より、参考までにと言う連絡があった。
30分番組なのに新聞の番組表では紹介がなかった。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
「戦争のいらない世界のために、世界を変えよう今ここから」
原点は、平和憲法護持、安保反対なのでしょう。理解できますし、反対ではありません。当たり前の考え方ではないでしょうか。
しかし、存在する人間である限り、対立闘争を否定することはできません。相反する様々な国民の意見をどのようにまとめるか、スイスのように人口が少なければ可能かもしれないが、人口の多い日本で理想を実現できるかどうか、そこが問題なのでしょう。
私は戦後民主主義を満喫した世代に属するわけですが、その考えを擁護し推し進めた代表的な人物たちの巨頭として大江健三郎を高く評価して来ているわけですが、それがある意味狭い認識であったことに今日読みだした佐高信と早野透の「丸山真男と田中角栄」で知らされることになりました。丸山真男と田中角栄も徹底した戦後民主主義者だったんですね。丸山真男はその主義の理論的指導者であり、田中角栄はその実践者だというわけです。良く分かります。
そのようなレトリックを踏まえれば、加藤登紀子さんも戦後民主主義者の代表的な人物の一人なんだと思うのです。更に言えば、全共闘の若者たちは実際のところ戦後民主主義を強化するために働いたのだと考えたいわけです。そして大江健三郎と全共闘までの全てに共通するものは米国の傲慢で暴虐的な対日プレシャーに対して憲法9条の果たす役割をしっかり認識していたことです。
加藤登紀子さんの歌はしっとりと心に響きます。落ち着いた声と緩やかなメロディー、私たちの心に他者に対する思いやりと今を生きる勇気を与えてくれます。優しい声の端々に加藤さんの深い知性と感性そして温かい人間性が感じられます。歌は人nの心に希望を与えます、生きる力を与えてくれます。本当の歌い手とはその様な人を指すのでしょう。何でも自分の思い通りに精いっぱい声を張り上げ他人の迷惑を考えない様な人は歌を歌ってはいけないのです。
話は違うが、今回の日本政府による南京大虐殺ユネスコ歴史遺産登録に対するユネスコと中国政府に対する抗議の最大の功績は、私達にこの事件の真相を学ぶ機会を与えてくれた事である。日本テレビは良くやった。このVを見て真実か捏造と思うかは自由だが、その判断は知性と人間性によるだろう。日本政府がユネスコ歴史遺産登録に対しすべき事はユネスコや中国外務省に抗議する事では無く、この様な日本側の資料を積極的にユネスコに提供する事である。一見に値します:【最新】南京事件の真相か https://youtu.be/QsGC7Qi7Y-8 @YouTubeさんから
加藤登紀子といえば「紅の豚」くらいしか思い浮かばない。そういえばyahooニュースのトップにアメリカが岸信介を利用したみたいなニュースが出ていたが、マスコミの専門家としてはこういうニュースが表に出ることをどう考察するのだろうか?
自分には愛する両親はいる。でも命をかけても守りたいと思うようないとしいものはない。それがあれば確かにもっと闘うだろう。自分が闘うことで次ぎにつながる何ものかが守られるのならば、それは生きる力を与えるものだ。そう思うと自分には何もないのだと再認識させられる。自分の人生に悔いはないけれど、満足できる結果を残せなかったと言う思いはある。
アメリカは東部でも西部でも闘っているらしいが、なんのために闘っているのだろうか?もちろん生存競争だろう。でも次につながるものがないのに、よく闘えるものだと思う。そのうち砂漠のサボテンにでもなるのではないか?紅の豚はサボテンにはならないのか不思議だ。
アメリカが東部や西部で戦うのは19世紀から20世紀にかけてロシアで起こったユダヤ人虐殺の復讐を果たすためだと私は思います。アメリカはロシアの周辺諸国を占領しロシアを周辺から叩く。その精神は狂気のカルトです。
日本もお隣の国で南京大虐殺その他諸々で35百万人の犠牲者を出さしめた。日本は中国に対して失礼にならないようにすることは最低限守らなくてはならない道義だと思います。中国に米国の好戦派の精神の中核を占める嫌露カルトみたいなものが生まれ中国権力の中枢を占めたらと思うと”ぞっと”するのです。
ポレポレ東中野で『天皇と軍隊』を見ました。とても良かったです。
三島由紀夫は憲法改正を言っていたんですね。知りませんでした。。。
五百旗頭氏のトークイベントがあって、とても良かったです。
>>3
南京虐殺の世界記憶遺産登録を受けて、日本政府がたとえば次のような声明を発表していれば、世界中から共感されたことでしょう。
「南京虐殺事件が世界記憶遺産として登録されたことを真摯に受け止め評価したい。我々もまた、戦前の日本軍国主義を憎むものです。戦後新しく民主主義国家として出発した日本は、軍国主義と決別し、平和憲法を掲げ、二度とこのような惨事を繰り返すまいと決意し、平和の道を歩んでまいりました。今回の世界記憶遺産登録は日本だけでなく世界中が共有し、人類がこのような野蛮な行為を繰り返すことがないための戒めとすべきものです。ここに改めて、犠牲になられた方々とそのご遺族に謝罪いたしますと共に、平和への決意を表明いたします。」
このような声明を自虐とか反日という人は、自分の家族や親族がこのような目に会ったらどういう気持ちになるか想像してほしい。その犠牲の重みに比べれば、たとえ上記の声明を発表しても、取り返しがつかないということを知るべきです。
そもそも謝罪とは加害側が被害側と対等の立場で行うものではありません。マイナスからのスタートなのです。それだけの被害を与えたわけだから。つまり、「こんなことをしてしまってすみません。いまさら取り返しはつきませんし謝ってすむことではありませんが、何とか許してくれませんか」。これが謝罪する側の基本的態度です。
謝罪したから相手は許すのは当然であるという思い上がりには謝罪の気持ちはすでになく、「何度謝ったらすむのか」という驚くべき言葉が出てくることになります。そう言う人は、実はこれまで本当に謝罪したことはないのです。日本はこれを繰り返しながら、日本国民の名誉を傷つけています。
>>7
賛同します。
>>7
貴重なご意見、その通りだと思います。今回この記憶遺産登録を受け自民党は登録撤回とユネスコへの拠出金の停止を求める決議をまとめたそうです。維新や次世代なども賛同するのでしょう。そもそも南京事件はナチのホロコーストと並んで国際的に有名です、もっと早く登録されてしかるべきものです。海外のメディアはこれを大きく取り上げ日本は「ユネスコを脅している」と表現すると同時にChildish(子供じみた)な行為として半ば呆れた感じで報じています。それらの記事に対する読者のコメントも殆どが批判的なもので日本を擁護するコメントは殆どありません。仮に日本が拠出金を停止すれば場合によっては中国が代わりに拠出するかも知れず、そうなれば、さらに日本の立場が不利になる事に思考が至らないのでしょうかね、猿並みの知能レベルではないでしょうか。
最近かって「酒鬼薔薇聖斗」と称する少年殺人犯が社会復帰し小説を書いたり、有料ブロマガを発信したりと被害家族の感情を逆なでしていると報じられています。政府や自民党の対応は同じレベルではないでしょうか。菅官房長官は「事件があった事は否定できない」と言いつつ、両国間で見解に相違あるこの問題に対しユネスコは公平、中立性が無く、中国は一方的な主張により政治利用していると非難していますが、日本の対応も負けず劣らず政治的なものです。また、日本もシベリア抑留の資料が登録されましたが、そもそもシベリア抑留自体が日本の満州侵略が無ければ起きなかった事です。お粗末、まさに恥の上塗りです。加藤登紀子さんの話からとんでもない事になってきました。